赤城神社(あかぎじんじゃ)は、東京都新宿区赤城元町にある神社。明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた。
岩筒雄命(いわつつおのみこと)と、相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀る。
岩筒雄命は火の神である迦具土神より生まれ、経津主神の親神にあたるという。赤城姫命は一説によると神社を創建した大胡氏の息女と伝わり、別当寺である東覚寺の本地仏であった。
鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる[1][注釈 1]。文安元年(1444年)には、大般若経が奉納された[2]。寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された[1][注釈 2]。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される[1]。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。
『江戸名所図会』では「赤城明神社」として紹介され、大胡重泰(おおごしげやす)により創建されたこと[注釈 3]、牛込の鎮守であり別当寺は東覚寺(天台宗)であることなどが記されている[3]。
平成21年(2009年)から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」と銘する工事が行われた。老朽化した社殿全体を建て替え、当神社境内に隣接していた幼稚園(私立赤城幼稚園)は少子化などの理由により閉園。その跡地を再開発するにあたり、建築コストを神社側で全て賄うのは難しい状況にあった。そこで三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を設定して神社から土地を借り[5]、神社の建て替えとともに敷地内に分譲マンションを建設、建物内にホールやギャラリーなどの施設を併設するというものである[6]。そして地代や賃貸による収入を神社の運営に充てるとともに[7]、借地権の期限が来たらマンションを解体し神社の杜に戻す予定である。
デザイン監修は、地元神楽坂に在住し同神社の氏子でもある[8]、建築家の隈研吾が担当。マンションの内外にも神社と調和する意匠が施され、境内の既存樹木についても、一部については保存・活用が図られた。これについては、三井不動産レジデンシャル側の担当者が、隈本人から自ら協力したいという申し出があった、と話している[9]。先述の通り、2011年度グッドデザイン賞を住宅部門とビジネスソリューション部門の両方で受賞[10]。
この改築に伴い、境内の複数本の神木および大山巌元帥の昭忠碑(日露戦役を記念し明治39年に建立)が撤去された[11]。