| しゃなむら 紗那村 | |
|---|---|
紗那村全景 | |
| 国 | |
| 地方 | 北海道地方 |
| 都道府県 | 北海道根室振興局 |
| 郡 | 紗那郡 |
| 団体コード | 01699-3 |
| 面積 | 968.32km²[1] (境界未定部分あり) |
| 総人口 | 1,426人[2] (昭和15年国勢調査) |
| 人口密度 | 1.5人/km2 |
| 隣接自治体 | 留別村、蘂取村 |
| 紗那村役場 | |
| 所在地 | 北海道紗那郡紗那村 |
地図中の 10 が紗那村 | |
| 特記事項 | ロシア連邦が占領・実効支配中 |
| ウィキプロジェクト | |
紗那村(しゃなむら)は、北海道根室振興局紗那郡に属する村。同じ択捉島内の留別村に次ぎ、日本国内で2番目に大きな面積を持つ村である。ただし、2023年現在紗那村を含む北方領土に日本の施政権は及んでおらず、法令上のみ存在する村[3]となっている。
村名の由来は、アイヌ語の「サン・ナイ(下る・沢)」から。
当該地域の領有権に関する詳細は千島列島および北方領土問題の項目を、現状に関してはサハリン州#クリル管区、択捉島#ソ連崩壊後の択捉島の項目を参照のこと。

択捉島中部でオホーツク海へ突き出している、散布半島周辺にあたる。半島には活火山の散布山(ちりっぷやま)がそびえ、択捉富士の愛称で親しまれた。紗那沼周辺など比較的平地が多く、牧場では馬だけでなく牛も飼われた。
中心集落の紗那と別飛は半島の付け根に位置し、特に紗那は島内第1の集落としていち早く市街が形成され、産業・行政の中心地となっていたが[4]、紗那支庁が廃され根室支庁に統合されると衰退し、昭和に入ってからは留別村に抜かれている。
| 紗那村(1903年 – 1944年)の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 日平均気温°C (°F) | −5.6 (21.9) | −7.0 (19.4) | −4.3 (24.3) | 1.3 (34.3) | 5.2 (41.4) | 9.2 (48.6) | 13.7 (56.7) | 16.0 (60.8) | 13.4 (56.1) | 8.9 (48) | 3.2 (37.8) | −2.3 (27.9) | 4.3 (39.7) |
| 降水量 mm (inch) | 90.7 (3.571) | 52.8 (2.079) | 62.4 (2.457) | 69.7 (2.744) | 80.0 (3.15) | 64.3 (2.531) | 77.5 (3.051) | 107.9 (4.248) | 102.8 (4.047) | 120.3 (4.736) | 135.6 (5.339) | 108.7 (4.28) | 1,072.7 (42.233) |
| 出典:Sistema de Clasificación Bioclimática Mundial[5] | |||||||||||||
現在、紗那村に関する戸籍事務は根室市役所が代行している。なお、戦前の戸籍簿・除籍簿の一部は釧路地方法務局根室支局に保管され、根室支局が証明書の請求窓口となっている。
『根室・千島歴史人名事典』 による[11]。
| 1920年(大正9年) | 780人 | 男506人、女274人 | 世帯数144 |
| 1925年(大正14年) | 1,603人 | ||
| 1930年(昭和5年) | 2,308人 | ||
| 1935年(昭和10年) | 2,073人 | 男1,453人、女620人 | 定住人口1,132人 |
| 1940年(昭和15年) | 1,426人 | 男891人、女535人 | 世帯数267 |

ソ連占領後の紗那は、ロシア名クリリスク(Курильск)として、サハリン州クリル管区の中心地となっている。また、別飛はレイドヴォ(Рейдово)となり、ギデロストロイ社の大規模な水産加工工場が立地している。人口は、ソ連崩壊直前の1989年に5,157人、2006年は3,634人、2021年は2,530人である。