| わかばやしく 若林区 | |||
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| 国 | |||
| 地方 | 東北地方 | ||
| 都道府県 | 宮城県 | ||
| 市 | 仙台市 | ||
| 市町村コード | 04103-3 | ||
| 面積 | 50.86km2 | ||
| 総人口 | 142,337人[編集] (推計人口、2026年1月1日) | ||
| 人口密度 | 2,799人/km2 | ||
| 隣接自治体 隣接行政区 | 仙台市(青葉区、宮城野区、太白区) 名取市 | ||
| 若林区役所 | |||
| 所在地 | 〒984-8601 宮城県仙台市若林区保春院前丁3番地の1 北緯38度14分38.9秒東経140度54分2.7秒 / 北緯38.244139度 東経140.900750度 /38.244139; 140.900750 | ||
| 外部リンク | 仙台市若林区役所HP | ||
| ウィキプロジェクト | |||
若林区(わかばやしく)は、仙台市を構成する5行政区のうちのひとつ。面積、人口ともに同市の行政区のうちで最小(最少)である。

仙台市の南東部に位置する。広瀬川と名取川を西南の境とし、東は仙台湾に面する。北は宮城野区、西は青葉区と接する。
全体的に低平な土地である。区の中心部を国道4号仙台バイパスが縦断しており、仙台バイパス付近より西側は住宅地、東側は水田地帯となっていたが、仙台市地下鉄東西線開業以降は荒井や六丁の目など東側の沿線地域でも生活環境の整備が進んでいる。
太平洋に面する地域は東日本大震災で甚大な津波被害を受けたが、農地の大区画化、津波避難施設や海岸公園、東部復興道路などの整備が行われ、集団移転跡地の利活用なども進んでいる。
1989年に若林区が誕生するまで、現在の若林区の区域が一つのまとまりとされたことはなかった。区の西端は江戸時代から城下町仙台の一部で、それより東は近郊の農村であった。1989年4月1日に仙台市が政令指定都市に移行した際に、市の南東部を一個の区として設けたのが若林区である。
区名の「若林」は、伊達政宗が造営した若林城(現:宮城刑務所)に由来する。区名公募の1位は東区、2位は南区、3位は広瀬区で、若林区は4位であった。区名には方角や「中央」などの抽象名詞を使用しない方針がとられたため、東区と南区は除外された。広瀬区は他の区の公募でも上位にあり、かつ広瀬川の上流・中流の地域の方が広瀬のイメージにふさわしいという理由で退けられた[1]。
若林区役所(旧養種園)の周辺には、古墳時代に遠見塚古墳、猫塚古墳、法領塚古墳など多くの古墳が造られた。奈良時代には現在の木ノ下地区に陸奥国分寺、陸奥国分尼寺が建立された。中世にはこの辺りから国分氏が興り、今の仙台市域の大部分を支配した。伊達政宗が江戸時代初期に仙台城下町を築いた際、この付近の人々が現在の国分町に移された。区の過半は宮城郡に属していたが、南部は名取郡に属し、室町時代に粟野氏が現在の沖野地区に舘(沖野城)を構築して茂ヶ崎城の出城とした。今泉地区にも須田玄蕃の館(今泉城)があったとされる。太白区の郡山地区などと並び、現在の仙台市中心部よりも古い歴史を持つ地域である。
区の東部は水田地帯となっており、稲作が盛んである。区の北部の卸町地区は仙台市の流通拠点であり、仙台市中央卸売市場も同地区内にある。
卸町や大和町地区には古くから県外金融機関が進出している。また、2015年の仙台市地下鉄東西線開通と前後して、六丁の目や荒井地区において県内外の金融機関の配置転換や新規参入が進んでいる。

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