豊国火災保険株式会社[1](ほうこくかさいほけん)は、かつて大阪府に存在した損保会社である。
本社は大阪市北区曽根崎新地[2]。創立は1911年[2]、あるいは1912年[3]。資本金は300万円[1][2][3]。大株主は東京海上火災保険、明治火災保険、三菱海上火災保険[2][4]。その営業区域を日本帝国領土内に限り、専ら火災保険の業務に従事した頃は、業績が挙がらず、具に苦汁を嘗める[3]。
1916年に至り、島徳蔵社長の下に専務だった大谷順作が社長に昇進、内外の庶政を改革することはもちろん、営業区域を拡張して通商条約を締結する諸外国に及ぼし、海上保険をも兼営することとなって以来、業績が漸次向上し、当社営業状態は全く面目を一新する[3]。
極めて穏健着実な進展を続けて遂に日本の火保界における有力の大会社として推されるに至る[3]。『損害保険会社の見方』によると、豊国火災保険が売り出している保険は「火災、海上、運送、傷害、自動車、信用」の6種である[2]。1943年、東洋海上火災保険、福寿火災保険と合併、日新火災海上保険となる。
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