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肥前電気鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
肥前電気鉄道株式会社
種類株式会社
本社所在地日本の旗日本
佐賀県藤津郡嬉野町下宿
設立1911年(明治44年)2月28日
業種鉄道
事業内容電気鉄道事業電気供給事業
代表者長谷川公平(社長)
資本金100万円(全額払込済み)
株式数20万株(額面50円)
収入29万4445円
支出21万8015円
純利益7万6430円
配当率年率4.8%
決算期4月末・10月末(年2回)
上表は1931年2月時点ないし1930年10月期決算による[1][2]
肥前電気鉄道
路線総延長9.8 km
軌間1067 mm
電圧600V架空電車線方式直流
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
uexKBHFa
0.0嬉野駅
uexBHF
0.9下宿駅
uexBHF
2.1今寺駅
uexBHF
3.0式浪駅
uexBHF
4.6大草野駅
uexBHF
6.2橋山駅
uexBHF
7.0美野駅
uexBHF
8.3宮ノ元駅
uexSTR+ruexSTR
9.8塩田駅
uexSTR
祐徳軌道
uexSTR
武雄方面

肥前電気鉄道(ひぜんでんきてつどう)は、かつて佐賀県藤津郡塩田町および嬉野町(現在はいずれも嬉野市)内において運行されていた軌道鉄道路線路面電車)およびその運営事業者(肥前電気鉄道株式会社)である。

会社は1911年(明治44年)に設立。路線は1915年(大正4年)に開業し、1931年(昭和6年)に全線廃止となった。その後会社は肥前電気株式会社という電力会社として存続するが、1937年(昭和12年)に東邦電力へと事業を譲渡して消滅した。

歴史

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九州鉄道(初代)が、現在の九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線大村線長崎本線にあたる山口駅(現・江北駅) -諫早駅間ルートを建設する際、温泉宿に泊まるものがいなくなって街が寂れることを懸念した嬉野町は、当初同町中心部に路線が通される予定であったものを一蹴してしまい、後になって鉄道の至便性を見て「痛哭の思い」「百年の悔い」と大いに悔いたといわれる[3]鉄道忌避伝説の一種である。

真偽はともかく嬉野では、高橋駅 -武雄駅前駅 - 塩田駅 - 祐徳門前駅間の鉄道路線を開業させていた祐徳軌道1904年(明治37年)開業、1931年(昭和6年)廃止)に接続させる形で、塩田 - 嬉野間に電気鉄道線を建設することにした。こうして1915年(大正4年)12月に開業したのが肥前電気鉄道である。計画では嬉野から先、長崎本線(当時)彼杵駅までの建設も予定されており、工事も実施されたが、資金難により未完成のまま中止された。また嬉野と長崎本線武雄駅(現・武雄温泉駅)を結ぶ路線の免許も取得していたが、着工に至らず免許取消しとなった。その後国鉄バス1942年(昭和17年)に武雄 - 彼杵間を嬉野線として開業させている。

鉄道事業のほか、自社で発電所を保有し、沿線の藤津郡と近隣の杵島郡および長崎県東彼杵郡の一部地域において電気供給事業も行っていた。しかし会社の経営は思わしくなく、1920年代には兼業の電気事業の収益により業績を維持していたが、昭和恐慌により電力需要が下がり業績が落ち込んでいった。加えてバスの発達により輸送人員が減少し、さらに祐徳軌道の廃止が決定打となり1931年(昭和6年)に鉄道路線は全廃された。廃線前年の1930年(昭和5年)、大手電力会社東邦電力が当時の社長から株式を買収[4]。その後1932年(昭和7年)5月に「肥前電気株式会社」へと改称して電力会社として一旦存続したが、事業は1937年(昭和12年)10月31日付で東邦電力へと渡った[4]

なお、現在祐徳軌道の事実上の後身である祐徳自動車がかつての肥前電気鉄道と一部の経由地や停留所の名称が一致する路線バスを嬉野から塩田を経由して鹿島の祐徳稲荷神社まで運行している。

年表

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鉄道路線

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路線データ

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1925年(大正14年)当時

運行概要

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1930年(昭和5年)4月1日当時

21往復(6-22時台に、朝時間帯は毎時2往復、その他は毎時1往復)

停留場一覧

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嬉野 - 下宿 - 今寺 - 式浪 - 大草野(←南大草野) - 橋山 - 美野 - 宮ノ元 - 塩田

接続路線

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祐徳軌道の塩田停留所は、現在の嬉野市役所塩田庁舎前付近にあたる国道上に位置しており、肥前電気鉄道の塩田駅はそこから100メートルから200メートル程度離れた位置に所在していた[16]

車両

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電車

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開業時に梅鉢鉄工所でオープンデッキの木造2軸単車1・2号[17]を、1917年(大正6年)にほぼ同形の車両3・4号を丹羽電機製作所(京都市)で製造した。1931年(昭和6年)、廃止直前に小倉電気軌道(後の西日本鉄道北方線)に3・4を譲渡し、廃止後に1・2も同社に譲渡している。

小倉電気軌道では7-10となり、九州電気軌道・西日本鉄道に引き継がれ、戦後まで使用された(小倉電気軌道の電車も参照)。

貨車

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開業時に深川造船所大川町、現大川市)製の有蓋車ユ21・22を製造し、1924年(大正13年)に無蓋車ム31を追加製造した。機関車は保有せず、電車が貨車をけん引していた。

発電所

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自社の水力発電所として嬉野町内に岩屋川発電所が存在した。同発電所は鉄道開通直前の1915年(大正4年)9月に運転を開始[18]塩田川水系岩屋川(岩屋川内川)から取水する発電所で、運転開始当初はスウェーデン水車日立製作所発電機各1台(発電所出力40キロワット)、1936年時点では日立製作所製ペルトン水車・発電機各2台(発電機1台のみ奥村電機製、発電所出力170キロワット)を備えた[19][20]

この岩屋川発電所は肥前電気から東邦電力・九州配電を経て九州電力へと引き継がれて九州電力岩屋川発電所(北緯33度3分37.3秒東経129度59分6.2秒 / 北緯33.060361度 東経129.985056度 /33.060361; 129.985056 (九州電力岩屋川発電所))となり、1991年(平成3年)より出力150キロワットで運転されている[18]

電気供給事業

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肥前電気鉄道(肥前電気)の電気供給事業は、鉄道路線の開通よりも2年早い1913年(大正2年)8月1日に開業した[7]。東邦電力への事業譲渡の前年、1936年(昭和11年)12月末時点の電灯・電力供給区域は以下の通り[21]

電気供給事業の供給成績は、肥前電気鉄道時代の1931年(昭和6年)10月末時点で電灯供給3万3557灯・電力供給500馬力[1]、肥前電気時代末期の1936年10月末時点では電灯供給3万7438灯・電力供給818.5馬力・電熱供給24キロワットであった[22]

輸送・収支実績

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年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)その他益金(円)その他損金(円)支払利子(円)政府補助金(円)
191687,7951129,77542,731▲ 32,956副業7291
貯蔵品売却益金29,011
3,249
1917131,71131214,67631,579▲ 16,903電気供給33,50316,352
1918137,52137319,15830,792▲ 11,634電灯益金25,57513,584
1919194,6991,19625,63132,236▲ 6,605電灯営業益金19,787減価償却金10,000
1920202,1361,00332,18638,166▲ 5,98012,699
1921203,36284532,05731,686371
1922192,2171,17730,26631,159▲ 893
1923204,92697731,31837,341▲ 6,023電灯補助18,378
電灯業201,176
電灯業その他115,7645,07329,092
1924225,7361,40632,37136,829▲ 4,458電灯業86,63129,283
1925215,34475630,30840,302▲ 9,994電灯業76,01129,281
1926224,00263829,60545,025▲ 15,420電灯業136,89918,832
1927232,74069230,05842,405▲ 12,347電灯業130,764償却金14,577
雑損1,293
1,166
1928223,43568727,99842,684▲ 14,686電灯業160,192償却金その他40,630
1929218,30145125,33040,619▲ 15,289電灯業129,811償却金15,585877
1930195,00040022,20439,362▲ 17,158電灯業123,343雑損償却金29,755
1931149,93832615,30828,955▲ 13,647電灯電力業97,124償却金22,000
雑損10,887
19324189,373▲ 8,955電灯電力業82,802雑損52,134
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^ab『電気年鑑』昭和6年版158-159頁。NDLJP:1139464/185
  2. ^『日本全国銀行会社録』第39回下編600頁。NDLJP:1025680/859
  3. ^西九州新幹線で91年ぶり“鉄道復活” 嬉野温泉 昔の電車なぜ消えた? 背負った百年の悔い”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ (2022年9月13日). 2022年9月14日閲覧。
  4. ^abcd『東邦電力史』272頁
  5. ^「特許状」『肥前電気鉄道(元嬉野馬車)(二)・自大正元年至大正七年』384-386頁
  6. ^『日本全国諸会社役員録』第20回(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^abc『電気事業要覧』第9回154-155頁。NDLJP:975002/97
  8. ^「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年4月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^「軽便鉄道免許状下付」『官報』1917年4月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^「軽便鉄道免許失効」『官報』1918年1月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年2月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^「地方鉄道停留所設置」『官報』1920年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^「鉄道起業廃止」『官報』1927年6月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^「鉄道営業廃止」『官報』1932年2月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^河野潤一郎「佐賀にあった「幻の鉄道」 運行わずか16年…面影をたどってみた」『西日本新聞 佐賀版』西日本新聞社、2020年10月11日。2020年10月17日閲覧。
  17. ^1号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ab『九州地方電気事業史』772頁
  19. ^『電気事業要覧』第9回246-247頁。NDLJP:975002/143
  20. ^『電気事業要覧』第28回1104-1105頁。NDLJP:1073625/596
  21. ^『電気事業要覧』第28回805頁。NDLJP:1073625/445
  22. ^『電気年鑑』昭和12年版146頁。NDLJP:1114997/231

参考文献

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。2017年11月

関連項目

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公営
第3セクター等
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軌道法に拠る路線のみ。印は一部区間が別路線として現存、印は廃止後ほぼ同区間に別路線が開業。

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