| この項目では、東京都渋谷区の道玄坂について説明しています。東京都港区の道源坂(道源寺坂)については「道源寺坂」をご覧ください。 |
| 道玄坂 | |
|---|---|
| 町丁 | |
道玄坂(2008年12月) | |
北緯35度39分34秒東経139度41分53秒 / 北緯35.659358度 東経139.698186度 /35.659358; 139.698186 | |
| 国 | |
| 都道府県 | |
| 特別区 | |
| 地域 | 渋谷地域 |
| 人口情報(2024年(令和6年)12月1日現在[1]) | |
| 人口 | 504 人 |
| 世帯数 | 417 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.221329193km² | |
| 人口密度 | 2277.15 人/km² |
| 郵便番号 | 150-0043[3] |
| 市外局番 | 03(東京MA)[4] |
| ナンバープレート | 品川 |
| テンプレートを表示 | |
道玄坂(どうげんざか)は、東京都渋谷区にある町名。その由来となった坂、渋谷駅ハチ公口前から目黒方面へ向かう上り坂の名称[5]でもあり、命名はこの坂に出没して山賊野盗のふるまいをしたという和田義盛の残党、大和田太郎道玄に因む[注釈 1]、もしくは道玄庵という寺の庵主が、徳川家康に由緒書を出したことに因む[注釈 2]とされる[5]。

渋谷駅西側の丘陵部に位置する繁華街である。
南から北へ道玄坂一丁目および二丁目がある。地区としては、北に宇田川町、東にJR渋谷駅、南に桜丘町、南平台町、西に円山町に接する。
地区の大部分を緩やかな傾斜地が占め、おおむね東の渋谷川方向に下る傾向がある。1970年代半ば頃までは多くの民家が店舗などと共に混在する地域だったが、その後は店舗系の商業地がほとんどを占める反面で近年は業務系のフロアが多くを占めるビルも目立つ。
道玄坂のうち、閉店した東急百貨店本店のあった地点と、道玄坂上・道玄坂上交番前・南平台交差点の3点で囲まれる区域を除いた区域は、2019年6月20日から施行された渋谷駅周辺地域の安全で安心な環境の確保に関する条例の「渋谷駅周辺地域」と「区規則で定める区域」に定められており、ハロウィン当日とその直前の週末、年末年始は路上等の公共の場での飲酒が禁止された。なお、この条例は、2024年10月1日に改正され、路上飲酒の禁止期間が通年化され、禁止区域も拡大されている[7]。
坂道としての道玄坂はかつての住所で渋谷区上通3丁目に位置し、宮益坂のふもとから続いて西に上っている[8]。上は玉川通りの道玄坂上交差点から、下は渋谷駅前までである。一時期は玉電が坂の中腹から道玄坂上までを走り、現在では玉電の代替とした新玉川線が名称変更した東急田園都市線が坂の地下を通過している。名称は、「道元坂」、「道源坂」と表記されることもあった[8]。
道玄坂は、谷底である渋谷川を挟んで宮益坂(富士見坂)と対面しており、江戸時代に著された『江戸町づくし』には、「行人坂」としても紹介されている[9]。
現在の地理では坂下にはターミナルである渋谷駅があり、坂の沿道には109など東急系の大型店舗・施設を中心に飲食店や雑居ビル、映画館などが多く立ち並んでいる。通りから文化村通りへつながる道玄坂小路や百軒店には風俗店や飲食店、交番前交差点から円山町と接してBunkamura方面につながる「ランブリングストリート」沿いにはライブハウスやラブホテルが密集する地域もあり、狭い範囲ながらも多様性のある地域である。
「道玄坂」の名の由来は諸説あり、鎌倉時代前半まで勢力を持っていた和田氏の一族、または高座・渋谷氏(相模渋谷氏)の子孫だとされ、山賊として暮らしていた道玄という人物に由来するという説や、道玄が結んだ庵(いおり)かどうか不明ではあるものの、坂に道玄庵とよばれる庵があったからとも伝えられる[10]。
鎌倉時代に勢力を振るっていた和田義盛が、北条氏によって一族もろとも滅ぼされた後、和田氏の一族の大和田道玄は数人の一族とともに、現在の道玄坂の坂の上で旅人を見つけては山賊となって、衣類や金品を奪って暮らしていたと言われている[10]。
また、道玄については、相模国の高座郡(現・大和市と綾瀬市付近)に住んでいた高座・渋谷氏の残党という説もある。渋谷氏は、桓武平氏の子孫である秩父武綱を祖とする秩父氏から分派した一族で、鎌倉時代に高座・渋谷氏が滅亡して、その残党が現在の渋谷一帯を領有していた武蔵・渋谷氏を頼って渋谷付近に住みつき、その子孫の一人が道玄で、山賊をしていたと言われている[10]。
道玄坂について、江戸時代末期に著された地誌 『江戸名所図会』には、次のような記載がある。

2012年(平成24年)、東京都は道玄坂一丁目、二丁目を含む渋谷の繁華街一帯を公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例に基づき、客引きやスカウト、それらを行うために待機する行為などを禁止する区域に指定した[14]。
2019年(令和元年)10月1日、東京都は道玄坂一丁目、二丁目を含む渋谷の繁華街一帯を暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定[15]。強化地域内では暴力団員との間でみかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[16]。
2024年に警視庁が取りまとめた『令和5年区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数』では、道玄坂二丁目で2023年に発生した犯罪認知件数は259件とされており、東京23区の中で12番目に多い町とされている[17]。
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 道玄坂一丁目 | 1970年(昭和45年)1月1日 | 大和田町、上通三丁目、上通四丁目、南平台町、桜丘町 |
| 道玄坂二丁目 | 上通三丁目、円山町、大和田町、栄通一丁目 |
2024年(令和6年)12月1日現在(渋谷区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 道玄坂一丁目 | 142世帯 | 179人 |
| 道玄坂二丁目 | 275世帯 | 325人 |
| 計 | 417世帯 | 504人 |
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[18] | 661 |
| 2000年(平成12年)[19] | 516 |
| 2005年(平成17年)[20] | 538 |
| 2010年(平成22年)[21] | 578 |
| 2015年(平成27年)[22] | 598 |
| 2020年(令和2年)[23] | 485 |
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[18] | 386 |
| 2000年(平成12年)[19] | 322 |
| 2005年(平成17年)[20] | 391 |
| 2010年(平成22年)[21] | 446 |
| 2015年(平成27年)[22] | 513 |
| 2020年(令和2年)[23] | 424 |
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[24]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 調整区域による変更可能校 |
|---|---|---|---|---|
| 道玄坂一丁目 | 全域 | 渋谷区立神南小学校 | 渋谷区立松濤中学校 | 渋谷区立猿楽小学校 |
| 道玄坂二丁目 | 1~10番 11番1~3号 16番、28番 | |||
| その他 |
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[25]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 道玄坂一丁目 | 995事業所 | 24,460人 |
| 道玄坂二丁目 | 1,230事業所 | 18,457人 |
| 計 | 2,225事業所 | 42,917人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
| 年 | 事業者数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[26] | 2,109 |
| 2021年(令和3年)[25] | 2,225 |
経済センサスによる従業員数の推移。
| 年 | 従業員数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[26] | 37,137 |
| 2021年(令和3年)[25] | 42,917 |

| 松濤 | 宇田川町 | |||
| 円山町 | 渋谷 | |||
| 南平台町 | 桜丘町 |