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米倉恒貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
米倉 恒貴
名前
愛称ヨネ、コウキ
カタカナヨネクラ コウキ
ラテン文字YONEKURA Koki
基本情報
国籍日本の旗日本
生年月日 (1988-05-17)1988年5月17日(37歳)
出身地千葉県千葉市稲毛区
身長176cm
体重71kg
選手情報
在籍チーム日本の旗ジェフユナイテッド千葉
ポジションDFSB)/MFSHOH
背番号11
利き足右足
ユース
2004-2006日本の旗八千代高校
クラブ1
クラブ出場(得点)
2007-2013日本の旗ジェフユナイテッド千葉 136(20)
2007日本の旗ジェフリザーブズ 3(0)
2014-2019日本の旗ガンバ大阪 120(5)
2019日本の旗 ジェフユナイテッド千葉(loan 16(1)
2020-日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 97(7)
通算364(33)
代表歴2
2015日本の旗日本2(0)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年2月9日現在。
2. 2015年12月31日現在。
■テンプレート■ノート■解説■サッカー選手pj

米倉 恒貴(よねくら こうき、1988年5月17日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身のプロサッカー選手Jリーグジェフユナイテッド千葉所属。ポジションはディフェンダー(右サイドバック)、ミッドフィールダー(サイドハーフ、オフェンシブハーフ)。元日本代表

経歴

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プロ入り前

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地元千葉市でサッカーを始め、FC千葉なのはなジュニアユース時代に高円宮杯全日本ユースサッカー選手権でベスト4に進出。中学卒業後、地元の強豪校である八千代高校に進学。3年生時には主将兼司令塔としてチームを牽引し、ベスト4に進出した第85回全国高等学校サッカー選手権大会では大会優秀選手に選出された。ジュニアユースと高校時代のチームメイトには山﨑亮平がいる。

ジェフユナイテッド千葉

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高校卒業後の2007年、地元のジェフユナイテッド千葉に入団。1年目はシーズン途中からセカンドチームのジェフリザーブスでプレーした。入団当初は主にボランチで起用されたが、怪我が多かったこともあり中々レギュラーに定着できなかった。

4年目の2010年にリーグ初得点を決めると、翌2011年は主にオーロイの相方を務め初めて主力に定着した。2012年は開幕前のちばぎんカップで左足腓骨骨折の重傷を負ったことでシーズン序盤を棒に振り、復帰後も先発メンバーから外れることが多かった。

2013年はシーズン序盤に主力選手に故障が相次いだことで右サイドバックに転向すると、正確なクロスを武器にこの年J2得点王を獲得したケンペスとのホットラインを形成。自身もチーム3位タイの6得点を記録するなど攻撃型サイドバックとしてジェフ攻撃陣を牽引する活躍を見せた。

ガンバ大阪

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2014年、複数のJ1クラブからオファーをもらいガンバ大阪へ完全移籍[1][2]。開幕当初は控えで、3月末に右膝の靭帯損傷により約2カ月もの間戦線離脱を余儀なくされる。後半戦は退団した加地亮に代わり右サイドバックを担い、レギュラーに定着する。サイドバック転向後では初のJ1での1年になったが、シーズン終盤になるにつれ安定感を増していき、ガンバのリーグ優勝さらに国内三冠達成に貢献した。

2015年7月23日、東アジアカップ2015に出場する日本代表メンバーに初選出された。8月9日の対中国戦で国際Aマッチデビューを飾った。クラブではほとんど起用されたことがない左サイドバックでの先発だったが、武藤雄樹のゴールをアシストする活躍を見せた。9月16日のACL準々決勝のセカンドレグの後半のアディショナルタイム、このままではアウェーゴール数の差で敗退となっていた場面で勝ち越しゴールを決め、チームにとって7年ぶりとなるベスト4進出に貢献した[3]CS準決勝浦和戦では後半から右サイドハーフで出場し、延長後半に右サイドからのクロスで藤春廣輝の決勝ゴールをアシストする活躍を見せた。

ジェフユナイテッド千葉復帰

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2019年7月29日、古巣であるジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍で復帰する事が発表された[4]。2020年からは完全移籍[5]

人物

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  • 2013年1月、一般女性との入籍を発表[6]。2016年9月に第二子となる長女が誕生[7]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦リーグ杯オープン杯期間通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本リーグ戦リーグ杯天皇杯期間通算
2007千葉31J130000030
2007千葉RJFL30-0030
2008千葉22J1803100111
20091604032232
2010J2125-10135
201111357-31388
2012222-40262
2013406-21427
2014G大阪14J12119240343
20153121040362
20162115000261
20171304010180
20182616000321
2019806000140
千葉50J2161--161
2020222--222
202111150-00150
2022280-00280
2023245-00245
202480000080
2025
通算日本J1147538312219710
日本J2222280010223228
日本JFL30-0030
総通算3723338322443240

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦期間通算
出場得点出場得点
日本リーグ戦期間通算
2018G大2314J31010
通算日本J31010
総通算1010
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2015G大阪14102
201650
201710
通算AFC162

タイトル

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クラブ

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ガンバ大阪

個人

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  • Jリーグ優秀選手賞:2回(2014年、2015年)

代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 2試合(2015年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
201520
通算20

出場

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No.開催日開催都市スタジアム対戦国結果監督大会
1.2015年8月9日中華人民共和国の旗武漢武漢体育中心中華人民共和国の旗中国△1-1ハリルホジッチEAFF東アジアカップ2015
2.2015年10月13日イランの旗テヘランアザディ・スタジアムイランの旗イラン△1-1国際親善試合

脚注

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  1. ^“米倉 恒貴選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. (2013年12月27日). http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=5468 2013年12月28日閲覧。 
  2. ^“米倉恒貴選手移籍のお知らせ”. ジェフユナイテッド千葉オフィシャルサイト. (2013年12月27日). http://www.so-net.ne.jp/JEFUNITED/news/top_team/835386 2013年12月28日閲覧。 
  3. ^“G大阪ACL4強、“救世主”米倉の軌跡。攻撃的MFからSBへのコンバートが広げた未知数の可能性”. フットボールチャンネル. (2015年9月17日). http://www.footballchannel.jp/2015/09/17/post108664/ 2016年1月11日閲覧。 
  4. ^米倉恒貴選手の加入について ジェフユナイテッド市原・千葉 2019年7月29日
  5. ^米倉恒貴選手の完全移籍加入について』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2019年12月27日https://jefunited.co.jp/sp/news/2019/12/top/157742640013127.html2020年1月22日閲覧 
  6. ^“千葉MF米倉が入籍を発表”. ゲキサカ. (2013年1月8日). https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?109664-112392-fl 2021年1月8日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  7. ^G大阪DF米倉に第2子誕生」『』ゲキサカ、2016年10月7日。2023年7月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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MF
FW
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関連項目
日本の旗
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