解脱 (げだつ、梵 :मोक्ष, mokṣa [ 1] ,モークシャ 、विमोक्ष, vimokṣa[ 1] ,ヴィモークシャ 、विमुक्ति, vimukti [ 2] ,ヴィムクティ 、मुक्ति, mukti [ 1] ,ムクティ、 巴 :vimokha, vimokkha [ 3] ,ヴィモッカ 、mokkha [ 4] ,モッカ 、vimutti [ 1] ,ヴィムッティ 、mutti ,ムッティ )とは、インド 系宗教 において、解放 、悟り 、自由 、放免 を手に入れた状態を意味する語であり、ヒンドゥー教 、仏教 、ジャイナ教 、シーク教 において様々な形で語られる[ 5] 。解脱を果たした者は、解脱者 (梵 :विमुक्त, vimukta 、巴 :vimutta )と呼ばれたりする[ 6] 。
もともとは紀元前7世紀前後の古ウパニシャッド で説かれたもので、インド哲学一般に継承されている観念である[ 7] 。解脱はインド発祥の宗教 において最高目標とされてきた[ 7] 。
ヒンドゥー教 の伝統では解脱は中心概念であり[ 8] 、ダルマ (道徳、倫理等の正しい生き方)、アルタ (英語版 ) (富、財産、生計等の実利)、カーマ (欲望、性愛、優美さ)と共に、人生の目的 のひとつである[ 9] [ 10] 。人間がこの世で追求すべき(世俗的な意味での)目的や義務、価値基準であるダルマ、アルタ、カーマは「トリヴァルガ(三種)」、プルシャ・アルタ (英語版 ) (Puruṣārtha、人生の目的)と呼ばれており[ 11] 、これに解脱(モークシャ)を加えて四大目的とすることもある[ 11] [ 12] 。
ジャイナ教 においては、魂 という存在 にとって至福 の状態である。
仏教 においては、煩悩 の縛りから解放され、迷いの世界、輪廻 などの苦[ 1] [ 13] を脱して自由の境地に到達すること[ 2] [ 7] [ 7] 。対義語は繋縛(けばく,巴 :bandhana ; 結縛)[ 14] 。大乗非仏説 では、釈迦が説いた本来の仏教教義では浄土 を想定せず、「輪廻からの解脱を達成し、死後に天界 を含めて二度と生まれ変わらないこと」 (入涅槃 )を目指していたと説明される。佐々木閑 は「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻 を断ち切って涅槃 に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」と説明している[ 15] [ 16] 。
「解脱」は、梵 :vimokṣa や梵 :vimukti の漢訳 である[ 2] [ 7] 。vimuttiは「自由」という意味である[ 17] 。 vimokṣa は毘木叉、毘目叉と音写 し、 vimukti は毘木底と音写する[ 2] 。
釈迦 は菩提樹 で成道し、輪廻からの解放を達成したとされる。
宝結びの意匠 比丘たちよ、このように見て、聖なる言葉を聞く弟子は、色を厭離し、受を厭離し、想を厭離し、サンカーラを厭離し、識を厭離する。 厭離のゆえに貪りを離れる。貪りを離れるゆえに解脱する。解脱すれば「解脱した」という智慧が生じる。 「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである。
仏教における解脱は、本来は涅槃 と共に仏教の実践道の究極の境地を表す言葉であったが、後に様々に分類して用いられるようになった[ 2] 。
相応部 ラーダ相応 では、比丘ラーダより「解脱は何を目的としているのか?」と問われた釈迦は、「解脱は涅槃 を目的としている」と答えている[ 19] 。
仏教における解脱には、次のような分類がある[ 2] 。
有為 解脱と無為 解脱性浄解脱と障尽解脱 心解脱と慧 解脱 慧解脱と倶解脱 時解脱と不時解脱 火ヴァッチャ経 では、釈迦はある沙門 より「解脱した比丘はどこかへ生まれ変わるのか? あるいは生まれ変わらないのか?」との問いを受けた。釈迦は、その者に「火が消えた場合、その火はどの方角(東西南北)に消え去ったのか?」と問い返した。「その質問は適切ではありません、火は燃料が尽きたために消えます」との返答を受けた釈迦は、同様に如来というのも(生まれ変わるかどうかとは関係なく)、五蘊 (色受想行識)が尽きたために解脱した者であると説いた。
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