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近藤真彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、歌手について記述しています。漫画『ろくでなしBLUS』に登場するキャラクターの同名の人物については「ろくでなしBLUES#教師」をご覧ください。
曖昧さ回避大阪大学教授の「近藤正彦」とは別人です。
近藤 真彦
SUPER GTにて(2008年)
基本情報
生誕 (1964-07-19)1964年7月19日(61歳)
出身地日本の旗日本神奈川県大和市
職業歌手俳優タレントレーシングドライバー、レーシングチーム監督、会社役員
活動期間1977年 - 2020年
2021年 -
レーベルRVC(現:Ariola Japan
(1980年 - 1984年)
ソニー・ミュージックレコーズ
(1985年 - )
事務所ジャニーズ事務所
(1977年 - 2021年)
エムケイカンパニー
(2021年 - )
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近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年昭和39年〉7月19日[1] - )は、日本歌手俳優実業家レーサータレントKONDO Racing Team監督、エムケイカンパニー(同チームの管理会社)代表取締役社長[2]。2023年4月より、スーパーフォーミュラ等を運営する日本レースプロモーション (JRP) 取締役会長を務める[3]。かつてジャニーズ事務所に所属していた。愛称マッチ(MATCHY[4]、名付け親はジャニーズ事務所時代の先輩・松原秀樹)。

神奈川県大和市出身[1]。所属レコード会社はSony Records血液型O型。身長174cm[5]。既婚。

略歴

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タレント活動

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1979年10月、TBSテレビドラマ3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦野村義男と共に「たのきんトリオ」として活躍[6]

その後、1980年12月12日に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、1982年には『ゴールデンアイドル賞』を受賞。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した[7]。代表曲として『スニーカーぶる〜す』、『ギンギラギンにさりげなく』、『愚か者』などがある。

また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった)。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」というフレーズも作られた。男性アイドルとしては珍しく、同年代の男性ファンも多く獲得、歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍した。

2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7か月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、ディナーショーも開催。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。

2006年9月1日放送のテレビドラマ『内田康夫旅情サスペンス岡部警部シリーズ〜倉敷殺人事件〜』では『ドンウォリー!』以来のドラマ主演を務め、2007年8月31日に第2弾として『多摩湖畔殺人事件』、2008年9月5日に第3弾として『十三の墓標』が放送された。

2007年5月9日に発売されたライブDVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH! ROCK'A MONO』で獲得して以来、20年2か月ぶりの1位獲得となった。

2011年12月22日、内閣総理大臣官邸にて黒柳徹子(左)、内閣総理大臣野田佳彦(右)と

2010年11月20日、『第52回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に選ばれ、自筆のコメントを発表した[8]

2011年、『3年B組金八先生ファイナル』にて『3年B組金八先生』スペシャル9以来13年ぶりに「星野清」役として出演[9]

2020年11月16日、不倫疑惑が報じられたことに伴い、ジャニーズ事務所は、無期限の芸能活動自粛処分とした[10]

2021年4月30日、ジャニーズ事務所の公式サイトにて、同日をもって事務所を退所することが発表された[11][12]

2021年7月19日、Twitterで11月2日に中野サンプラザホールでコンサート「Masahiko Kondo ReSTART 20+21+1×1-2」を開催することを発表した[13]

2021年8月18日、同月14日に亡くなり、世話になった藤島メリー泰子にお悔やみのコメントを発表した[14]

2021年9月7日放送の文化放送のラジオ番組「松井佐祐里“new nomal”の小部屋[15]」に出演することが発表され、芸能界に復帰。

ジャニーズ事務所 退所

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2021年4月中旬に、近藤から事務所に4月いっぱいでの退所の希望を申し出た。事務所の幹部は本人の意思を尊重し、4月30日付での退所となった。芸能リポーターの駒井千佳子は、2021年5月3日に出演したテレビ番組『情報ライブ ミヤネ屋』内で、「近藤が退所の希望を出したのは4月中旬で、わずか半月後となる4月いっぱいで事務所を辞めさせて欲しいと申し入れた。ジャニーズ事務所の幹部の方も非常に驚かれたようだが、本人の意思も強かったということで尊重し、4月いっぱいで退所ということになった。」と報告した[16]

その後2021年5月16日に自身が監督を務めるレーシングチームの監督業に復帰。その際に退所に関して「(ファンには)申し訳ないことをしたので皆さんが笑顔になれる活動をしたい。一から出直す気持ちで頑張る」、ジャニーズ事務所の後輩達へは「本当にできの悪い長男でした。もう少し後輩にも頼られるような先輩でいたかった」とインタビューに答えた[17]。なお、以後は芸能活動のマネジメントについても、レーシングチームの運営母体であるエムケイカンパニーが取り扱っている。

また、2021年9月7日に放送されたラジオ番組、文化放送『松井佐祐里“new normal”の小部屋』の番組内で、復帰後初のレギュラー新番組『近藤真彦 RADIO GARAGE』が9月28日よりスタートする旨の発表と同時に、退所についてのコメントが発表された。近藤は不祥事についての謝罪とともにジャニーズ事務所を退所したことを改めて報告。44年間世話になった事務所から巣立つ決断に至ったのは、不祥事が原因であることを認めるとともに、あと数年で60代となり思い余るものもあり、芸能生活と共にレース活動は本業であるが故にスケジュール調整などでスタッフに苦労をかけてきたこと、世代交代の激しいジャニーズ事務所の中において仕事をし続けることの難しさを痛感し、「これ以上ジャニーズ事務所に迷惑をかけられない」と自分の想いを打ち明け、何度も話し合いを重ねた上での退所となったことを報告した[18]

なお、この件について、ジャニーズ事務所では近藤の次の年長者であった東山紀之からは、「僕自身は、今回の退所の仕方に大きな疑問が残っている」、「コメントがすごく薄っぺらく感じる」と、近藤への苦言ともとれるコメントがあった[19]。なお、近藤はレーシングチームの監督業に復帰のインタビューで「(東山とは)話はしていない」と答えた[20][21]

レース活動

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1995年のル・マン24時間レースで搭乗し、総合10位入賞した日産・スカイラインGT-R

ドライバーとして1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(フレッシュマンレースとして異例の35,400人の観客を動員)[22]したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。

1994年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースポルシェ・962Cで初参戦を果たした。またこの年、全日本GT選手権 (JGTC) のGT1クラスにも962Cでアンソニー・レイドとのコンビで参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。この勝利は962Cがビッグレースで記録した最後の勝利でもあった。1995年にもポルシェ・911を駆りGT1クラスで優勝し、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の入賞を獲得した。

以降も全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポンなどの全日本格式の最高峰カテゴリーに参加し、入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。特に完走率の高さには定評があり、1995年ル・マンでは雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1フェラーリ・F40等が跋扈する同じGT1クラスに日産・GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。

2003年をもって、監督業に専念するためにレーシングドライバーとしての活動を中止したが、その後も「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などのクラシックカーラリーに参戦している。

ドライバー時代から日産ADVAN横浜ゴム)と深い関わりを持っており、これは監督業に転向しても続いている。

2024年5月25日・26日に開催されたスーパー耐久第2戦富士SUPER TEC24時間レースに16年ぶりにドライバーとして出場した[23]

オーナー兼監督として

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2022年のSUPER GTに参戦している車両(日産・GT-R
→詳細は「KONDO Racing」を参照

1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し[24]、レーシングチームの運営ノウハウを学んだ。そして2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing Team」を設立し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始し、2006年に日産勢としてSUPER GTのGT500クラスへの参戦も開始した。

2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシアセパン)にて、KONDO Racing Teamとしての初優勝を飾った。2008年も第4戦(セパン)で優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦富士)でも8年目にして初優勝を達成した。

2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦した。第1戦(岡山国際サーキット)にて、豪雨を制し国内初優勝を飾った。2010年もSUPER GT第1戦(鈴鹿)で優勝し、開幕戦2連覇を達成した。フォーミュラ・ニッポンには第5戦から松田次生を擁して復帰し、その後同選手権が「スーパーフォーミュラ」に改称された後も参戦。

また2012年からKONDOレーシングは、育成の一環として日産自動車大学校とジョイントし、スーパー耐久のST-Xクラスにも参戦を開始。2016年にチャンピオンになった。

2015年SUPER GT第4戦(富士)では、5年ぶりとなる優勝を飾った。2016年は、タイヤ無交換の奇襲を2度成功し、双方で勝利を上げた他、2018年にはスーパーフォーミュラのチーム部門でチャンピオンに輝き、2020年と2022年はSUPER GTのGT300でも年間チャンピオンを獲得(ドライバーは藤波清斗ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)するなど、いちアイドルを超えて他チームの監督やファンも認める一人前の監督に成長した。

2023年4月、中嶋悟の後任として、日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長に就任[3]

なお公式ホームページには、肖像権がタレント活動とは別に管理されているためか、ジャニーズ事務所在籍中から近藤の顔写真が掲載されていた。

レース界での交友関係

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30年を超える長いレース経験や、全日本格式のレースにおける複数回の優勝など、プロのレーシングドライバーに伍する成績を上げていることから、国内外のレース界では「歌手」ではなく、「元ドライバーのレース監督」として認識されており、レース界での広い交友関係を生かし、2006年から東京都お台場で行われているモータースポーツジャパンでは、イベント全体のスーパーバイザーを務めている。

F1中継

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フジテレビF1中継(F1グランプリ)に1989年日本グランプリでピットレポーターとして初登場。その後、2003年から2011年までの地上波でF1中継のレギュラー解説者を務めた(2012年からは日本GPのBS中継のみ出演)。

トライアスロン・トレイルランニング大会

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  • 2009年9月6日開催の第21回佐渡国際トライアスロン大会、Bタイプ(水泳2km・自転車105km・マラソン20km)に出場[25]。自転車で転倒、右肩甲骨骨折したが完走。7時間13分9秒、順位は、Bタイプ完走者661人中389位。
  • 2010年4月18日開催の第26回全日本トライアスロン宮古島大会に参加し、13時間20分0秒で完走を果たした[26]
  • 2013年3月10日開催の第1回IZU TRAIL Journey 2013(和文表記:伊豆トレイルジャーニー2013伊豆松崎・修善寺間山岳競争大会)に参加し、12時間55分09秒で完走(順位は男子総合部門完走者1,004人中810位)を果たした[27]

人物

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  • 自身のジャニーズ入りのきっかけは13歳の頃、出身地で所属していた少年野球チームの監督の娘がチーム全員の集合写真をジャニーズ事務所へ送付したことが切っ掛け。社長であったジャニー喜多川がその写真の中から近藤の顔に○印を付け、チーム監督の娘に「近藤をスカウトしたい」旨を電話で伝えたことによる[28]
  • 1987年の日本レコード大賞受賞の際に、前年に事故死した母親の遺骨が墓から盗まれ、返してほしければ受賞を辞退するよう脅迫される事件が起きた。マスコミに発表したのは翌1988年の年初で、その遺骨は現在も近藤の元に返ってきていない(2021年時点)。2010年3月26日に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「波瀾万丈スペシャル」では遺骨盗難事件などについて語り、19.9%の視聴率(瞬間最高は29.8%)を記録した[29]
  • 1988年10月22日・23日、全日本F3選手権デビュー戦となった第9戦・西日本では交通の便が非常に悪い立地(当時最寄りのインターチェンジから一般道で1時間以上かかっていた)にもかかわらず、2日間で30,000人の観客を動員した(結果は予選落ち)[30]
  • 1989年2月、当時神田正輝と結婚していた松田聖子とのニューヨークでの密会キス写真を写真週刊誌に掲載された(実際はキスシーンと断定できる写真はなく、松田は記者会見の場で2人きりでの密会を否定している)。
  • 1989年7月11日、近藤の自宅マンションで当時交際をしていた中森明菜が手首を切る自殺未遂事件を起こした。中森は一命を取り留めたものの暫く休養することになり、中森が復帰するまでの間、近藤も芸能活動を自粛していた。同年12月31日に中森が復帰会見を行う際、当初は出席の予定がなかった近藤も親密な友人として同席した[31]
  • 1994年6月11日に一般人女性と入籍、翌1995年2月に結婚披露宴を行った。結婚から14年目の2007年10月8日に第一子となる男児が誕生[32]
  • 2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖でゴムボートから転落して溺れていた当時小学2年生の男児を近藤が水上バイクで近づいて「大丈夫だ、お兄ちゃん(=近藤)が助けてやる」と海に飛び込み救助[33]。近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してくれた人物が近藤だったことを知った[34]。この事故を伝える朝日新聞記事の見出しは、自身の歌のタイトル「ギンギラギンにさりげなく」を拝借した「人命救助さりげなく」であった。
  • 2010年、NHK教育テレビ『いないいないばあっ!』むけに「GOGO☆パンダ!」を作曲した[35]
  • 「マッチ」の名付け親は松原秀樹。近藤は「僕が丸刈りで顔が小さくてひょろひょろだったから『マッチ棒』って呼ばれてたんです。『棒』がとれてよかったですよ」と当時を振り返った[36]
  • 趣味は自転車ミニカー収集。また無類のメダカ好きでもある。
  • 自称「日本一の雨男」。特に花火大会を観に行こうとするとなぜか雨天中止になることが多いという。2010年8月に神宮外苑花火大会に出演した際も上空に雲が立ち込め開催が危ぶまれたほど(ただし雨は降らず、大会は無事開催された)[37]。2010年10月のF1日本グランプリの解説を務めるため、鈴鹿サーキットに赴いたが、豪雨によってレースの予選が中止になる[38]というハプニングに遭遇した(この時『すぽると!』の取材で現場にいた国分太一を「雨男」と言ったが、すぐに自分のことを「雨男」と訂正して周囲の笑いを誘った)。
  • 1994年におりも政夫田原俊彦が事務所を退所して以降、2021年4月30日に退所するまでジャニーズ最年長の地位を約27年にわたり維持していた。ジャニーズ事務所退所時点での年齢は56歳285日で、東山紀之が2023年7月13日に記録を更新するまで、ジャニーズ事務所所属のタレントの最高齢記録保持者でもあった。
  • ジャニーズの後輩達に関しては、「本来は同じ芸能界で活動するライバルなので厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまう」と発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉堂本光一と雑誌で語った。東山や光一はマッチの曲(「アンダルシアに憧れて」など)を踊り付きでカヴァーすることがよくある。
  • ジャニーズのタレントでは珍しく『NHK歌謡コンサート』や『NHKのど自慢』への出演経験がある。『NHKのど自慢』の出演は1997年4月13日に石川県川北町の放送で出演した後、2010年11月21日の放送(開催地は愛媛県松山市)で13年ぶりに出演した。
  • 坂上忍とは『ニッポン親不孝物語』で共演して、演技上で近藤がうっかり坂上に本気で平手打ちしてしまい、謝罪しない近藤に対して怒った坂上がそのまま帰った逸話がある[39]
  • 黒柳徹子とはプライベートで月に1度は会い、10代の頃から徹子の部屋に出演し[40]、2017年11月23日まで17回出演している。
  • 関口宏の東京フレンドパークII』のデリソバデラックスで一度も障害物に当たらずクリアしたことがある。
  • 2018年1月6日に放送された『MUSIC FAIR』で「テレビ番組の司会がやりたい」との目標があることを明かした[41]。また、同番組内でこれまで近藤のものまねをする者が「マッチでーす」とよく言っていたが、近藤自身は1度も言ったことはなく、『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」で片岡鶴太郎が近藤のものまねをした際に言ったことから、そのインパクトの強さで広まったと真相を語っている。
  • 2020年2月29日に朋友・野村義男がリリースしたアルバム「440Hz with〈LIFE OF JOY〉」の11曲目『ありがとう』にドラマーとして参加。同曲のコーラスには世良公則なども参加している。
  • 2023年5月17日、長年悩んでいた頸椎症性脊髄症に対して社会医療法人財団仁医会牧田総合病院で手術を受けて退院した[42]

作品

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シングル

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#発売日タイトル最高順位備考
RVC(アリオラジャパン
11980年12月12日スニーカーぶる〜す1位1981年度年間3位
21981年3月12日ヨコハマ・チーク2位1981年度年間20位
31981年6月12日ブルージーンズ メモリー1位1981年度年間11位
41981年9月30日ギンギラギンにさりげなく1981年度年間21位
第23回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、第32回第66回NHK紅白歌合戦出場曲
51982年1月7日情熱☆熱風☽せれなーで1982年度年間9位
61982年3月31日ふられてBANZAI1982年度年間10位
71982年6月30日ハイティーン・ブギ1982年度年間7位
81982年9月30日ホレたぜ!乾杯1982年度年間26位
第33回NHK紅白歌合戦出場曲
91983年1月20日ミッドナイト・ステーション1983年度年間23位
101983年4月27日真夏の一秒1983年度年間29位
111983年7月15日ためいきロ・カ・ビ・リー1983年度年間34位
第34回NHK紅白歌合戦出場曲
121983年11月1日ロイヤル・ストレート・フラッシュ
131984年3月1日一番野郎1984年度年間33位
141984年6月6日ケジメなさい1984年度年間26位
第35回NHK紅白歌合戦出場曲
151984年9月13日永遠に秘密さ1984年度年間49位
CBS・ソニー (Sony Records)
161985年2月13日ヨイショッ!1位第36回NHK紅白歌合戦出場曲
171985年6月5日夢絆2位第11回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞
181985年10月21日大将6位第16回日本歌謡大賞受賞
191986年2月26日純情物語6位
201986年7月4日青春7位第37回NHK紅白歌合戦出場曲
211986年9月10日Baby Rose6位織田哲郎の曲をカヴァー
221987年1月1日愚か者2位1987年度年間35位
第29回日本レコード大賞受賞
第38回NHK紅白歌合戦出場曲
231987年6月11日さすらい4位第13回日本テレビ音楽祭グランプリ受賞
241987年9月18日泣いてみりゃいいじゃん1位第18回日本歌謡大賞受賞
251988年4月8日Made in Japan3位
261988年9月14日あぁ、グッと4位第39回NHK紅白歌合戦出場曲
271989年2月3日夕焼けの歌7位
281989年6月1日Just For You11位ザ・ベストテン』で10位以内にランクインした最後の曲(1989年6月15日放送回:第8位)
291989年7月5日いいかげん11位
301989年11月10日アンダルシアに憧れて9位
311990年4月8日気ままにWALKIN'15位
321990年5月5日気ままにWALKIN'-One Step At A Time-35位
331990年7月12日Ho Ho Ho…16位
341990年10月24日好き18位
351991年7月19日デスペラード -ならず者-31位
361991年12月12日無頼派40位
371992年5月21日少年のこころ40位
381993年11月21日北街角41位
391995年7月21日最後のラヴ・ソング81位
401996年2月21日ミッドナイト・シャッフル4位1996年度年間34位

第47回NHK紅白歌合戦出場曲

411997年2月21日愛はひとつ22位
421998年5月20日KING and QUEEN29位
432002年5月22日ヨイショ!'02 〜日本の皆さんホメていきまショー〜19位MATCHY with O.A.I」名義
「ヨイショッ!」のセルフカバー(鈴木おさむによって詞が大幅にリライトされている)。稲垣吾郎浅野ゆう子小林稔侍矢田亜希子・市川染五郎(現:十代目松本幸四郎)・畑野浩子と共に "MATCHY with O.A.I" として歌唱
442005年12月14日挑戦者15位
452007年1月24日上海慕情/情熱ナミダ28位
462008年1月23日目覚めろ!野性5位MATCHY with QUESTION?」名義
Question?とのコラボバンドユニットとして発売
472008年12月23日BANKA 〜男たちの挽歌〜21位
482009年12月13日-MOTTO-28位
492010年2月22日ざんばら15位第52回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞
502012年11月21日Let's Go!21位
512014年2月26日千年恋慕22位
522015年12月9日大人の流儀15位
532017年12月3日軌跡35位

その他シングル

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  1. 夢絆(1985年12月1日)12インチ
  2. 1987 LIVE SINGLES(1987年12月9日)12インチ
    • 1987年に発売された3曲のシングル「愚か者」「泣いてみりゃいいじゃん」「さすらい」を一発録りのライヴ・レコーディング形式で収録。
    • ジャニーズ事務所内公式ディスコグラフィーでは「アルバム」、オリコンチャートは「愚か者(12インチ)」表記でシングル扱い。

アルバム

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オリジナル・アルバム

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#発売日タイトル最高順位
RVC(アリオラジャパン)
11981年3月5日Thank 愛 You1位
21981年12月16日ギンギラギンにさりげなく
31982年7月18日BANZAI2位
41983年4月1日RISING
51984年1月1日WINNING
61984年8月1日Shining
CBS・ソニー (Sony Records)
71985年8月1日SUMMER IN TEARS5位
81986年4月10日名場面3位
91986年12月12日DREAM5位
101987年11月26日FOR YOU 抱擁11位
111988年11月2日Japan7位
121989年7月19日夏のエアメール12位
131989年12月12日KICKS21位
141990年11月10日うそのない言葉 〜THE TRUTH〜18位
151991年12月21日無頼派65位
161992年12月12日綺麗 KI・RE・I73位
171993年12月12日北街角81位
181997年7月1日GET BACK48位

ミニ・アルバム

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発売日タイトル収録曲最高位
11981年7月19日17バースデー6位
21988年7月1日SUMMER COLLECTIONCBS・ソニー創立20周年企画として8センチCDで発売。過去4作のスタジオ・アルバムから1曲ずつ選曲。
  1. SUMMER IN TEARS
  2. 渚にて
  3. MOON & STAR CHILD
  4. 名もない恋人

ベスト・アルバム

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#発売日タイトル最高順位
11985年4月4日THE MATCHY best song for you2位
21987年6月4日近藤真彦THE BEST10位
31990年12月12日By Your Request24位
41996年11月21日THE ROCK BEST29位
52006年2月8日MATCHY★BEST15位
62007年2月7日MATCHY★BEST II34位

セルフカバー・アルバム

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  1. 三十五周年 近藤真彦×伊集院静=二十四曲(2015年7月19日発売)

ライブ・アルバム

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  1. LIVE 10th Anniversary' 90(1990年7月19日)

サウンドトラック

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  1. ブルージーンズ メモリー(1981年9月5日)
  2. 嵐を呼ぶ男(1983年8月4日)

BOXセット

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  1. マッチ箱 〜25th Anniversary Complete Singles Edition〜(2006年1月1日)
  2. マッチにタッチ〈タッチ式サウンドペン〉(2016年7月19日)[43]

トリビュート・アルバム

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  1. MATCHY TRIBUTE 25th anniversary(2006年1月25日)
    1. ケジメなさい -綾小路翔 lovesDJ OZMA & XARAZOO
    2. 情熱☆熱風☽せれなーで - Low-Cuts (SHUN+SHUYA fromSBK) feat. Lori Fine (COLDFEET) andGAKU-MC
    3. 夕焼けの歌 -松岡充 (SOPHIA)
    4. ブルージーンズ メモリー -玉置成実
    5. アンダルシアに憧れて -アンダルシアユニット東山紀之赤坂晃堂本光一今井翼
    6. ミッドナイト・シャッフル -高橋瞳
    7. スニーカーぶる〜す -Scoobie Do
    8. 愚か者 - ヘビメタサンダーズ (マーティ・フリードマンROLLY鮎貝健
    9. ハイティーン・ブギ -PUFFY
    10. ギンギラギンにさりげなく -グループ魂

映像作品

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#発売日タイトル備考
日本ビクター
11984年6月15日近藤真彦 武道館同年3月29日に日本武道館で行われたコンサートを収録。
21984年7月21日近藤真彦 武道館 2
31985年3月4日近藤真彦 19851月13日に東京・NHKホールで行われたコンサートを収録。
CBS・ソニー (Sony Records)
41986年6月1日ON THE ROAD 〜 フロリダ物語
51987年7月19日OH! ROCK'A MONO
61987年11月28日OH! ROCK'A MONO DIGEST
71989年11月26日近藤真彦 LIVE'89
81990年10月21日MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-1 MATCHY YAON収録年月:1990年7月21・22日,日比谷野外音楽堂
91990年11月21日MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-2 MATCHY YAON P.S. I Love You.
101990年12月21日MASAHIKO KONDO 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-3 PRESENT
111992年3月25日BuLai '92収録年月:1992年1月7・8日 中野サンプラザ
121993年4月21日KI・RE・I〜LIFE&LIVES〜収録年月:1993年1月7・8日 中野サンプラザ
131996年11月21日Midnight Shuffle収録年月:1996年7月30・31日 中野サンプラザ
142007年5月9日'07 Valentine's Day in 武道館2枚組
152008年7月19日近藤真彦ライブ 07.12.26-08.02.14
162024年12月12日Masahiko Kondo「ReSTART collection」Blu-ray BOX[44]4枚組ブルーレイボックス

タイアップ

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近藤真彦
曲名タイアップ
スニーカーぶる〜す映画『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』主題歌
ブルージーンズメモリー映画『ブルージーンズメモリー』主題歌
ギンギラギンにさりげなくCM:ハウス食品ククレカレー
恋のNON STOPツーリング・ロードCM:ハウス食品「ロッカッキー」
ハイティーン・ブギ映画『ハイティーン・ブギ』主題歌
MOMOKO映画『ハイティーン・ブギ』挿入歌
ためいきロ・カ・ビ・リー映画『嵐を呼ぶ男』主題歌
CM:ハウス食品「ククレカレー」
北街角CM:ハウス食品「うまいっしょ」
ミッドナイト・シャッフル日本テレビ系ドラマ『銀狼怪奇ファイル』オープニングテーマ
愛はひとつTBS系ドラマ『ストーカー・誘う女』主題歌
KING and QUEENフジテレビ系ドラマ『ドンウォリー!』主題歌
挑戦者フジテレビ系『金曜エンタテイメント』オープニングテーマ
舞台『DREAM BOYS』テーマソング
上海慕情TBS系『Goro's Bar』テーマソング
-MOTTO-CM:H.I.S.30周年イメージソング
Let's Go!テレビ東京系アニメ『超速変形ジャイロゼッター』オープニングテーマ
千年恋慕NHK時代劇『鼠、江戸を疾る』主題歌

出演

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テレビドラマ

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バラエティ番組

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  • ばらえてい テレビファソラシド(1980年 - 1981年、NHK総合)[49]
  • 特番・近藤真彦 翔ける60歳の挑戦(2024年8月31日、日テレプラス[50]
    • 近藤真彦 翔ける60歳の挑戦 未公開シーンで繋ぐ物語(2025年1月26日 - 、日テレプラス)[51]
  • 近藤真彦&前田亘輝 男ふたりの冒険旅inタイランド〜風と歌を感じて(2025年3月16日〈予定〉 - 、日テレプラス)[52]

ウェブバラエティ

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テレビアニメ

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映画

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吹き替え

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舞台

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イベント

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コンサート

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  • 〜松本 隆 作詞活動55周年記念 オフィシャル・プロジェクト〜 風街ぽえてぃっく2025 第一夜:風編(2025年9月19日〈予定〉、東京国際フォーラム ホールA)[61]

ラジオ

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  • マッチとデート(1980年10月 - 1984年9月、文化放送
  • 日産サンデーステーション 日曜日はマッチとデート(1985年 - 1987年3月、文化放送)[1]
  • 近藤真彦 ベストクルージングミュージック(1987年4月 - 1988年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 出逢いから物語へ(1988年4月 - 1990年3月、文化放送)
  • ベストマッチ!近藤真彦のSUNDAY MOTORADIO(1992年4月 - 1992年10月、文化放送)
  • 近藤真彦 くるまっち(2002年 - 2006年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 くるくるマッチ箱(2006年4月 - 2020年11月、文化放送)
  • 近藤真彦 RADIO GARAGE(2021年9月28日 - 、文化放送)
  • COME ON! ROCKIN' ROAD(2016年4月 - 2020年11月、FM COCOLO

CM

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NHK紅白歌合戦出場歴

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年度放送回曲目出演順対戦相手備考
1981年第32回ギンギラギンにさりげなく01/22河合奈保子白組トップバッター
1982年第33回2ホレたぜ!乾杯02/22あみん
1983年第34回3ためいきロ・カ・ビ・リー11/21中森明菜
1984年第35回4ケジメなさい07/20中森明菜 (2)
1985年第36回5ヨイショッ!16/20島倉千代子
1986年第37回6青春10/20河合奈保子 (2)
1987年第38回7愚か者08/20小泉今日子
1988年第39回8あぁ、グッと04/21中森明菜 (3)
1996年第47回9ミッドナイトシャッフル05/25TRF8年ぶりの出場
2015年第66回10ギンギラギンにさりげなく(2回目)26/26松田聖子19年ぶりの出場、白組トリ[66]

FNS歌謡祭

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FNS歌謡祭』(フジテレビ系列)には1981年に初出演していて、以降も多数出演している。

1991年〜1998年はデータ不明のため、1999年以降の出演データを記載。

年度放送回曲目曲順コラボレーション
2005年第34回不明スニーカーぶる〜す13/35
愚か者14/35
ミッドナイト・シャッフル15/35
2010年第39回スニーカーぶる〜す71/74近藤真彦×堂本剛
ミッドナイト・シャッフル72/74近藤真彦×堂本光一
ざんばら73/74
2012年第41回ハイティーン・ブギ13/79近藤真彦×綾小路翔
嵐を呼ぶ男55/79舘ひろし×近藤真彦
Let's Go!77/79近藤真彦×TOKIO×KinKi Kids×テゴマス
2014年第43回ギンギラギンにさりげなく51/105近藤真彦××KAT-TUN
スニーカーぶる〜す52/105近藤真彦×V6×ジャニーズWEST
ブルージーンズ メモリー53/105近藤真彦×Sexy Zone×A.B.C-Z
ハイティーン・ブギ54/105近藤真彦×SMAP×Kis-My-Ft2
ケジメなさい55/105近藤真彦×NEWS×Hey! Say! JUMP
愚か者56/105近藤真彦×TOKIO×関ジャニ∞
千年恋慕57/105近藤真彦×KinKi Kids×滝沢秀明
2015年第44回
(第1夜)
ハイティーン・ブギ21/79近藤真彦×綾小路翔
北街角22/79近藤真彦×横山剣
大人の流儀23/79
2017年第46回
(第1夜)
ミッドナイト・シャッフル67/70近藤真彦 with FNSマッチバンド
ハイティーン・ブギ68/70
軌跡69/70
近藤真彦 デビュー35周年スペシャルメドレー

2014年12月3日放送の『2014 FNS歌謡祭』では、自身のデビュー35周年を記念としたスペシャル企画して、ジャニーズ事務所の後輩であるSMAPTOKIOKinKi KidsV6滝沢秀明[注 2]NEWS関ジャニ∞KAT-TUNHey! Say! JUMPKis-My-Ft2Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWESTの14組70人とのそれぞれのコラボレーション(共演)でスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。

近藤真彦 with FNSマッチバンド

2017年12月6日放送の『2017 FNS歌謡祭 第1夜』では、自身初の試みとなるスペシャル企画として、自身がボーカルで、ギター高見沢俊彦 (THE ALFEE)、ギター・城島茂 (TOKIO)、ベース丸山隆平関ジャニ∞)、ドラムス大倉忠義(関ジャニ∞)、ギター・山本彩 (NMB48)、キーボード武部聡志による番組限定の一夜限りのスペシャルバンドを結成してスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。

連載

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  • 『Safari』「近藤真彦のつれづれ遊び!」(日之出出版)
  • 『AERA STYLE MAGAZINE』「マッチと町中華」(2023年3月 - 、朝日新聞出版[67]

レース戦績

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着用ヘルメット(1994/95年仕様)

主な参戦レース

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略歴

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略歴
シリーズチームレース優勝PPFL表彰台ポイント順位
1985全日本ツーリングカー選手権NISMO100000NC
ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース300000NC
1986ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース200000NC
1988全日本F3選手権ホシノレーシング100000NC
1989全日本F3選手権400000NC
1990全日本F3選手権NISSEKI IMPUL RACING500000NC
1991全日本F3選手権NISSEKI RACING TEAM500000NC
全日本ツーリングカー選手権CHERENA RACING TEAM400002444位
1992全日本F3選手権900000NC
全日本ツーリングカー選手権300001324位
1993全日本F3選手権HOSHINO RACING500000NC
1994全日本GT選手権 - GT1Team TAISAN21001329位
ル・マン24時間レース - LMP1ADA w/チーム・ニッポン10000N/ANC
1995全日本F3000選手権NAVI CONNECTION RACING TEAM600000NC
全日本GT選手権 - GT1Team TAISAN500011615位
ル・マン24時間レース - GT1NISMO10000N/A10位
1996フォーミュラ・ニッポンNAVI CONNECTION RACING TEAM90000117位
全日本GT選手権 - GT500KUREレーシング w/NISMO600012711位
ル・マン24時間レース - GT1NISMO10000N/ADNF
1997フォーミュラ・ニッポンTEAM TMS1000000NC
全日本GT選手権 - GT500KUREレーシング w/NISMO600001019位
1998フォーミュラ・ニッポンTEAM TMS1000000NC
全日本GT選手権 - GT300XANAVI Racing w/NISMO Jr.60101356位
1999フォーミュラ・ニッポンMIRAI300000NC
全日本GT選手権 - GT500cdma One TOYOTA TEAM CERUMO w/Key's700001216位
ル・マン富士1000km10000N/A6位
鈴鹿1000kmTOYOTA TEAM CERUMO10000N/A3位
スーパー耐久 - Class1日産プリンス千葉モータースポーツ21001N/A1位
2000フォーミュラ・ニッポンOlympic KONDO Racing Team1000000NC
全日本GT選手権 - GT500cdma One TOYOTA TEAM CERUMO w/Key's70000123位
鈴鹿1000kmTOYOTA TEAM CERUMO10000N/ADNF
ル・マン24時間レース - LMP900テレビ朝日・チームドラゴン1000008位
スーパー耐久 - Class1ファルケン・モータースポーツ w/5ZIGEN11000N/A1位
2001全日本GT選手権 - GT500TOYOTA TEAM CERUMO w/UKYO70000224位
ル・マン24時間レース - LMP900バイパー・チーム・オレカ10000N/ADNF
2002全日本GT選手権 - GT500TOYOTA TEAM CERUMO70000621位
ル・マン24時間レース - LMP900KONDO Racing Team10000N/ADNF
2003ル・マン24時間レース - LMP90010000N/ADNF
2004鈴鹿1000kmDENAG Racing10000N/A11位
2006十勝24時間レースC-WEST Labs10000N/A11位
2007十勝24時間レース牧口エンジニアリング10000N/A6位
2008十勝24時間レースKONDO Racing10000N/A4位
2024富士24時間レースORC ROOKIE Racing10000N/A52位

フォーミュラ

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全日本フォーミュラ3選手権

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チームシャシエンジンタイヤ12345678910順位ポイント
1988年ホシノレーシングラルト・RT32日産BSUZFSWSUZTSUNISSUZSENSUZNIS
DNQ
SUZ
21
NC0
1989年ラルト・RT33BSUZ
22
FSW
DNQ
SUZ
DNQ
TSU
DNQ
SUGTSU
DNQ
SUZ
21
NIS
DNQ
SUZ
22
SUZ
26
NC0
1990年NISSEKI IMPUL RACINGラルト・RT34無限BSUZ
10
FSW
12
SUZ
21
TSU
DNQ
SEN
17
SUGTSUSUZ
DNQ
NIS
DNQ
SUZ
19
NC0
1991年NISSEKI RACING TEAMラルト・RT35BSUZ
15
FSWSUZ
DNQ
TSU
10
SEN
18
MIN
DNS
TSU
DNQ
SUG
Ret
SUZ
23
SUZ
DNQ
1992年CHERENA RACINGBSUZ
16
TSU
DNQ
FSW
Ret
SUZ
Ret
SEN
15
TAI
11
MIN
11
SUG
Ret
SUZ
17
SUZ
22
NC0
1993年HOSHINO RACINGラルト・RT36BSUZ
Ret
TSU
13
FSWSUZSENTAIMINNC0
QueenS Landカントリー倶楽部 w/HOSHINO RACINGトムス・033FトヨタBSUG
Ret
SUZ
12
SUZ
12

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン

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チームシャシーエンジンタイヤ12345678910順位ポイント
1995年NAVI CONNECTION RACING TEAMレイナード無限YSUZFSWMINSUZ
10
SUG
10
FSW
Ret
NC0
BTOK
9
FSW
13
SUZ
12
1996年BSUZ
Ret
MIN
9
FSW
16
TOK
14
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
14
MINSUZ
Ret
FSW
6
17位1
1997年TEAM TMSBSUZ
15
MIN
Ret
FSW
12
SUZ
14
SUG
8
FSW
14
MIN
Ret
TRM
13
FSW
11
SUZ
Ret
NC0
1998年BSUZ
9
MIN
8
FSW
11
TRM
10
SUZ
7
SUG
8
FSW
C
MIN
7
FSW
7
SUZ
Ret
NC0
1999年MIRAIローラBSUZ
Ret
TRM
13
MIN
Ret
FSWSUZSUGFSWMINTRMSUZNC0
2000年Olympic KONDO Racing TeamレイナードBSUZ
7
TRM
14
MIN
Ret
FSW
13
SUZ
13
SUG
7
TRM
Ret
FSW
Ret
MIN
11
SUZ
10
NC0

インターナショナルF3リーグ

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チーム車両予選結果(組)予選レース(組)決勝結果
1990年日本の旗NISSEKI IMPUL RACINGラルト・RT33無限24位(B)リタイヤ(B)DNQ
1991年日本の旗NISSEKI RACING TEAMラルト・RT35・無限16位(B)10位(B)17位
1993年日本の旗QueenS Landカントリー倶楽部 w/HOSHINO RACINGトムス・033Fトヨタ19位(Gr1)リタイヤ(Gr1)DNQ

ツーリングカー

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全日本ツーリングカー選手権

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チームコ・ドライバー使用車両タイヤクラス12345678順位ポイント
1985年NISMO日本の旗星野一義日産・スカイラインBDIV.3SUGTSU
Ret
NISSUZFSWNC0
1991年Cherena Racing Team日本の旗夏川竜一BMW・M3BJTC-2SUG
4
SUZTSU
6
SEN
5
AUTFSW
Ret
44位24
1992年BJTC-2TAIAUTSUGSUZ
8
MINTSU
Ret
SENFSW
4
24位13

N1耐久レース/スーパー耐久

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チームコ・ドライバー使用車両クラス12345678順位ポイント
1999年日産プリンス千葉モータースポーツ日本の旗竹内浩典日産・スカイラインGT-R1MINSENSUZTAITOK
1
TRMFSWSUG
3

十勝24時間レース

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チームコ・ドライバー使用車両クラス周回総合順位クラス順位
1999年日本の旗日産プリンス千葉モータースポーツ日本の旗竹内浩典
日本の旗田中哲也
日産・スカイラインGT-RClass15911位1位
2000年日本の旗ファルケン・モータースポーツwith5ZIGEN日本の旗竹内浩典
日本の旗田中哲也
Class16042位1位
2006年日本の旗C-WEST Labs日本の旗山田英二
日本の旗尾本直史
日本の旗柳田真孝
日産・フェアレディZST391611位3位
2007年日本の旗牧口エンジニアリング日本の旗長嶋正興
日本の旗村田信博
日本の旗小林且雄
BMW・M3ST35746位1位
2008年日本の旗KONDO Racing日本の旗荒聖治
日本の旗横溝直輝
日本の旗一樂智也
日産・フェアレディZEC26114位1位

富士24時間レース

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チームコ・ドライバー使用車両クラス周回総合順位クラス順位
2024年日本の旗ORCROOKIE Racing日本の旗MORIZO
日本の旗佐々木雅弘
日本の旗石浦宏明
日本の旗小倉康宏
フィンランドの旗ヤリ=マティ・ラトバラ
トヨタ・GRカローラ H2 コンセプトST-Q33252位8位

グランドツーリング

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全日本GT選手権

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チームコ・ドライバー使用車両タイヤクラス12345678順位ポイント
1994年TEAM TAISANイギリスの旗アンソニー・レイドポルシェ・962CYGT1FSWSENFSW
1
SUGMIN
3
9位32
1995年フェラーリ・F40YGT1SUZ
11
FSW15位16
ポルシェ・911GT2YSEN
3
FSW
9
SUG
1
MIN
9
1996年KUREレーシング w/NISMO日本の旗鈴木利男日産・スカイラインGT-RBGT500SUZ
6
FSW
Ret
SEN
17
FSW
5
SUG
3
MIN
10
11位27
1997年日本の旗影山正彦BGT500SUZ
5
FSW
Ret
SEN
14
FSW
9
MIN
Ret
SUG
Ret
19位10
1998年Xanavi Racing w/NISMO Jr.日本の旗青木孝行日産・シルビアYGT300SUZ
4
FSW
C
SEN
2
FSW
Ret
TRM
14
MIN
Ret
SUG
4
6位35
1999年cdma One TOYOTA TEAM CERUMO w/Key's日本の旗木下隆之トヨタ・スープラBGT500SUZ
8
FSW
6
SUG
8
MIN
Ret
FSW
Ret
TAI
11
TRM
15
16位12
2000年BGT500TRM
11
FSW
Ret
SUG
16
FSW
19
TAI
13
MIN
Ret
SUZ
10
23位1
2001年TOYOTA TEAM CERUMO WITH UKYO日本の旗片山右京
日本の旗脇阪薫一(Rd.5)
BGT500TAI
12
FSW
14
SUG
13
FSW
14
TRM
9
SUZ
Ret
MIN
13
24位2
2002年TOYOTA TEAM CERUMO日本の旗 片山右京
日本の旗下田隼成(Rd.4-8)
BGT500TAI
15
FSWSUG
9
SEP
7
FSW
16
TRM
12
MIN
11
SUZ
13
21位6

全日本GT選手権(ノン・チャンピオンシップ戦)

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チームコ・ドライバー使用車両タイヤクラス12
1996年KUREレーシング w/NISMO日本の旗鈴木利男日産・スカイラインGT-RBGT500CEN
10
1997年日本の旗影山正彦BGT500TRM1
Ret
TRM2
7
1998年Xanavi Racing w/NISMO Jr.日本の旗青木孝行日産・シルビアYGT500TAI
3
1999年cdma One TOYOTA TEAM CERUMO w/Key's日本の旗木下隆之トヨタ・スープラBGT500AUT
8
2000年日本の旗立川祐路BGT500SEP
Ret
2001年TOYOTA TEAM CERUMO WITH UKYO日本の旗片山右京BGT500SEP
11

スポーツカー

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ル・マン24時間レース

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チームコ・ドライバー使用車両クラス周回総合順位クラス順位
1994年イギリスの旗 ADA チーム ニッポン
日本の旗 チーム ニッポン
日本の旗 原田淳
日本の旗吉川とみ子
ポルシェ・962C GTiLMP1
/C90
189NCNC
1995年日本の旗ニッサン・モータースポーツ日本の旗福山英朗
日本の旗粕谷俊二
日産 NISMO・GT-R LMGT127110位5位
1996年日本の旗鈴木亜久里
日本の旗影山正彦
GT1209DNFDNF
2000年日本の旗テレビ朝日チーム・ドラゴン日本の旗土屋圭市
日本の旗飯田章
パノス・LMP-1 ロードスター-SLMP9003408位7位
2001年フランスの旗 バイパー チーム・オレカ日本の旗荒聖治
ポルトガルの旗ニ・アモリム
クライスラー・LMPLMP900243DNFDNF
2002年日本の旗KONDO Racing Teamイギリスの旗 イアン・マッケラーJr.
フランスの旗フランソワ・ミゴール
童夢・S101-ジャッドLMP900182DNFDNF
2003年日本の旗片山右京
日本の旗福田良
童夢・S101-無限LMP90032213位8位

鈴鹿1000km

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チームコ・ドライバー使用車両クラス周回総合順位クラス順位
1999年日本の旗TOYOTA TEAM CERUMO日本の旗竹内浩典
日本の旗立川祐路
トヨタ・スープラGT5001673位3位
2000年日本の旗竹内浩典
日本の旗立川祐路
GT500135DNFDNF
2004年日本の旗DENAG Racing日本の旗一樂智也
日本の旗福田良
ポルシェ・911GT3OPEN15010位3位

富士1000km

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チームコ・ドライバー使用車両クラス周回総合順位クラス順位
1999年日本の旗cdma One TOYOTA TEAM CERUMO w/Key's日本の旗木下隆之
日本の旗竹内浩典
トヨタ・スープラN-GT5002086位3位

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^「ざんばら」のみ歌詞の権利関係上ジャニーズ・エンタテイメントから発売。
  2. ^当初はタッキー&翼として出演する予定だったが、メンバーの今井翼メニエール病で休養中だったため、出演を辞退した。

出典

[編集]
  1. ^abcDJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、75頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12276264/38 
  2. ^近藤真彦、ジャニーズ退所後初のイベント 東山紀之とは「話してません」 家庭は「円満です」”. スポーツ報知 (2021年6月9日). 2021年6月9日閲覧。
  3. ^ab近藤真彦JRP新会長、「先輩たちの力を借りて、みんなでスーパーフォーミュラを盛り上げていく」 Car Watch・2023年3月5日
  4. ^レッツゴーヤング』1982年7月4日放送回(2015年6月現在NHKアーカイブスの番組公開ライブラリーで視聴可能)時点でこの英語表記が使われている。
  5. ^不倫自粛の近藤真彦 メリー名誉会長に諭されケジメ - ジャニーズ : 日刊スポーツ 2020年11月17日4時1分
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関連項目

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外部リンク

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受賞歴
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
第32回から第34回までは演歌・歌謡曲とポップス・ロックの2部門に分けて発表された。括弧内の数字は第○回を示す。
カテゴリCategory:日本レコード大賞受賞者Category:日本レコード大賞受賞曲
第11回 - 第20回
(1969年 - 1978年)
第21回 - 第30回
(1979年 - 1988年)
第31回 - 第40回
(1989年 - 1998年)
第41回 - 第50回
(1999年 - 2008年)
第51回 - 第60回
(2009年 - 2018年)
第61回 -
(2019年 - )
注釈

第1回から第10回までは制定なし。第12回 は発表なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表
(ただし第32回に限り演歌・歌謡曲、ポップス、ロックの3部門に分けて発表した)。

第11回 - 第20回
(1969年 - 1978年)
第21回 - 第30回
(1979年 - 1988年)
第31回 - 第40回
(1989年 - 1998年)
第41回 - 第50回
(1999年 - 2008年)
第51回 - 第60回
(2009年 - 2018年)
第61回 - 第70回
(2019年 - 2028年)
注釈

第1回から第10回までは制定なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表
(ただし第32回に限り演歌、歌謡曲、ポップス、ロックの4部門に分けて発表した)。

第8回 - 第10回
(1975年 - 1977年)
第11回 - 第20回
(1978年 - 1987年)
第21回 - 第30回
(1988年 - 1997年)
第31回 - 第40回
(1998年 - 2007年)
第41回 - 第42回
(2008年 - 2009年)
全日本有線放送大賞
(1976年 - 2000年)
ALL JAPANリクエストアワード
(2001年、2002年)
ベストヒット歌謡祭
(2003年 - 2010年)
第43回をもって賞の選定を終了
1991年からはショータイム形式に変更
1974年(上期・下期)は最優秀ホープ賞として発表。1991年からはショータイム形式に変更。
シングル
MATCHY with O.A.I
MATCHY with QUESTION?
アルバム
CD-BOX
トリビュート・アルバム
  • MATCHY TRIBUTE 25th anniversary
テレビドラマ・映画
レギュラー番組
関連人物
たのきんトリオ
その他
関連項目
カテゴリカテゴリ
メンバー
出演ドラマ
バラエティ番組
出演映画
ステージ
関連項目
テンプレート
シングル
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 72.HA-HA-HAPPY
  • 73.ロマンティストでいいじゃない
  • 74.ダンディライオン
DVDシングル
デュエット
オリジナル・アルバム
1980年代
1990年代
2010年代
カバー・アルバム
ベスト・アルバム
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 14.オリジナル・シングル・コレクション 1980-2021
出演テレビドラマ
出演映画
出演テレビ・ラジオ番組
関連人物
たのきんトリオ
その他
所属レーベル
関連項目
カテゴリカテゴリ
シングル
MATCHY with O.A.I
MATCHY with QUESTION?
アルバム
CD-BOX
トリビュート・アルバム
  • MATCHY TRIBUTE 25th anniversary
テレビドラマ・映画
レギュラー番組
関連人物
たのきんトリオ
その他
関連項目
カテゴリカテゴリ
カテゴリカテゴリ
所属アーティスト
Sony Music Records
Epic Records Japan
Ki/oon Music
SME Records
Sony Music
Associated Records
Ariola Japan
Sony Music Direct
SACRA MUSIC
関連項目
カテゴリカテゴリ:ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
大: 大トリ
究極: 究極の大トリ
創設者
スーパーフォーミュラドライバー
SUPER GTドライバー
主要ドライバー
2000年代
2010年代
2020年代
関連組織
関連項目
  • 主要タイトル一覧
SUPER GT
ドライバーズ
GT300クラス
チーム
GT300クラス
スーパー耐久
2000年のフォーミュラ・ニッポンを戦うチームと出走ドライバー
PIAANAKAJIMA RACINGOlympicKONDO Racing TeamTEAM 5ZIGENTeam LeMansTeamMorinagaNOVACOSMO OIL RACING TEAMCERUMOMOONCRAFT
0日本の旗高木虎之介3日本の旗近藤真彦5日本の旗服部尚貴7日本の旗野田英樹9アイルランドの旗ラルフ・ファーマン11日本の旗立川祐路14日本の旗脇阪薫一
2日本の旗松田次生4日本の旗土屋武士(第9戦)6ドイツの旗ミハエル・クルム8日本の旗五十嵐勇大10日本の旗山西康司12ポーランドの旗ヤレック・ヴィエルチュク
TEAM IMPULTEAMMALAYSIATAKAGI B-1 RACING TEAMAUTOBACS RACING TEAM AGURITEAM LEYJUNDoCoMoTEAM DANDELION RACING
19日本の旗本山哲21マレーシアの旗アレックス・ユーン36日本の旗玉中哲二55日本の旗金石勝智(第1 - 8戦)62日本の旗柴原眞介68日本の旗道上龍
56日本の旗脇阪寿一63日本の旗OSAMU
全般
国立図書館
学術データベース
芸術家
その他
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