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角田晃一

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(2025年2月)
角田晃一
2020年名古屋グランプリ表彰式
基本情報
国籍日本の旗日本
出身地鳥取県[1]西伯郡名和町
(現・大山町
生年月日 (1970-11-18)1970年11月18日(54歳)
身長164.0cm[1]
体重51.0kg[1]
血液型A型[1]
騎手情報
所属団体日本中央競馬会
所属厩舎栗東・渡辺栄(1989.3.1 - 2004.2.29)
栗東・フリー(2004.3.1 - 引退)
初免許年1989年
免許区分平地
騎手引退日2010年2月28日
重賞勝利39勝 (中央38勝、地方1勝)
G1級勝利10勝 (中央10勝、地方0勝)
通算勝利8332戦713勝 (中央)
調教師情報
初免許年2010年(2011年開業)
重賞勝利18勝(中央11勝、地方7勝)
通算勝利3362戦278勝(中央)
経歴
所属栗東トレーニングセンター
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角田 晃一(つのだ こういち、1970年11月18日[1] - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師で元騎手

来歴

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1970年鳥取県西伯郡名和町にて4人兄妹の長男として出生。長兄でありながら体躯が小さかったものの、運動が得意であった角田に父は騎手になることを進路の一つとして提案。競馬とは無縁の環境であった鳥取で生まれ育ち、競馬サークルにも知人のいなかった角田であったが、父の勧め通り競馬学校に進学、1989年栗東・渡辺栄厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には田中勝春佐藤哲三らがいる。

デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え初年度43勝を挙げ、1989年のJRA賞最多勝利新人騎手として表彰された[2]

師匠の渡辺の縁で、鶴留明雄山本正司といった武田文吾一門の厩舎の馬に騎乗することがあった角田は1991年シスタートウショウに騎乗し桜花賞を制覇、デビュー3年目にしてGIジョッキーとなる。気性難であった同馬を乗りこなせた要因を後に角田は「競馬学校時代に癖馬ばかり乗らされた経験が生きている」と語っている[3]

1994年にはノースフライトとのコンビで安田記念マイルチャンピオンシップを制し、GIを2勝。デビューから5年間での重賞11勝のうち、10勝が牝馬に騎乗してのものであり、牝馬に騎乗しての活躍が目立つことから、この頃より「牝馬の角田」と呼ばれるようになる。さらに翌年ヒシアケボノスプリンターズステークスを制覇。前年ノースフライトのGI2勝と足し当時の古馬短距離GI全制覇という記録を達成。佐山優調教師・ヒシの冠名の競走馬を所有している阿部雅一郎オーナーからの信頼が厚く、この他ヒシミラクルでGI3勝を記録するなど、一時期をのぞいて長く主戦として活躍をした。

2001年は、ジャングルポケット東京優駿を制覇。同馬主・同厩舎・同騎手で、幻の三冠馬と呼ばれたフジキセキ以来の念願を成就している。

角田はその後渡辺栄厩舎の定年解散に伴い2004年3月よりフリーへと転向。これにより後にGI馬となるスイープトウショウフサイチパンドラの主戦を降ろされる不運に見舞われ、勝ち鞍を大幅に減らした時期があったが、2007年サマージョッキーズシリーズ初代チャンピオンを獲得し、第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場を果たすなど徐々に騎乗回数を回復し、勝ち鞍も伸ばしていた。

騎手生活晩年は松永昌博厩舎の主戦騎手として騎乗していた。2010年2月に調教師免許試験に合格し、同年2月28日付で引退することが発表された[4][5][6]。同年3月1日より中竹和也厩舎にて技術調教師として活動。翌2011年3月1日付で調教師として開業した(栗東:馬房数14)[7]2013年11月9日ファンタジーステークスで管理馬のベルカントが優勝、調教師として重賞初制覇となった[8]

長男である角田大和2014年ジョッキーベイビーズ優勝者で、父の日本ダービー優勝を映像で見て騎手に憧れ2017年4月に競馬学校に36期生として入学[9][10]。2021年2月に騎手免許試験に合格し、同年3月にデビューした[11]

次男・角田大河も騎手を目指し、2019年に競馬学校に38期生として入学[12]、2022年2月に騎手免許を取得[13]、同年3月にデビューしたが、2024年に死去した。

2019年には管理馬のマスターフェンサーで米国クラシック競走のケンタッキーダービー(6着)、ベルモントステークス(5着)に挑戦した[14]

騎手成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1989年3月4日1回阪神3日1R3歳未勝利ミツワシンゲキ9頭23着
初勝利1989年3月18日1回阪神7日8R4歳上400万円下ヤマニントリガー8頭71着
重賞初騎乗1989年6月4日3回阪神6日11R阪急杯ワンモアマイハート18頭1516着
重賞初勝利1990年6月10日3回東京8日11Rエプソムカップサマンサトウショウ14頭31着
GI初騎乗1989年11月12日5回京都4日10Rエリザベス女王杯シンビクトリー20頭143着
GI初勝利1991年4月7日3回京都6日10R桜花賞シスタートウショウ18頭41着
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率備考
1989年434230340.126.250.338JRA賞最多勝利新人騎手
1990年473554478.098.172.285
1991年674160449.149.241.374優秀騎手賞(勝率部門)
1992年524023376.138.245.306優秀騎手賞(勝率部門)
1993年493845392.125.222.337フェアプレー賞
1994年574853439.130.240.361
1995年423439377.111.202.305
1996年453141445.102.172.265フェアプレー賞(関西)
1997年342634417.083.147.230フェアプレー賞(関西)
1998年162222298.055.131.206
1999年262837336.078.162.273
2000年362827377.095.170.241フェアプレー賞(関西)
2001年303939436.069.160.250フェアプレー賞(関西)
2002年311531430.074.109.183
2003年202619413.049.112.158
2004年142624329.043.122.195
2005年101718277.036.098.163
2006年182225339.054.119.193
2007年243941427.056.148.244サマージョッキーズシリーズ チャンピオン
2008年303235537.056.116.181
2009年192614416.046.109.143
2010年33242.071.143.190
通算7136587138322.086.164.250

主な騎乗馬

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代表騎乗馬

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太字はGI級競走を示す)

その他

調教師成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2011年3月5日1回阪神3日1R3歳未勝利サイキョウファスト15頭1111着
初勝利2011年4月24日1回新潟2日7R4歳上500万下ロックンロール12頭11着
重賞初出走2011年7月17日3回新潟2日11RアイビスSDシャウトライン15頭74着
重賞初勝利2013年11月9日5回京都3日11RファンタジーSベルカント18頭41着
GI初出走2013年12月15日5回中山6日11R朝日杯フューチュリティステークスベルカント16頭310着
GI初勝利

主な管理馬

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※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

主な厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

参考文献

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脚注

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  1. ^abcde騎手1998、180頁
  2. ^JRA賞 バックナンバー”. JRA. 2015年9月13日閲覧。
  3. ^騎手という稼業/52頁。
  4. ^2010年度 調教師・騎手免許試験合格者(JRA公式ウェブサイト)
  5. ^菊沢、塚田、角田、西原、橋本騎手が2月28日(日)付けで引退(JRA公式ウェブサイト)
  6. ^同時に騎手免許の更新も行い試験に合格していたが、調教師免許との併用は現行の規定ではできないため、騎手免許に関しては返上した。
  7. ^2011年3月1日付け 調教師別貸付馬房数一覧表(栗東)(JRA公式ウェブサイト)
  8. ^ベルカント逃げ切った/ファンタジーS(nikkansports.com)
  9. ^角田師長男・大和君「父の日本ダービーを見て騎手に憧れた」
  10. ^唯一の女性入学者・古川奈穂さん「騎手になるための第一歩」競馬学校入学式
  11. ^“角田晃一調教師の長男・大和君が騎手免許試験合格 “親子鷹”で父の背中追う「結果を出せる騎手に」”. スポーツ報知. (2021年2月9日). https://hochi.news/articles/20210209-OHT1T50182.html 2021年2月9日閲覧。 
  12. ^角田晃一調教師の次男・大河君、父の背中追う「自然と騎手になりたいと…」
  13. ^【JRA】令和4年度騎手免許試験の新規合格者10名が発表 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年2月8日閲覧。
  14. ^平松さとし (2019年6月11日). “目立たず不器用だった馬なのに、米3冠で5着のマスターフェンサー。”. Number Web. 2019年12月3日閲覧。
  15. ^2014年兵庫ゴールドトロフィー結果 - JBIS、2014年12月25日閲覧
  16. ^思いもしない事態に襲われ騎手を引退した男が、アメリカ遠征で感じた騎手への想いとは……”. 平松さとし. 2019年6月19日閲覧。

関連項目

[編集]
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
上記以外の年は該当者なし
2000年代
2010年代
2020年代
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