| 自由党 | |
|---|---|
初代総裁・吉田茂 | |
| 成立年月日 | 1950年3月1日[1][2] |
| 前身政党 | 民主自由党[1][2][3] 民主党(連立派)[1][2][3] |
| 解散年月日 | 1955年11月15日[3] |
| 解散理由 | 日本民主党との保守合同[2] |
| 後継政党 | 自由民主党[2][3][4] |
| 政治的思想 | 保守主義[2][4] 経済復興[2]・経済再建[5] 漸進的再軍備[2] 親米[5] |
| 政治的立場 | 右派[6] |
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自由党(じゆうとう)は、日本の政党。
後に長期政権を築くことになる自由民主党の直接の前身の一つ。後にこの党から鳩山一郎ら反吉田派が分離してできた自由党(鳩山自由党)と区別するために吉田自由党(よしだ じゆうとう)と呼ぶこともある。
前身にあたる民主自由党は、第3次吉田内閣の単独与党として第24回衆議院議員総選挙(1949年1月23日投開票)で過半数の勢力を得たが、吉田首相はサンフランシスコ講和条約の交渉や戦後体制の安定化を目的として、保守二大政党の片割れであった民主党の犬養健総裁に連携を打診[7]。民主党は連立派(犬養総裁、保利茂幹事長)と野党派(苫米地義三最高委員長)に分裂し[8]、1950年(昭和25年)、民自党が民主党の合同支持派を吸収する形で合流、自由党を結成した(「第二次保守合同」)。
第3次吉田内閣の下で1951年11月18日、サンフランシスコ講和条約は批准、成立。吉田首相はこの成果を基に長期政権の継続を目論むが、前後して公職追放が解除された鳩山一郎元総裁が政界復帰し、自由党史の後半は吉田、鳩山両派の党内抗争に明け暮れることになる。
1952年10月2日、第25回衆議院議員総選挙において鳩山以下追放解除組が当選し、吉田系と党内を二分する勢力を確保。独自の首班指名工作を行い揺さぶりをかける鳩山元総裁に対して吉田総裁は、鳩山の掲げる自由党の"民主化四原則"を呑むことを約束したことにより、鳩山は一時的に吉田首班をよしとして第4次吉田内閣が成立するが、側近の三木武吉ら強硬派は鳩山が折れたことに不満で、「民主化同盟」を結成して吉田を突き上げる。吉田は人事で報復し、民同派を要職から締め出すが、1952年度補正予算案審議で民同派が野党の修正案に賛成する立場を表明すると、吉田は折れ、除名されていた河野一郎や石橋湛山の復党を了承。1953年1月には三木を総務会長に登用する[9]。
この直後、吉田首相の失言(いわゆる「バカヤロー発言」)による政局で、広川弘禅派が鳩山系に寝返ったことにより、吉田執行部はまとめて民同派や鳩山系もろとも叩き潰す機会と考え、1953年2月14日、衆議院解散(バカヤロー解散)。同時に鳩山系は脱党し、分党派自由党(鳩山自由党)を結党する。4月19日、第26回衆議院議員総選挙では自由党は振るわず半数割れ。第5次吉田内閣は民主党の後身である改進党の閣外協力を得て政権運営しつつ、分党派自由党の資金繰り鳩山へ経費の肩代わりを甘言。つられた鳩山らはまたしても吉田の元に戻る(一部は日本自由党を結党して袂を分かつ)。
1954年3月、造船疑獄が明るみに出ると、反吉田系保守勢力と吉田おろしの動きが勃発。鳩山はみたび吉田の下を飛び出し、11月15日、日本民主党を結党する。吉田は、緒方竹虎副総裁に総裁職を譲りつつ、なおも衆議院解散を志すが、大義がないと反対されて断念。11月29日に鳩山が首班指名を受けて第1次鳩山内閣が発足、自由党は野党に転ず。1955年2月27日、第27回衆議院議員総選挙にて、自由党は大敗を喫する。この後、伸長する日本社会党ら革新勢力を前に民自両党の合同の機運が盛り上がり、11月15日、自由民主党を結党、自由党は解党した(保守合同)。
| 総裁 | 幹事長 | 総務会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
|---|---|---|---|---|
| 吉田茂 | 広川弘禅 | 星島二郎 | 佐藤栄作 | 大野木秀次郎 |
| 〃 | 佐藤栄作 | 益谷秀次 | 根本龍太郎 | 〃 |
| 〃 | 増田甲子七 | 広川弘禅 | 吉武恵市 | 〃 |
| 〃 | 〃 | 益谷秀次 | 水田三喜男 | 〃 |
| 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 大屋晋三 |
| 〃 | 林譲治 | 〃 | 〃 | 〃 |
| 〃 | 〃 | 〃 | 木暮武太夫 | 〃 |
| 〃 | 佐藤栄作 | 三木武吉 | 〃 | 〃 |
| 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 松野鶴平 |
| 〃 | 〃 | 益谷秀次 | 池田勇人 | 〃 |
| 〃 | 池田勇人 | 大野伴睦 | 水田三喜男 | 〃 |
| 緒方竹虎 | 石井光次郎 | 〃 | 〃 | 〃 |
(参考文献:村川一郎・石上泰州『日本の政党』1995年3月、丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9,衆議院・参議院『議会制度百年史 院内会派編貴族院・参議院の部』1990年11月、大蔵省印刷局、ISBN 4-17-164809-2)
| 代 | 総裁 | 在任期間 | |
|---|---|---|---|
| 1 | 吉田茂 | 1950年(昭和25年) -1954年(昭和29年)12月8日 | |
| 2 | 緒方竹虎 | 1954年(昭和29年)12月8日 -1955年(昭和30年)11月15日 | |
(参考文献:村川一郎・石上泰州『日本の政党』1995年3月、丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9)
| 選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 第25回総選挙 | 240/475 | 466 | 追加公認+4、離党-2 |
| 第26回総選挙 | 199/316 | 466 | 追加公認+3 |
| 第27回総選挙 | 112/248 | 467 | 追加公認+2 |
| 選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第2回通常選挙 | 52/136 | 24 | 250 | 追加公認+1 |
| 第3回通常選挙 | 46/93 | 47 | 250 | 追加公認+1 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
| 前身:自由党・日本民主党 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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