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藤本勝巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤本 勝巳
基本情報
国籍日本の旗日本
出身地和歌山県日高郡みなべ町
生年月日 (1937-08-08)1937年8月8日(88歳)
没年月日既に大阪市内で死亡したとの情報あり[要出典]
身長
体重
175 cm
77 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション一塁手外野手
プロ入り1956年
初出場1956年9月21日
最終出場1967年10月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  テンプレート

藤本 勝巳(ふじもと かつみ、1937年8月8日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

経歴

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プロ入り前

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和歌山県立南部高等学校では、控え投手として1954年春季近畿大会県予選決勝に進むがエース前岡勤也を擁する新宮高に逆転負け。同年秋季近畿大会県予選でも準決勝に進むが、日高高に敗退した。

現役時代

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1955年に各球団の注目の的であった前岡勤也をマークしていた青木一三スカウトが、藤本の将来性に目を付け入団交渉。卒業後の1956年投手として大阪タイガースに入団するが、すぐに外野手に転向。

1957年は右ひじ骨折のケガがありながらも61試合に出場し、9月には渡辺博之に代わり一塁手の定位置を得る。1958年は開幕から六番打者として起用され、124試合に出場し、初めて規定打席(打率.225、リーグ25位)に達する。同年5月28日の大洋戦では1試合3失策を犯している[1]

1959年は四番打者に定着。6月25日の天覧試合では、6回表に藤田元司から試合を一時引っ繰り返す逆転2点本塁打を放つが、その後同点に追いつかれ、9回裏に長嶋茂雄がサヨナラ本塁打を放ち、藤本はヒーローになり損ねている。また、同年にはオールスターゲームにファン投票で選抜されるも、7月25日の対広島カープ戦で大石清から顔面に死球を受けて入院したため、出場できなかった[2]。シーズンでは打率.278(リーグ9位)、24本塁打の好記録を残し、ベストナインに選ばれる。1960年遠井吾郎に一塁手を任せ、開幕から右翼手に回るが打撃は好調。シーズン後半には一塁手に戻り、森徹らを抑えて本塁打王(22本塁打)、打点王(76打点)の二冠を獲得した。

1961年は打率.300(リーグ3位)の好記録を残し、自身2度目のベストナインに選ばれる。1962年も中心打者として初のリーグ優勝に貢献し、東映フライヤーズとの日本シリーズでは全7戦に四番打者として出場。チームは敗退したが33打数11安打2本塁打6打点と活躍した。同年10月25日に島倉千代子婚約テレビで島倉の容姿に惚れた藤本が、新聞記者から島倉の自宅電話番号を聞き出し、島倉に直接電話をかけてデートに誘ったのが交際のきっかけとされる[3]

しかし、1963年になると打撃不振に陥り、8月には故障もあり欠場、遠井に一塁手のレギュラーを明け渡す。同年12月5日に島倉千代子と結婚した(媒酌は藤本定義夫妻)。1964年は遠井と併用され2度目のリーグ優勝を果たすが、南海ホークスとの日本シリーズでは3試合に代打で起用されるにとどまる。1965年も遠井との定位置争いが続くが、翌1966年以降は出場機会が減少。1967年の最終戦に一塁手、五番打者として先発出場した後、同年限りで現役引退。

引退後

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引退後は1968年1月に大阪市心斎橋クラブ「藤」を開店するが、同年5月に島倉と離婚。1970年11月に佳代子夫人と再婚し、翌1971年9月からスナック「ジャガー」を経営した[4]

選手としての特徴

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荒削りだが、バットの真芯で捉えた打球はピンポン球のように弾む、抜群の腕力から放つ本塁打が魅力だった[5]藤本定義からは「一見して不器用に見えるが実は身体は軟らかく、バッティングがナイーブ」と評された[6]

人物

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1957年に巨人戦で安打を打って一塁に立った際、川上哲治から「この世界で悔いのないようにやりなさい」と声をかけられる。藤本はこれに対して直立不動で大声で「ハイッ!ありがとうございますッ!」と答え、以来「悔いのない人生」を座右の銘とした[6]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1956大阪
阪神
2221110020000000010.500.5001.0001.500
195761147140133531864241101500324.250.274.457.731
195812441037835851421615149240427518311.225.276.399.675
195912750245054125194242248144054542638.278.343.498.840
196011947441356104173221937631155382698.252.336.467.803
196110842137036111162815541630446415810.300.375.419.794
1962121475429441101311517057000240436611.256.323.396.719
1963612041751238305561501032402248.217.314.320.634
1964832141771950607773422033420365.282.393.435.828
196511031929023651405942933022304559.224.288.324.613
19666611910062160130910001801301.210.336.300.636
19675162554111021850000710180.200.290.327.618
通算:12年1033334929793037561131311312344202219129322281653575.254.327.414.741
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更

タイトル

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表彰

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背番号

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  • 53 (1956年 - 1957年)
  • 5 (1958年 - 1967年)

登録名

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  • 藤本 克巳 (ふじもと かつみ、1956年 - 1957年)
  • 藤本 勝巳 (ふじもと かつみ、1958年 - 1967年)

脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^阪神マルテNPB初不名誉記録 一塁手1試合4失策日刊スポーツ 2020年10月23日
  2. ^『背番号の消えた人生』195-196頁
  3. ^『背番号の消えた人生』198-199頁
  4. ^『背番号の消えた人生』199頁
  5. ^『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』227頁
  6. ^ab『猛虎大鑑』47頁

参考文献

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  • 近藤唯之『背番号の消えた人生』新潮文庫、1985年
  • 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年
  • 『猛虎大鑑1936-2002 スーパー・カタログ・阪神歴代成績上位「打者200人&投手100人」 完全保存版』(BBmook スポーツ・スピリット21)』ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目

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外部リンク

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