| この項目では、広島県にあった町について説明しています。他の地名については「船越町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
| ふなこしちょう 船越町 | |||||
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旧船越町役場 | |||||
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| 廃止日 | 1975年3月20日 | ||||
| 廃止理由 | 編入合併 船越町、矢野町 →広島市 | ||||
| 現在の自治体 | 広島市 | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 | |||||
| 地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
| 都道府県 | 広島県 | ||||
| 郡 | 安芸郡 | ||||
| 市町村コード | 34303-0 | ||||
| 面積 | 3.25km2 | ||||
| 総人口 | 14,412人 (1974年3月31日) | ||||
| 隣接自治体 | 広島市、安芸郡海田町、安芸郡府中町 | ||||
| 船越町役場 | |||||
| 所在地 | 広島県安芸郡船越町 | ||||
| 座標 | 北緯34度22分18秒東経132度31分32秒 / 北緯34.37175度 東経132.52556度 /34.37175; 132.52556座標:北緯34度22分18秒東経132度31分32秒 / 北緯34.37175度 東経132.52556度 /34.37175; 132.52556 | ||||
| 特記事項 | 当時の町役場は一時期「安芸区役所」として使われ、現在は「広島市水道局工事事務所安芸工事事務所」及び「広島市安芸区役所別館」として使われている。 | ||||
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船越町(ふなこしちょう)はかつて広島県安芸郡に存在した町である[1]。
1975年3月20日に安芸郡矢野町とともに広島市に編入されて消滅した。ちなみに安芸郡船越・矢野両町の編入は広島市の政令指定都市昇格(1980年4月1日)前最後の合併でもあった。現在は、政令指定都市になったことで全域安芸区になっている。船越の云われは、近代デジタルライブラリ「神武天皇聖蹟誌」を参照の事。
隣接する海田町とは、明治年間初頭に瀬野川の改修工事や鴻治新田の境界争いなど対立が生じていた[2] 一方、経済的な密接さから大正年間には両町合同の商工会の結成されたほか、1939年(昭和14年)には両町合併への機運が高まるなど密接な関係にあった[3]。1955年(昭和30年)には安芸郡九ケ町村での合併が模索されるも決裂。その後、農協の合併や消防組合の結成を通じて安芸郡内の結びつきが高まったが、最終的には矢野町とともに広島市への編入を選択している。
『大日本篤農家名鑑』によれば、船越村の篤農家は「山内豊三郎、白倉義哉、上田榮太郎」などがいた[4]。
合併を経験せず、単独村政→単独町政を続けた末に広島市に編入されたため編成されていない。
国鉄山陽本線と国鉄山陽新幹線(町内は全区間府中トンネルになっていて明かり区間はない)が通っているが、駅などの施設はない。海田市駅(安芸郡海田町)が基本的には最寄り駅であった。呉線も同時に通っており、町の中程で山陽本線と人工のトンネルで交差している。全線電化以前はオープンな客車であったため車両から乗り出した乗客がトンネルに当っての死亡事故が多かった。
町内に主要地方道は通っていない。
1965年から1973年まで、広島電機大学附属高等学校の女子部が町内に有り、その後船越町役場→安芸区役所本庁に転用。2019年時点で安芸区役所別庁として使われている。
船越 | |
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安芸区役所(2008年)/ 広島市との合併後に、同市が政令指定都市に移行した際に設置された。 | |
| 国 | |
| 都道府県 | |
| 市町村 | |
| 区 | |
| 等時帯 | UTC+9 (JST) |
| 郵便番号 | 736-0081、736-0082 |
| 市外局番 | 082[10] |
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ここでは、旧船越町の領域を便宜上、船越 (広島市)と置く。