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草薙幸二郎

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(2018年3月)
くさなぎ こうじろう
草薙 幸二郎
本名草薙 幸次郎(くさなぎ こうじろう)[1][2][注 1]
生年月日 (1929-09-19)1929年9月19日
没年月日 (2007-11-11)2007年11月11日(78歳没)
出生地日本の旗日本東京都北区
死没地日本の旗日本東京都三鷹市
血液型A型
職業俳優
ジャンル舞台映画テレビドラマ
活動期間1953年 -2007年
配偶者真下治子
著名な家族草薙仁(長男)
草薙かおり(娘)
受賞
エランドール賞1956年
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草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年昭和4年〉9月19日[1][2][3][4] -2007年平成19年〉11月11日[1])は、日本俳優

東京市[3]北豊島郡王子町(現:東京都北区)出身[1]日本大学文学部哲学科中退[3][1]劇団民藝を経て[3]、アクターズカンパニーに所属していた[3]

長男の草薙仁は俳優[1]で、長女の草薙かおりも元女優。

来歴・人物

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1941年に巣鴨商業に入学したが、戦災により三重県津市立励精商業に転校し卒業。戦後、日本大学文学部哲学科に入るが中退。定職もなく過ごすうち1951年に土方与志の人民演劇集団の移動隊に加わり農漁村を巡回し、翌年から本格的に新劇俳優を志して劇団民芸の勉強会に研究生として入団。1956年から1971年に退団するまで民芸の一員として『郡上の立百姓』『イルクーツク物語』ほかの舞台に立つ。映画初出演は民芸=近代映協作品「夜明け前」(53)。56年、八海事件を扱った今井正監督「真昼の暗黒」に主役で抜擢され、老夫婦殺害の主犯として死刑を宣告され、「まだ最高裁があるんだ」と絶叫する植村清治の役を迫真的に演じ、第1回製作者協会新人賞を受ける。なお、同時受賞者に石原裕次郎高倉健川口浩がいる。これをきっかけに映画出演の誘いがあいついでかかり、とくに日活アクションには数多く出演。凄腕の刺客や謎の中国人など悪役を数多く演じた。痩せこけた頬に細い目の光る容貌を巧みに誇張した陰惨なムードでしたたかな演技者ぶりを見せた。

70年代以降も時代劇から現代劇、ロマンポルノにアイドル映画、コメディとジャンルを問わず、映画、テレビドラマと晩年まで数多くの作品にバイプレーヤーとして活動した。

2007年11月11日間質性肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。78歳没。

出演

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映画

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テレビ作品

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オリジナルビデオ

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吹き替え

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映画

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ドラマ

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脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^芸名と同じとする資料もある[3]

出典

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  1. ^abcdef新撰 芸能人物事典 明治〜平成. “草薙 幸二郎”. コトバンク. 2019年9月20日閲覧。
  2. ^ab掛尾良夫 編「男性篇」『声優事典』(第二版)キネマ旬報社、1996年3月30日、102頁。ISBN 4-87376-160-3 
  3. ^abcdef日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、72頁。 
  4. ^成美堂出版 編「男性篇」『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月10日、434頁。ISBN 4-415-00878-X 

外部リンク

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