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鈴木恒夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、元衆議院議員について記述しています。藤沢市長の同名の人物については「鈴木恒夫 (藤沢市長)」をご覧ください。
曖昧さ回避鈴木恒男」とは別人です。
鈴木 恒夫
すずき つねお
文部科学大臣より公表された肖像
2008年 撮影)
生年月日 (1941-02-10)1941年2月10日(84歳)
出生地日本の旗日本神奈川県横浜市港北区
出身校早稲田大学第一政治経済学部卒業
前職毎日新聞記者
所属政党新自由クラブ→)
自由民主党加藤派河野G麻生派
称号政治経済学士(早稲田大学・1963年
配偶者
公式サイト鈴木恒夫・衆議院議員・文部科学大臣(2009年6月15日時点のアーカイブ)
内閣福田康夫改造内閣
在任期間2008年8月2日 -2008年9月24日
選挙区旧神奈川1区→)
神奈川7区→)
比例南関東ブロック→)
神奈川7区
当選回数6回
在任期間1986年7月7日 -1993年6月18日
1996年10月21日 -2009年7月21日
テンプレートを表示

鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年昭和16年〉2月10日 - )は、日本政治家

衆議院議員(6期)、文部政務次官宮澤改造内閣第2次森内閣)、環境政務次官第2次橋本内閣)、衆議院文教委員長文部科学大臣第10代)を歴任した。

来歴

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伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。2019年9月

神奈川県横浜市港北区師岡町で出生。1953年3月 横浜市立大綱小学校卒業。1956年3月横浜市立大綱中学校卒業。1959年3月神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。

1963年3月早稲田大学政治経済学部卒業。4月毎日新聞東京本社に入社。政治部記者として15年間勤務。

1977年7月衆議院議員河野洋平新自由クラブ代表)の秘書になる。1983年12月第37回衆議院議員総選挙に神奈川1区(中選挙区制)から初めて立候補し、落選。田川誠一自治大臣の大臣秘書官に就任。1984年11月 河野洋平の秘書に復帰。

1986年7月 第38回衆議院議員総選挙に立候補(2回目)し、初当選。8月 新自由クラブの解党により、自民党へ入党。

1990年2月第39回衆議院議員総選挙に立候補(3回目)し、当選(2回目)。1992年12月文部政務次官に就任[1]1993年7月第40回衆議院議員総選挙に立候補(4回目)し、落選(実は新党さきがけの結成に当初参加を予定していたが、内閣官房長官だった河野の説得で断念)。自民党総裁秘書役に就任。1995年1月 自由民主党神奈川県第7選挙区支部長に就任。

1996年9月第41回衆議院議員総選挙に神奈川7区から立候補(5回目)し、当選(3回目)。 11月環境政務次官に就任。1997年9月 自由民主党環境部会長に就任。

1999年1月宏池会を離脱し、大勇会(現:志公会)旗揚げに参加。10月衆議院文教委員長に就任。

2000年6月第42回衆議院議員総選挙に立候補(6回目)し、当選(4回目)。 7月 文部総括政務次官に就任[1]。 12月 自由民主党政務調査会副会長に就任。

2002年衆議院法務委員会委員。衆議院文部科学委員会理事、党政調副会長、党組織本部副本部長に就任する。例外的に夫婦の別姓を実現させる会に賛同。

2003年11月第43回衆議院議員総選挙に立候補(7回目)し、神奈川7区で首藤信彦に敗北し比例復活で当選(5回目)。衆議院議院運営委員会理事、自由民主党国会対策副委員長に就任。

2005年9月第44回衆議院議員総選挙に立候補(8回目)し、当選(6回目)。衆議院文部科学委員会委員。衆議院議院運営委員会理事、決算行政監視委員会筆頭理事、政治倫理審査会幹事に就任。文教制度審査および教育基本法検討特命委員会の両事務局長、環境基本問題調査会副会長などに就任。

2006年9月自民党総裁選大勇会麻生太郎の推薦人及び選対事務総長(03年自民党総裁選では高村正彦推薦人)10月 党情報調査局長に就任。

2007年9月 衆議院災害対策特別委員長に就任。10月次期総選挙には出馬せず政界引退を表明。地盤継承者は鈴木馨祐(特に血縁関係はなし)。

2008年8月福田改造内閣に文部科学大臣として入閣。9月 福田改造内閣総辞職により退任。

2009年7月21日衆議院解散に伴い政界を引退。

2012年4月旭日重光章を受章[2]

主な提出法案

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  • 衆法163回20号 国会法及び国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律の一部を改正する法律案

役職

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  • 公益社団法人「小さな親切」運動本部代表(第6代)

所属していた団体・議員連盟

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脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^ab歴代文部科学副大臣:文部科学省”. www.mext.go.jp. 2024年12月28日閲覧。
  2. ^平成24年春の叙勲 旭日重光章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2012年4月29日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月18日閲覧。

外部リンク

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ウィキメディア・コモンズには、鈴木恒夫に関連するカテゴリがあります。
議会
先代
木村義雄
日本の旗衆議院災害対策特別委員長
2007年 - 2008年
次代
林田彪
先代
小川元
日本の旗 衆議院文教委員長
1999年 - 2000年
次代
西博義
公職
先代
渡海紀三朗
日本の旗文部科学大臣
第10代:2008年
次代
塩谷立
先代
中島章夫
日本の旗環境政務次官
1996年 - 1997年
次代
山本公一
先代
松田岩夫
日本の旗文部政務次官
1992年 - 1993年
次代
安倍基雄
日本の旗 衆議院文教委員長
再編前
文部大臣
文部卿
科学技術庁長官
再編後

省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。

定数4
第23回
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