自由が丘検車区(じゆうがおかけんしゃく)は、かつて東京都目黒区自由が丘に存在した東京急行電鉄の車両基地。
自由が丘駅に近接しており、東急大井町線を管轄していた。廃止後、跡地には東急グループの商業施設「トレインチ自由が丘」が建設された。
当基地の設立当時、大井町線の列車は2・3両の短編成であり、かつ編成の増解結が容易な両運転台車が多かったため、検修庫と有効長の短い留置線を複数有しており、小規模ながら検車区としての体裁を有していた。その後編成長が長くなるにつれて、有効長確保のために留置線の本数が減少してゆき、余剰地は駐車場などに転用されていった。
そして、大井町線の車両が20 m車の5両編成に統一されると留置線は3本となり、有効長確保のための策として、珍品といえる、2本ずつ重なったトングレールを持つ三枝分岐器が設置された。これは踏切に隣接した観察容易な場所ゆえ、鉄道ファンの注目を集めていた。

1966年(昭和41年)、田園都市線の延伸に伴い、検車区機能が鷺沼検車区に移転し、自由が丘検車区は廃止され、自由が丘留置線と改称する[1]。
さらに1979年(昭和54年)、鷺沼検車区が長津田へ移転して長津田検車区となり、自由が丘車庫は長津田検車区の管轄となった。
車庫となってからも大井町線用車両が留置されていたが、2005年(平成17年)10月には3本のうち2本が撤去され、同時に特徴だった三枝分岐器も無くなった。留置線撤去の理由は、2008年(平成20年)3月に急行運転実施に関連して実施された6両編成化などによる自由が丘駅のホーム有効長確保のためとされている。なお、当地に留置不能となった2本の編成は田園都市線梶が谷駅の引き上げ線と溝の口駅4番線への留置に変更された。
2006年(平成18年)10月、自由が丘車庫の跡地に商業施設「トレインチ自由が丘」がオープンした。
2007年(平成19年)11月15日をもって留置線はいったん廃止されたが、2009年(平成21年)に留置線1線の使用が再開され、5両編成1本を留置する。
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