| こんの みさこ 紺野 美沙子 | |||||||||||
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| 生年月日 | (1960-09-08)1960年9月8日(65歳) | ||||||||||
| 出生地 | |||||||||||
| 身長 | 167cm | ||||||||||
| 血液型 | A型 | ||||||||||
| 職業 | 女優 | ||||||||||
| 活動期間 | 1976年 - | ||||||||||
| 配偶者 | 篠田伸二(1992年 - ) | ||||||||||
| 公式サイト | 朗読座 | ||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||
| テレビドラマ 『虹を織る』 『武田信玄』 『教師びんびん物語』 『HOTEL』 『あすか』 | |||||||||||
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紺野 美沙子(こんの みさこ、1960年〈昭和35年〉9月8日[1] - )は、日本の女優。1983年エランドール賞新人賞、1987年 第10回日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。テレビドラマ、映画、舞台などで活躍。「朗読座」主宰。2022年から横綱審議委員会委員。

東京都狛江市出身。母方の祖父は福島県、祖母は岩手県陸前高田市出身[3]。東京都狛江市で、3人姉妹の次女として生まれる。カリタス小学校5年生のときに演劇部に入ったのが演劇との出会いであった[4][注 2]。
児童劇団に在籍中にNHK少年ドラマシリーズ等に出演した[5]後、1979年、3代目ユニチカマスコットガールになった[6][7]。1980年、NHK連続テレビ小説『虹を織る』のヒロインを演じた[8]。芸名は母親の旧姓の「菅野」に自分の好きな色の「紺で紺野。そして美沙子は元々両親が自分に名付けようとしていた名前で、ただ生まれた当時「沙」の字が人名用漢字に無かったために止む無く美佐子と名付けたという経緯がある[9]。
カリタス小学校、カリタス女子中学校、慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業[10][11]。学位は文学士(慶應義塾大学)。
1992年に当時TBSテレビ局員(現・富山県氷見市副市長)であった篠田伸二と結婚[12]。篠田との間に1子あり[13]。
1998年、国連開発計画親善大使に就任し、アジア・アフリカの各国を視察するなど、国際協力の分野でも活動している[14]。著作に、親善大使として訪れた国や人々について綴った『ラララ親善大使』(小学館)がある。2010年秋より「紺野美沙子の朗読座」主宰。2016年1月、岐阜県図書館名誉館長に就任[15]。
好角家としても知られ、2019年には日本相撲協会に請われて「大相撲の継承発展を考える有識者会議」委員を、2022年からは横綱審議委員会委員を務めている[16]。「元祖スー女」と呼ばれることもある[17][18]。
2021年、銚子電鉄の「激つらチャンネル」でYouTubeデビューし、作詞作曲の応援ソング『ちょうしに乗っていこう!』を『ちょうしに乗り体操』のダンスと共に披露した。
2025年3月、27年間務めた国連開発計画親善大使を女優の芦田愛菜に引き継ぎ、退任した[19][20]。
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|---|---|
| 11 - 20作 | |
| 21 - 30作 | |
| 31 - 40作 | |
| 41 - 50作 | |
| 51 - 60作 | |
| 61 - 70作 | |
| 71 - 80作 | |
| 81 - 90作 | |
| 91 - 100作 | |
| 101 - 110作 | |
| 111 - 120作 | |
エランドール賞 新人賞 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
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| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
| 10代 | |
|---|---|
| 20代 | |
| 30代 | |
| 40代 | |
| 50代 | |
| 60代 以上 | |
| 男性 | |
| 特別 賞 | |
| *は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 | |