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西山麗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西山 麗
Rei Nishiyama
基本情報
国籍日本の旗日本
出身地神奈川県横須賀市
生年月日 (1984-03-08)1984年3月8日(41歳)
身長・体重166cm
62kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション内野手遊撃手
選手経歴
国際大会
代表チーム 日本
五輪2008
世選/W杯2006201020122014
アジア大会200620102014


西山 麗(にしやま れい、1984年3月8日 - )は、神奈川県横須賀市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。元ソフトボール日本代表。2008年北京オリンピック金メダリスト。

中学時代に心臓弁移植を行ったことから、臓器移植を行った日本で唯一のオリンピック金メダリストとなる。

経歴

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[1]

神奈川県横須賀市の生まれで実家は釣り船屋である。決して恵まれた環境とは言えなかったものの小さい頃から運動をすることが大好きで、小学生時代はバスケットボールをしていた。

ただ、生後1ヶ月に大動脈弁狭窄(きょうさく)・閉鎖不全症と診断され、医師より激しい運動を禁じられ持久走や吹奏楽などは特に禁じられていた。

横須賀市立常葉中学校進学時に医師に「激しい運動をやめるように」と言われたことを受けて、攻守があり休みが取れるということからソフトボールに転向した。

転向した直後は全力でプレーすることが制限され、長打でも2塁までしか進塁できなかった。当時の心境を「全力でプレーできなかったことが悔しかった」と後に述べている。

その後、心臓弁移植手術の話が出たことから全力でプレーすることを望み手術を決意する。

1998年、中学2年の時に手術のために渡米し、7時間及ぶ大手術の結果も成功する。

それでもトップアスリートを目指すことに心配した両親を「私は一度死んで生まれ変わった。死ぬのは怖くないからやらせてほしい。」と説得し、トップアスリートへの道を歩みだす。

手術を受けた前の月に、ソフトボールの講習会に参加し、そのときに講師だった斎藤春香に「一緒のチームでプレーしよう」と声をかけられている。このことが彼女の選手生活を送る上で大きな目標となり、2002年に日立ソフトウェア入りでそれが実現する。

人物・エピソード

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日本代表山田恵里とは、共に1984年3月8日生まれ、厚木商業高校インターハイ2連覇、日立ソフトウェアに同期入団、北京オリンピックで金メダル獲得という縁を持つ。

詳細情報

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[3]

日本リーグ個人表彰

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  • 2004年 - ベストナイン賞(遊撃手)
  • 2005年 - ベストナイン賞(遊撃手)

背番号

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  • 3(2002 - 2014)
  • 3(2016 - 2017)

脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^北京オリンピック ソフトボール金メダリスト 全力でプレーできない葛藤を乗り越えて”. Wedge (2014年8月29日). 2024年4月28日閲覧。
  2. ^紫綬褒章の受章者”. 47NEWS (2008年11月2日). 2015年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  3. ^西山 麗JSL

外部リンク

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監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
JOCスポーツ賞最優秀賞
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

20: 中止 • 21:髙木美帆 • 22:橋本大輝 • 23:北口榛花 • 24:堀米雄斗

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