
鈴木 英雄[1](すずき ひでお、1877年〈明治10年〉11月30日[2] -1962年〈昭和37年〉3月8日[3])は、農商務官僚、衆議院議員[4]、小田原市長。
神奈川県足柄下郡小田原町(現在の小田原市)出身[1]。鈴木善左衛門の長男[4][5]。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[6]。農商務属、同書記官・参事官、水産局漁政課長、大臣官房課長、特許局長を歴任した[6]。
官を辞し、漁業を営み傍ら会社の重役である[6]。日本漁網船具社長、小田原魚市場社長などを務めた[6]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲政友会に所属[1]。合計で4回の当選を重ねた。1944年(昭和19年)には小田原市長に選出された。戦後、公職追放となる[7]。
追放解除後の1952年(昭和27年)からは小田原信用金庫理事長を務めた。
1919年、家督を相続する[4][5]。住所は小田原市万年[4][5]。