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野間口兼雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野間口のまぐち兼雄かねお
所属組織 大日本帝国海軍
軍歴1888年 -1924年
最終階級海軍大将
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野間口 兼雄(のまぐち かねお、慶応2年2月14日1866年3月30日) -昭和18年(1943年12月24日)は、日本海軍軍人海軍大将

経歴

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薩摩藩士の野間口用輔の三男として生まれる。明治20年(1887年)、海軍兵学校13期生)を卒業し、同21年(1888年)に少尉任官。砲艦「赤城」航海長、砲艦「龍田」回航委員(イギリス出張)、西海艦隊参謀、装甲艦「金剛(初代)」航海長、「富士」回航委員(イギリス出張)、「吉野」航海長を経て、明治31年(1898年)から翌年8月まで海軍大学校(選科学生)で学ぶ。その後、イギリス駐在等を経て、海軍省副官兼海相秘書官として山本権兵衛大臣に仕えた。

その後、巡洋艦「高千穂」艦長、「松島」艦長、「浅間」艦長、軍務局先任局員を経て、明治42年(1909年)に海軍少将第1艦隊参謀長となり、佐世保鎮守府参謀長、海軍砲術学校長、呉鎮守府参謀長、軍務局長、呉工廠長、海軍兵学校長、舞鶴鎮守府長官、第3艦隊長官を歴任し、大正9年(1920年)に海軍大将、さらに海軍教育本部長、横須賀鎮守府司令長官、軍事参議官を経て、同13年(1924年)に予備役に編入され、昭和10年(1936年)に退役した。

人物

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非常に細かい性格で、金銭の出納にもうるさかった。書類の決済の際には、同意の割合に応じて、斜めに押印したり、逆さまに押印したこともあるという。

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^『官報』第2379号「叙任及辞令」1891年6月6日。
  2. ^『官報』第2617号「叙任及辞令」1892年3月24日。
  3. ^『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
  4. ^『官報』第5230号「叙任及辞令」1900年12月6日。
  5. ^『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
  6. ^『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
  7. ^『官報』第575号「叙任及辞令」1914年7月1日。
  8. ^『官報』第1923号「叙任及辞令」1918年12月29日。
  9. ^『官報』第2557号「叙任及辞令」1921年2月12日。
  10. ^『官報』第3469号「叙任及辞令」1924年3月19日。
  11. ^『官報』第3509号「叙任及辞令」1924年5月7日。
  12. ^『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  13. ^『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
  14. ^『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
  15. ^『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  16. ^『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  17. ^『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
  18. ^『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。
  19. ^『官報』第1156号「叙任及辞令」1916年6月9日。
  20. ^『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  21. ^『官報』第2927号「叙任及辞令」1922年5月8日。
  22. ^『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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大日本帝国の旗海軍省軍務局長 (1913年-1914年)
軍務局長
第1局長
軍務局長
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