| 細田 吉蔵 ほそだ きちぞう | |
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防衛庁長官就任に際して会見を開く細田(1980年撮影) | |
| 生年月日 | 1912年5月2日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | (2007-02-11)2007年2月11日(94歳没) |
| 死没地 | |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部卒業 |
| 前職 | 運輸官僚 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 正三位 勲一等旭日大綬章 松江市名誉市民 法学士 |
| 配偶者 | 細田静子 |
| 親族 | 細田博之(長男) |
| 内閣 | 第2次中曽根内閣 |
| 在任期間 | 1983年12月27日 -1984年11月1日 |
| 内閣 | 第2次大平内閣 |
| 在任期間 | 1980年2月4日 - 1980年7月17日 |
| 内閣 | 第2次田中角栄第1次改造内閣 第2次田中角栄第2次改造内閣 |
| 在任期間 | 1974年7月16日 - 1974年12月9日 |
| 選挙区 | 島根県全県区 |
| 当選回数 | 10回 |
| 在任期間 | 1960年 -1990年 |
その他の職歴 | |
(総裁:中曽根康弘) (1982年 -1983年) | |
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細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 -2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。
長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之[1][2]。
島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす[3]。
旧制松江高校文科甲類[4]を経て、東京帝国大学法学部卒業後の1936年、鉄道省(後の運輸省)に入省。
1960年に退官後、第29回衆議院議員総選挙に旧島根全県区から出馬し初当選(当選同期に宇野宗佑・海部俊樹・亀岡高夫・仮谷忠男・小沢辰男・佐々木義武・田沢吉郎・谷垣専一・久保田円次・伊藤宗一郎・田川誠一・渋谷直蔵・藤井勝志など)。以来竹下登、櫻内義雄、大橋武夫といった大物がひしめく中、毎回苦戦しながらも連続当選10回を果たす。自民党内では当初佐藤栄作率いる周山会に属したが、ポスト佐藤を巡り田中角栄と福田赳夫がしのぎを削った1972年の自民党総裁選では保利茂、松野頼三らと共に福田を支持。田中と袂を分ち清和会に合流した(息子の博之もやはり清和会)。
その後は福田派の幹部として、行政管理庁長官、防衛庁長官、自由民主党総務会長、運輸大臣など要職を歴任した。1990年、長男・博之に地盤を譲り政界から引退した。引退後は1997年党友組織である「自由国民会議」代表に就任し終身務めた。
2007年2月11日午前2時、東京都内の病院で急性心筋梗塞のため死去した[5]。享年94。没時、従五位から正三位に昇叙された[6]。
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 金丸信 | 第36代:1977年 - 1979年 | 次代 亀岡高夫 |
| 先代 小峰柳多 | 1972年 | 次代 井原岸高 |
| 先代 坂田道太 | 次代 小渕恵三 | |
| 公職 | ||
| 先代 長谷川峻 | 第55代:1983年 - 1984年 | 次代 山下徳夫 |
| 先代 久保田円次 | 第38代:1980年 | 次代 大村襄治 |
| 先代 保利茂 | 第38代:1974年 | 次代 松沢雄蔵 |
| 党職 | ||
| 先代 田中龍夫 | 自由民主党総務会長 第26代:1982年 - 1983年 | 次代 金丸信 |
| その他の役職 | ||
| 先代 黛敏郎 | 第2代:1997年 - 2007年 | 次代 塩川正十郎 |
| 総裁 | |
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| 長官 | |