網走市(あばしりし)は、北海道東部にある市。オホーツク総合振興局の振興局所在地でオホーツク圏における中核都市である[2]。1994年(平成6年)には近隣4市町とともに「オホーツク北網地方拠点都市地域」に指定されている[2]。
「網走」という地名の由来は諸説あり不明であるが、いずれもアイヌ語に漢字にあてたものとされている[3][4]。
| アイヌ語 | 意味 | 由来 |
|---|
| カタカナ表記(アコㇿイタㇰ) | ラテン翻字 |
|---|
| アパシリ | apa-siri | 漏る・地 | 洞窟があり、その口から滴が落ちていて雨漏りのようだったため。 |
| チパシリ | cipasiri | - | 岩神が「チパシリ チパシリ」と歌い舞った、 あるいは鳥が「チパシリ チパシリ」と鳴き飛んだという伝説から。 |
| チパシㇼ | ci-pa-sir | 我らが・見付けたる・岩 | かつて網走湖の南岸に、笠をかぶり立つ人の形をした白い岩があり、 アイヌが信仰の対象としたとされることによる。 松浦武四郎は『戊午日誌』において、 網走湖口の幣場であった立岩「ヂバシリ」を名の起源としている。 |
| 我ら発見したる土地 | |
| cipa-sir | 幣場(のある)・島 | かつて漁に出る時に網走川河口沖にある帽子岩[5]へ、 イナウを捧げて祈ったことに由来する。 cipaは「祭壇」を意味する古語であり、 後のアイヌにその意が理解されなくなりci-pa-sirの解釈が生じたとされる。 |
オホーツク総合振興局東部に位置し、オホーツク海に面している。丘陵地が多く、市街地は網走川河口付近とその南側に続く海岸段丘上の平地にある[6]。北西部に能取湖、中部に網走湖、東部に濤沸湖があり、内陸部は森や農村地帯が広がり、市域は「網走国定公園」の一部となっている[7]。美岬にあるヤチダモの木は「森の巨人たち百選」に選定され[8]、濤沸湖は2005年(平成17年)に「ラムサール条約湿地」に登録された[9]。能取湖や濤沸湖のサンゴ草(アッケシソウ)群落は秋になる湖岸を真っ赤に染め、卯原内のサンゴ草群生地は「日本紅葉の名所100選」に選定されている。
地勢は、網走川右岸の一部にある沖積土地帯を除きほとんど泥炭地で構成される平野で、網走湖は南から網走川が流れ込み、女満別川などを集めて北東部から再び網走川としてオホーツク海に流れている[10]。網走湖は網走川で、濤沸湖は北浜地区で海と繋がっているため汽水湖となっている[10]。濤沸湖の西にある藻琴湖周辺は三角州性低地を形成している[10]。また、市北西部にはオホーツク海に通じる海跡湖の能取湖があり、砂礫台地と岩石台地に囲まれている[10]。市街地南部は岩石台地で形成されている[10]。
- 主な山
- 主な川
- 主な湖
- 主な岬
天都山(2007年8月)
天都山頂上より網走市街を見る(2004年12月)
網走川(2011年9月)
能取湖畔のサンゴ草(2017年9月)
網走湖(2013年7月)
濤沸湖(2011年7月)
能取岬(2006年3月)
能取岬
卯原内ダム貯水池(2011年7月)
1年を通じて晴天が多く、年間降水量・降雪量は少ない[11]。海に面するため寒暖差も少なく、北海道としては比較的温暖な気候になっている[11]。1981年から2010年までの平年値は、年平均6.5℃、年平均降水量は787.6 ㎜となっている[11]。 オホーツク海型気候の特色があり、夏の季節風は弱く台風による被害はあまり見られないが、オホーツク海高気圧の北東風が作物の生育に影響を及ぼすことがある[12]。冬には例年1月中旬から3月下旬まで流氷が到来する[12]。一番暑い8月でも最高平均気温は25℃以下となっているが、日中は30℃を越える真夏日となることもある[13]。それでも夜は20℃以下まで気温が下がる[13]。冬の夜はまれに気温が-15℃以下になることもあるが、オホーツク海沿岸は内陸部と比べて冷え込みは穏やかな地域になっている[13]。なお、網走市で真夏日日数0の年は2003年が最後である
網走は、気象庁により都市化の影響が少ない観測地点として北海道の観測地点では根室、寿都とともに日本の平均気温算出地点に選ばれているが[14]、温暖化が著しく特に冬季の平均気温が急激に上昇している。これには諸説があり、流氷の減少との関連性や観測露場における「日だまり効果」を指摘している説もある[15]。
| 網走市台町(網走地方気象台、標高38m)の気候 |
|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|
| 最高気温記録°C (°F) | 11.8 (53.2) | 14.1 (57.4) | 19.7 (67.5) | 31.9 (89.4) | 35.4 (95.7) | 34.0 (93.2) | 37.0 (98.6) | 37.6 (99.7) | 32.8 (91) | 30.4 (86.7) | 21.7 (71.1) | 17.6 (63.7) | 37.6 (99.7) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | −2.2 (28) | −2.0 (28.4) | 2.3 (36.1) | 9.1 (48.4) | 14.6 (58.3) | 17.7 (63.9) | 21.4 (70.5) | 23.3 (73.9) | 20.7 (69.3) | 15.0 (59) | 7.6 (45.7) | 0.7 (33.3) | 10.7 (51.3) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | −5.1 (22.8) | −5.4 (22.3) | −1.3 (29.7) | 4.5 (40.1) | 9.8 (49.6) | 13.5 (56.3) | 17.6 (63.7) | 19.6 (67.3) | 16.8 (62.2) | 10.9 (51.6) | 4.0 (39.2) | −2.4 (27.7) | 6.9 (44.4) |
|---|
| 平均最低気温°C (°F) | −8.9 (16) | −9.6 (14.7) | −4.9 (23.2) | 0.6 (33.1) | 5.8 (42.4) | 10.2 (50.4) | 14.6 (58.3) | 16.6 (61.9) | 13.4 (56.1) | 7.0 (44.6) | 0.4 (32.7) | −6.0 (21.2) | 3.3 (37.9) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −29.2 (−20.6) | −25.7 (−14.3) | −23.2 (−9.8) | −12.4 (9.7) | −5.4 (22.3) | 0.1 (32.2) | 2.8 (37) | 4.1 (39.4) | 3.3 (37.9) | −4.6 (23.7) | −11.3 (11.7) | −18.0 (−0.4) | −29.2 (−20.6) |
|---|
| 降水量 mm (inch) | 53.8 (2.118) | 41.9 (1.65) | 39.3 (1.547) | 51.2 (2.016) | 64.1 (2.524) | 68.1 (2.681) | 85.8 (3.378) | 115.3 (4.539) | 115.0 (4.528) | 88.2 (3.472) | 58.1 (2.287) | 63.6 (2.504) | 844.2 (33.236) |
|---|
| 降雪量 cm (inch) | 90 (35.4) | 69 (27.2) | 52 (20.5) | 15 (5.9) | 1 (0.4) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 13 (5.1) | 71 (28) | 312 (122.8) |
|---|
| 平均降水日数(≥0.5 mm) | 17.8 | 14.0 | 12.2 | 11.6 | 12.0 | 11.0 | 11.0 | 12.1 | 12.7 | 12.2 | 13.4 | 15.1 | 155.0 |
|---|
| 平均降雪日数 | 27.0 | 23.5 | 22.2 | 15.2 | 4.1 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 1.9 | 14.5 | 24.1 | 132.1 |
|---|
| % 湿度 | 72 | 73 | 70 | 68 | 73 | 80 | 82 | 81 | 76 | 71 | 68 | 69 | 74 |
|---|
| 平均月間日照時間 | 111.5 | 137.9 | 172.4 | 178.6 | 187.1 | 172.2 | 167.6 | 163.9 | 162.9 | 157.4 | 121.2 | 117.4 | 1,850 |
|---|
| 出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1889年 - 現在)[16][17] |
 |
| 網走市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 網走市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 網走市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
網走市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 43,904人 | | | 1975年(昭和50年) | 43,825人 | | | 1980年(昭和55年) | 44,777人 | | | 1985年(昭和60年) | 44,283人 | | | 1990年(平成2年) | 44,416人 | | | 1995年(平成7年) | 44,176人 | | | 2000年(平成12年) | 43,395人 | | | 2005年(平成17年) | 42,045人 | | | 2010年(平成22年) | 41,006人 | | | 2015年(平成27年) | 39,077人 | | | 2020年(令和2年) | 35,759人 | |
|
| 総務省統計局国勢調査より |
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[18]。
網走地方における人類の生活がはじまったのは約2万年前からであるとされている[19]。北海道で続縄文時代となっていた5世紀ころ、オホーツク海沿岸ではオホーツク文化が起こり擦文時代が終わる13世紀ころまで約800年続き、樺太や千島列島にもあったとされている[20]。少数民族のニヴフによって樺太南部ではじまったとされ[20]、北方民族の生活スタイルを継承して北東アジアの影響を受けている[20]。オホーツク文化後期(9世紀から13世紀ころ)になると擦文文化の影響を受け、両方の文化が融合したトビニタイ文化が生まれ[20]、それまでの海岸居住に留まらず、内陸部への居住も見られるようになった[20]。なお、道北では9世紀ころにオホーツク文化が擦文文化に吸収されたとしている[20]。最寄貝塚(モヨロ貝塚)はオホーツク文化最大の遺跡として国の「史跡」に指定されている。
ウィルタは樺太の先住民族で「オロッコ」と呼ばれ、ニヴフは「ギリヤーク」とも呼ばれていたが[20]、それぞれ独自の言語を持っており、アイヌとも近い関係にあった[20]。終戦後、日本領土であったサハリン(樺太)にいて日本国籍を持ち旧日本軍に徴用された両民族の一部の人達は日本へ強制送還された。その先の1つが網走市であった[20]。ミス網走といえる網走市の「流氷パタラ」のパタラとは、ウィルタ語に由来しており、「お嬢さん」の意味がある[20]。
旧網走市役所(2010年)「あばしりの年譜」「網走市統計書 平成26年版 年表」参照[21][22]
- 歴代市長
歴代市長[32] | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|
| 代理 | 大島光雄(おおしま みつお) | 1947年(昭和22年)2月11日 | 1947年(昭和22年)4月4日 |
| 初代 | 吉田栄吉(よしだ えいきち) | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1955年(昭和30年)4月29日 |
| 2代 | 有末三郎(ありすえ さぶろう) | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1959年(昭和34年)4月29日 |
| 3代 | 遠藤熊吉(えんどう くまきち) | 1959年(昭和34年)4月30日 | 1963年(昭和38年)12月20日 |
| 4代 | 佐藤忠吉(さとう ちゅうきち) | 1964年(昭和39年)2月2日 | 1974年(昭和49年)10月17日 |
| 5代 | 安藤哲郎(あんどう てつお) | 1974年(昭和49年)12月1日 | 1998年(平成10年)11月30日 |
| 6代 | 大場脩(おおば おさむ) | 1998年(平成10年)12月1日 | 2010年(平成22年)11月30日 |
| 7代 | 水谷洋一(みずたに よういち) | 2010年(平成22年)12月1日 | 現職 |
- 網走市民憲章
わたしたちは、母なるオホーツクの海に抱かれ、湖と森の美しい自然にかこまれた網走の市民です。
わたしたちには、遠いむかしから風雪にたえぬいて、この地を切り拓いてきた、たくましい先人の心がうけつがれています。
わたしたちは、このまちの市民であることに、かぎりない喜びと誇りをもち、のびゆく網走の良い市民となる願いをこめて、ここに市民憲章を定めます。
- 1、うみやまの深いみどりをいつまでも美しく、心豊かなまちをつくりましょう。
- 1、うけついだ文化にまなび、世界の人々と手をつなぎ、新しいオホーツク文化のまちをつくりましょう。
- 1、たがいにまごころをもってつきあい、老人を大切にし、子どもの夢をそだてるしあわせなまちをつくりましょう。
- 1、元気で仕事にはげみ、いきがいのあるまちをつくりましょう。
- 1、みんなが力をあわせ、人のいのちをだいじにする、明るく住みよいまちをつくりましょう。
— 昭和47年7月17日制定[33]
- 都市宣言
「都市宣言」参照[34]
- 交通安全都市宣言(昭和39年9月30日)
- 人権擁護都市宣言(昭和48年12月20日)
- 平和都市宣言(平成3年9月17日)
- 健康・スポーツ都市宣言(平成21年9月15日)
「網走市議会」参照[35]
- 議員定数16人
- 議会
- 委員会
- 常任委員会(総務経済委員会・文教民生委員会)
- 特別委員会
- 議会運営委員会
- その他
網走刑務所(2010年3月)
網走法務総合庁舎(2015年9月)
網走開発建設部(2011年8月)
網走地方気象台(2015年9月)
地方独立行政法人
- 北海道立総合研究機構水産研究本部
- 網走水産試験場
- さけます・内水面水産試験場道東内水面室(網走市水産科学センター内)
- 本部
- 消防署
- 出張所
- 主な病院
網走厚生病院(2010年6月)
網走中央病院(2018年8月)
- 網走駅前郵便局
- 網走大曲郵便局
- 網走北六条郵便局
- 網走駒場郵便局
- 網走南四条郵便局
- 卯原内郵便局
- 浦士別郵便局
- 北浜郵便局
- 鱒浦郵便局
- 藻琴郵便局
- 呼人郵便局
- 網走潮見簡易郵便局
- 網走つくしヶ丘簡易郵便局
- 桂町簡易郵便局
- 二ツ岩簡易郵便局
- オホーツク・文化交流施設(エコセンター2000)
- 網走市民会館
- 網走市立美術館
- 網走市立郷土博物館
- モヨロ貝塚館
- 網走市立図書館
- 網走市保健センター
- 網走市総合福祉センター
- 網走市こども発達支援センター『ふわり』
- 網走女性センター
- 網走市市民活動センター
- 網走市食品加工体験センター「みんぐる」
- 網走市勤労者総合福祉センター(ソレイユ)
- 網走市勤労青少年ホーム
- 網走市地域子育て支援センター「ひまわり」
- 網走市地域子育て支援センター「どんぐり」
- 網走市水産科学センター
- 網走青果地方卸売市場
- 網走市農村環境改善センター
- 網走市農業総合管理センター
- 網走市農産物高次加工研究所
- 網走小麦集出荷施設
- 網走市営美岬牧場
- 網走市廃棄物処分施設
- 網走市八坂火葬場
オホーツク・文化交流施設(2011年9月)
網走市民会館(2011年9月)
網走市立美術館(2011年9月)
網走市立郷土博物館(2011年9月)
網走市の夏は晴れの日が多く、日照時間が長いのが特徴となっている[36]。1988年(昭和63年)に気候やトレーニング環境が評価され、4種目(ボート競技、バドミントン、体操競技(女子)、陸上競技(長距離))でソウルオリンピックの事前合宿地となったことをきっかけにスポーツ合宿への取り組みがスタートした[37]。ラグビーはじめ陸上競技、車いすマラソン、バスケットボール、野球、ボート競技、バイアスロン、スキーなどの合宿が行われているほか[36]、北見市と連携して周辺自治体でスポーツ合宿誘致に向けた取り組みを行っている[37]。網走スポーツ・トレーニングフィールドは天然芝フィールド7面、全天候型テニスコート16面、野球場、ソフトボール場、アーチェリーー場、投てき競技専用の練習場を備えており[38]、毎年夏には観戦可能なラグビー練習試合『網走ラグビーフェスティバル』を開催している。網走市営陸上競技場では陸上競技の大会『ホクレンディスタンスチャレンジ』を開催しており、2013年(平成25年)には長距離競歩における日本オリンピック委員会(JOC)認定競技別強化センターとなった[39]。
- 網走運動公園
- 網走市総合体育館
- 網走市民健康プール
- 網走市営野球場
- 網走市営陸上競技場
- すぱーく網走(屋内ゲートボール場)
- 網走運動公園パークゴルフ場
- 網走市営桂町球技場
- 網走スポーツ・トレーニングフィールド
- フィールドスポーツエリア
- テニスコート
- アーチェリー場
- 投てき練習場
- オホーツクドーム
- 網走レークビュースキー場
- 網走市営スケート場
- 網走湖ボート場
- レイクサイドパーク・のとろ
「姉妹都市・友好都市」参照[40]
- 姉妹都市
- 姉妹都市
- 提携都市
クリオネ通り(2011年9月)産業別人口は第三次産業の割合が最も高く、次いで第二次産業、第一次産業となっている[41]。
- オホーツク網走農業協同組合(JAオホーツク網走)
- 網走地区森林組合
- 網走漁業協同組合
- 西網走漁業協同組合
- 北見漁船保険組合
- 網走地方卸売市場買受人組合
- 網走地区左官組合
農業では北海道内有数の畑作地帯となっており[12]、大型機械を導入した営農集団組織により麦類、馬鈴薯(ジャガイモ)、テンサイを中心とした大規模営農を展開しているほか[12]、ダイコン、ナガイモ、ゴボウなどの野菜類や酪農、畜産も行っている[12]。
漁業は網走沿岸において沖合底曳網、きちじ延縄、定置網、ホタテ桁、かに固定式刺網、毛がに篭などにより漁業を営んでいる[42]。網走市は日本最北の捕鯨基地でもあり、市内の捕鯨業者が沿岸小型捕鯨業(捕鯨)を行っている[42]。また、市内には湖が複数あることから内水面漁業も行われており、ホタテ、ワカサギ、シジミ、シラウオ、エビなどの漁が営まれている[42]。
- ショッピングセンター
- スーパーマーケット
ベーシック橋北店(2019年12月)
ベーシック駒場店(2019年10月)
ファースト駒場店(2019年10月)
北雄ラッキーシティあばしり店(2018年1月)
コープさっぽろあばしり店(2018年1月)
観光入込客数は年間120万人から180万人で推移しており、宿泊客の割合は26%から30%となっている[44]。流氷が滞在する冬期間の入込客数が多いのが特徴となっている[44]。
北洋銀行網走支店(2018年8月)
北海道銀行網走支店(2018年8月)
網走信用金庫本店(2018年8月)
50音順
- テレビ放送
- ラジオ放送
東京農業大学オホーツクキャンパス(2010年3月)- 市立
- 網走市立第一中学校
- 網走市立第二中学校
- 網走市立第三中学校
- 網走市立第四中学校 - 藻琴・北浜・浦士別・音根内の各校を統合し新設[46]
- 網走市立第五中学校 - 能取・嘉多山・卯原内の各校を統合し新設[47]
- 市立
- 市立
- 網走市立すずらん保育園
- 網走市立たんぽぽ保育園
- 網走市立ひまわり保育園
- 潮見保育園
- 網走幼稚園
- 網走若葉幼稚園
- 網走藤幼稚園
- 桂幼稚園
- 潮見幼稚園
- 網走地方高等職業訓練校(網走市能力開発センター)
- 網走自動車学校
網走駅(2011年9月)
網走バス本社・網走ターミナル(2011年9月)
道の駅流氷街道網走(2011年9月)
網走流氷観光砕氷船「おーろら2」(2012年3月)市内を通る一部道路は、シーニックバイウェイの「東オホーツクシーニックバイウェイ」になっている[51]。
「史跡・文化財」参照[52]
桂ヶ岡砦跡(2011年9月)
最寄貝塚(2010年4月)
博物館網走監獄庁舎(2013年7月)
五翼放射状舎房(2013年7月)
五翼放射状舎房 中央見張所(2013年7月)
教誨堂(2013年7月)
博物館網走監獄二見ヶ岡農場(2013年7月)
- 国登録
- 登録有形文化財
- 博物館網走監獄煉瓦造独居房
- 博物館網走監獄鏡橋入口哨舎
- 博物館網走監獄鏡橋出口哨舎
- 博物館網走監獄西門哨舎
- 博物館網走監獄裏門
- 博物館網走監獄裏門哨舎
永専寺山門(旧網走監獄正門)(2011年9月)
ポンモイ柱状節理(2010年6月)
- 主な寺院
- 主な神社
永専寺(2011年9月)
網走神社(2011年9月)
呼人神社(2015年1月)
施設
博物館網走監獄入場口(2013年7月)
北海道立北方民族博物館(2013年7月)
天都山展望台・オホーツク流氷館(2016年5月)
モヨロ貝塚館(2013年4月)
網走市鉄道記念館(2007年8月)
景観・公園
温泉
- 北の新大陸発見! あったか網走(1月から3月)
- あばしりオホーツク流氷まつり(2月)
- オホーツク屋台村(2月中旬)
- オホーツクあばしりツーデーマーチ(でっかいどうオホーツクマーチの網走ステージ。6月上旬)
- インターナショナルオホーツクサイクリング(7月)
- あばしりオホーツク夏まつり(7月)
- あばしり七福神まつり(9月)
- 能取湖さんご草祭り(9月)
- 「はな・てんと」まつり(9月)
- オホーツク網走フィルムフェスティバル(11月)[59]
1960年(昭和35年)に網走市の道立水産試験場で「無塩冷凍すり身」の技術が開発されたため[60]、網走は冷凍すり身発祥の地になっている[61]。スケトウダラ、サケ・オホーツクサーモン(カラフトマス)、キンキ、ワカサギ、シラウオ、シジミは網走の代表的な魚介類となっている[62]。ほかには地ビールの「網走ビール」、ブランド和牛の「オホーツクあばしり和牛」などがある。
ご当地グルメとしては、オホーツクサーモンと塩だけで熟成、ろ過した天然の調味料「白魚醤油」に漬け込んだザンギ(から揚げ)を使用した「オホーツク網走ザンギ丼」[63]、オホーツクの魚介類と網走発祥のすり身をオホーツク土器に見立てた特製の鍋で食べる「モヨロ鍋」[64]、オホーツク産のホタテ干貝柱を使用した「オホーツク干貝柱塩ラーメン」[65]、「オホーツク流氷カリー」がある。
民芸品では、アイヌ語で「木の小さな子または人形」という意味で「幸運のお守り」として作られてきた「ニポポ」[66]、北方系少数民族ウィルタの伝統紋様「イルガ」をモチーフにした「サハリンイルガ」がある[62]。
50音順
政治・経済
学術・文芸
芸能
スポーツ
その他
50音順
「網走ロケーションガイド」参照[68]
- 井上宗孝とシャープ・ファイブ「網走子守唄」
- 小野由紀子「オホーツクの海」
- 坂本冬美「呼人駅」
- 島倉千代子「流氷音頭」
- ジェリー藤尾、東京荒川少年少女合唱隊「流氷の町 網走」
- 菅原文太「ニポポ」
- 高倉健「網走番外地」
- 七浦みさ子「オホーツクの海」
- 走裕介「流氷の駅」
- 和田弘とマヒナスターズ「オホーツクの海」
注釈
- ^abクルマトマナイとはアイヌ語で「kurmat(=神女)oma(=がいる)nay(=沢)」の意。
- ^ニクリバケはアイヌ語で「ni(=木)kur(=影)pake(=頭)」の意。
- ^ニクルとはアイヌ語で「ni(=木)kur(=影)」の意。
- ^アイヌ語で「tanne(=長い)sirar(=岩)」の意。
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出典
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