
落合 慶四郎(おちあい けいしろう、1886年(明治19年)4月16日[1] -1965年(昭和40年)3月12日[2])は、日本の内務官僚。徳島県知事、東京市第一助役、宇都宮市長、福井市長。
島根県神門郡、のちの簸川郡朝山村(現出雲市)出身[3]。落合亀四郎の二男として生まれる[3]。1910年、日本大学大学部法律学科を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年、内務省に入り徳島県属となる。
以後、徳島県理事官、鳥取県東伯郡長、山梨県理事官、大分県警察部長、三重県警察部長、長野県警察部長、群馬県書記官・内務部長[4]、秋田県書記官・内務部長[5]、石川県書記官・内務部長[6]、愛知県書記官・警察部長、神奈川県内務部長などを歴任。
1931年12月、徳島県知事に就任し、1933年6月まで在任。その後、東京市第一助役、宇都宮市長、福井市長を務めた。
1965年3月12日死去。享年78。
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| 先代 富沢世一 | 第14代:1936年 - 1940年 | 次代 入江操 |
| 官選 | |
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