茅野 治郎八(かやの じろはち、生没年不明)は日本の実業家。
大正7年(1918年)中、南灘区区長当選[1]。
大正10年(1921年)中、灘一区区長当選[2]。
古くより鳥取県米子市有数の海産物問屋として其の取引先遠く北海道、満鮮地方に及び堅実な経営は益々斯業の大をなすに至り、昭和3年(1928年)より刻鯣の製造に着手し近時軍需品として相当数量を供出しつつある[3]。
地方産業の進展に貢献した[3]。
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