| 薬師如来 | |
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慧日寺跡 薬師如来坐像 | |
| 名 | 薬師如来 |
| 梵名 | 「バイシャジヤグル」 भैषज्यगुरु भैषज्यगुरुवैडूर्यप्रभराज |
| 蔵名 | སངས་རྒྱས་སྨན་བླ |
| 別名 | 薬師瑠璃光如来 薬師仏 大医王 医王善逝 |
| 種字 | |
| 真言・陀羅尼 | オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ 他 (#真言参照) |
| 経典 | 『薬師瑠璃光如来本願功徳経』 『薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌』 『薬師七仏供養儀軌如意王経』 |
| 信仰 | 密教 真言宗 天台宗 十三仏信仰 チベット仏教 |
| 浄土 | 東方瑠璃光浄土 |
| 関連項目 | 大日如来 釈迦如来 阿閦如来 日光菩薩 月光菩薩 |
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薬師如来(やくしにょらい、サンスクリット語:भैषज्यगुरु、Bhaiṣajyaguru[1]、バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する[1]。
三昧耶形は薬壺、または丸薬の入った鉢。種字は尊名のイニシャルのバイ(भै、bhai)[2]。
薬師如来が説かれている代表的な経典は、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)と、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)であるが、そのほかに建武〜永昌年間(317〜322年)の帛尸梨蜜多羅訳、大明元年(457年)の慧簡訳、大業11年(615年)の達磨笈多訳が知られている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
真言宗では両部曼荼羅に記されていないが、東寺の金堂本尊(重要文化財)であり、醍醐寺の上醍醐や薬師堂の本尊(国宝)であり、国家鎮護の如来として多くの真言宗寺院の本尊として重視されている。「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多い。
一方で伝統的に朝廷と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国(日本)の帝である天皇と結び付けられもした。「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
東方の如来という事から五智如来の阿閦如来とも同一視される(例:高野山壇上伽藍金堂)。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんじょう)が執り行われる。
十二の大願は以下の通り[3]。
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。

江戸幕府初代将軍の徳川家康は、没後に神格化が進められた。当時徳川将軍家のブレーンであった天海大僧正などの働きもあり、天台宗系の山王一実神道によって家康は薬師如来を本地とする権現とされ、朝廷より「東照大権現」の神号が下された。以後、江戸時代を通じて家康は全国各地の東照宮に祭祀され、神君、権現様と呼ばれて崇拝された。
また、徳川家康は生母於大の方が鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の薬師如来に祈願して誕生したと言われる。
薬師如来の真言は、以下の通り。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ(oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā)[注釈 2][注釈 3][4]
※「センダリ」「マトウギ」とは、病気の原因たる病原体や災厄の意味であり、同語で表される被差別階級の意味はここでは有しない。
オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā)[注釈 4]
ノウマク バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ マカバイセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Namo bhagavate bhaiṣajyaguru vaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksambuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye mahābhaiṣajya-samudgate svāhā)[注釈 5]
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壺を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壺を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。なお、毎月12日とする所もあり、これは薬師如来の十二大願に由来すると考えられている[5]。
国分寺のほとんどは現在は薬師如来を本尊としている。
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺、神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
日本において造像は極めて多数であり、ここでは国宝を列挙するにとどめる。