(愛知県) | |
|---|---|
| 別名 | 根古屋城、三河野田城 |
| 城郭構造 | 不明 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 菅沼定則 |
| 築城年 | 永正7年(1508年) |
| 主な改修者 | 菅沼定盈 |
| 主な城主 | 菅沼定則、菅沼定村、菅沼定盈 |
| 廃城年 | 天正18年(1590年) |
| 遺構 | 空堀、曲輪 |
| 指定文化財 | 市指定史跡[1] |
| 位置 | 北緯34度52分55.4秒東経137度28分05.9秒 / 北緯34.882056度 東経137.468306度 /34.882056; 137.468306 |
| 地図 | |
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別名「根古屋城」、「三河野田城」とも呼ぶ。1505年(永正2年)に菅沼氏が築城した城である。最寄り駅はこの城の名より名付けられたJR飯田線野田城駅下車、徒歩で約15分。
本丸、二の丸、三の丸、廓、侍屋敷が直線状に(=連鎖式)位置し、城の両隣には淵があり天然の堀として使われた。
武田信玄がこの城を攻めた時、城から聞こえる笛の音に聴き惚れていたら鉄砲で狙撃され、その傷が原因で死亡したとの伝説がある。江戸時代に定盈の後裔が記した『菅沼家譜』で記述が見られるが、武田側での記述は定かではない。もっとも菅沼側でも「夜陰での鉄砲狙撃後に武田陣中が騒々しくなった」ような記述でしかなく、命中したことを明らかにしているわけではない。なお、黒澤明の映画『影武者』は、この伝説を元に制作された。
現在は雑木などが生い茂っているが、土塁と空堀は現在も存在している。
野田城跡の北側斜面を含む谷が、建設残土で埋め立てられつつあって問題になっている。
本丸にあった門は近接する法性寺の山門として1719年に移築されている。
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