『第45回NHK紅白歌合戦』(だいよんじゅうごかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1994年(平成6年)12月31日にNHKホールで行われた、通算45回目のNHK紅白歌合戦。
20時から21時25分(前半)、および21時30分 - 23時45分(後半)にNHKで生放送された。
放送開始が20:00(JST)に繰り下げられ、以降第49回(1998年)まで20:00の放送開始となる。これは「4時間以上は長い」との声に応えたものである[1]。
1962年から使用されていたNHKの旧ロゴマークが使用された最後の紅白となっている。
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- 本回は出場歌手・両組司会共に対戦色が強く見られた[27](翌年の第46回も同様)。例年以上に両組司会がクローズアップされた回であり、進行役の宮川は必要最小限の進行補助(オープニング・エンディングの進行や攻守交替のアナウンス)を行うに留まり、大半の番組進行は審査員紹介も含めて上沼・古舘が担当(同コンビが続投した第46回も同様)。
- オープニングは、NHKホールの壁面に出場歌手と両組司会の写真が映し出される場面(ハイビジョン試験放送は暗転したステージの引きの画)から始まり、ホール内に画面が切り替わると上沼・古舘がそれぞれ紅・白のガウンを身に纏い、1階客席奥からステージに向かい、ステージ上でガウンを脱ぎ捨てるという演出があった。両組司会は恒例となっている晴れ着姿ではなく、洋装で登場した。
- 各司会者の紹介テロップには第43回(1992年)以来2年ぶりとなるカラーテロップが使われたが、座布団は使われていない。
- 出場歌手のテロップは、帯付きのアニメーションテロップで、ポップス系歌手用、演歌歌手用、番組終盤に出演する歌謡曲歌手用の3種類のデザインが使用された。
- 第1部の紅組トリである島倉千代子(この年デビュー40周年)の「人生いろいろ」の場面では、曲前に審査員の森光子より「島倉さんは尊敬しています。『人生いろいろ』ありますけれど、どうぞ歌一筋に頑張ってください」と島倉にメッセージが述べられた。そして、曲の途中から上沼と紅組歌手一同が島倉のバックに集結するという演出があった。
- 松田聖子と藤谷美和子の歌唱時の衣装が、いずれも背中に羽の生えた天使をイメージした物であった(色はそれぞれ白と黒で異なる)ことから一部メディアで「衣装が被った」と評された。これは藤谷側が当日まで衣装をトップシークレットとして公表しなかったことが一因であった。
- 吉幾三の歌唱前、古舘が吉の2人の娘から預かった父への手紙を朗読。楽曲が「娘に…」という、娘にあてた曲であるため、吉は感極まってしまい、歌い出しから一番の途中までは涙声に。2番からは持ち直して歌いきり、曲中のバックには吉の家族での写真などがスライドで映された。また、吉の歌唱と前後して北海道地方で地震が発生し、地震情報がテロップで表示された。
- 工藤静香はこの年交際が発覚したYOSHIKIが率いるX JAPANと直接対決した(2人は後に破局)。
- 今回の衣装対決は小林幸子と美川憲一の直接対決。美川は2番の歌唱中に早着替えを行い、最後には宙吊りで空を飛び「幸子、おだまり」の一言で暗転、オペラ座の怪人風のテーマが流れ、背景の煙幕から小林が登場。小林はナイアガラの滝をイメージしたセットを使用。元々は本物の水を使用する予定だったが、この年深刻な水不足が起こったことを考慮し、ドライアイスで代用した。
- 小林・美川の対決と前後して22:50頃に東北地方で地震が発生し、地震情報を随時テロップで報じていた。
- 森進一は紅白で3回目の「おふくろさん」歌唱となった。なお、今回紅白で初めて同作詞者の川内康範が制作していない台詞付のものを披露した。
- 小林旭と和田アキ子の対決では、同一の合唱団(現役大学生によって結成された合唱団、「東京シティ合唱団」と「Revolution」)が登場した。小林旭の歌唱後、合唱団が聖歌を歌い、そして和田が登場するという演出があった。
- キム・ヨンジャはNHKが実施したアンケートである「戦後50年で思い出深い歌」「紅白で聴きたい歌アンケート」で共に1位となった「川の流れのように」(美空ひばり)を歌唱[28][7]。
- 紅組トリおよび大トリには都はるみ、白組トリには五木ひろしと共にトリには両組揃ってこの年デビュー30周年を迎えた歌手が選ばれた。都の紅組トリ担当は復帰翌年の第41回(1990年)以来4年ぶりだが、大トリ担当は自身の引退舞台とした第35回(1984年)以来10年ぶりとなった。
- 9対8で紅組が優勝(ゲスト審査員は紅組:5、白組:6と白組がリード、客席審査では2階席は紅組:515、白組:577と白組がリードしていたが、1階席は紅組:306、白組:275、3階席は紅組:448、白組:413であったため、紅組が逆転)。上沼は紅組司会の先輩である和田と抱擁(和田は上沼を「偉い!」と労った)し、「最高の気分です」と述べた。進行役の宮川に「1点差での敗戦」の感想を聞かれた古舘は「普通こういう時って悔しいと思うんですけど、凄く悔しいです」と述べた後、白組歌手に「すみません」と謝罪した。古舘は翌年の白組司会の際にリベンジを果たしている。なお、今回の上沼のケースを最後にNHKアナウンサー以外が紅組司会を務めた回での紅組優勝は第62回(2011年)[注 6]まで途絶えることとなった。
- エンディングの「蛍の光」大合唱の合唱団に混じって松本明子が日本テレビ系列『進め!電波少年』の企画で乱入しており、「紅白もらった」という幟を出した[29]。ただ、オンエアの映像では出場歌手や上沼・古舘のアップで幟を出す姿は全く映されなかったどころか、紛れている松本本人を画面上で判別することは出来ず、翌元日放送の『平成あっぱれテレビ』で、松本とマネージャーを除いてホール内への入場を禁止された『電波』のスタッフに代わってNHK側で舞台下から独自に撮影した映像を流した。
- 審査員の候補には長嶋茂雄、大江健三郎、向井千秋も挙がっていた[8]。
- 今回の中断ニュースは前回の総合司会である森田美由紀が担当した。
- ビデオリサーチ調べ、関東地区における瞬間最高視聴率は前川清出演時に記録された56.2%である[30]。
- 上沼は年明けすぐのインタビューで「あぁ、ほんとしんどかった。もう(紅白の)司会はしません」と公言したが、次回である第46回でも紅組司会を務めた。翌1995年(翌月)に自身の出身地・兵庫県三原郡南淡町(現:南あわじ市)も大きな被害を及ぼした阪神・淡路大震災が発生し、第46回の紅組司会の打診を受けた当初は拒否したが、「阪神・淡路大震災で被害に遭った人々を元気づけてほしい」と懇請されたため受け入れたというエピソードがある。
紅組、 白組、 企画、 初出場、 返り咲き。
- 思い出の紅白歌合戦
- 放送:BS2 1994年12月27日・12月28日・12月29日 12:20 - 13:46、12月30日 12:20 - 13:41
- 第25回(1974年)、第27回(1976年)、第31回(1980年)、第35回(1984年)を再放送した。
- そのうちの3回は、歌詞テロップが追加されて放送された。
- ^これらオファーは「夫(上沼真平)の方が大事だからですよ」と全て断った[12]。
- ^ただし、翌年の第46回での紅組司会の際は「ころっと変わりました。大事にされました」と話している[14]。
- ^後に古舘と対談した際に印象の良かった歌手としてDREAMS COME TRUEと森口博子を挙げている[16]。
- ^スタッフは10月27日、大阪のホテルに赴いてそこで彼女に紅組司会の打診を行った[18][19]。
- ^さらに、その翌年である第27回(1976年)では当初海原千里・万里の紅組司会起用案もあったという。
- ^同回の紅組司会は井上真央。
- ^現:TRF。
- ^「すき」「WINTER SONG」のメドレー
- ^「手紙」「浪漫飛行」のメドレー
- ^ザ・タイガースとして1回出場、通算18回目
- ^現:ケイ・ウンスク。
- ^1998年にNHK新人歌謡コンテストは廃止。
- ^この年のNHK新人歌謡コンテストは3月12日開催であり、同日の時点で田川の出場が真っ先に決まる格好となった。
- ^他グループについては、バックダンサー・応援ゲスト・コーナー出演者など、出場歌手として以外の出演は行われている。
- ^合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』、185頁。
- ^『富山新聞』のそれぞれ翌日付記事より
- ^古舘氏『報ステ』降板へ 偏向報道を指摘する声も 後任候補はだれ? (2/2ページ),ZAKZAK,2015年12月24日
- ^『読売新聞』1994年11月17日付
- ^『スポーツ報知』1994年11月17日付
- ^牧山泰之『想い出の紅白歌合戦』
- ^ab合田『紅白歌合戦の舞台裏』、185頁。
- ^ab『デイリースポーツ』1994年11月17日付
- ^古舘伊知郎「下町ロケット」悪役好評も「エール」が「拾う神」紅白秘話“オファー断る練習”「思いは招く」,スポーツニッポン,2020年4月28日
- ^古舘伊知郎、『紅白』司会でNHKアナから受けた嫉妬を告白 「悔し涙を…」,Sirabee エンタメ,2021年12月13日
- ^上沼恵美子が紅白歌合戦で紅組司会を務めた際の舞台裏を語ります。 -YouTube
- ^“上沼、たかじんさんを毒舌と涙で追悼”. デイリースポーツ. (2014年1月12日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/01/12/0006632076.shtml 2015年12月31日閲覧。
- ^『サンデー毎日』1994年12月号
- ^“上沼恵美子、紅白司会でいびられた”. デイリースポーツ. (2015年10月3日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/10/03/0008453177.shtml 2015年12月31日閲覧。
- ^“上沼恵美子、紅白初司会いびられた過去”. デイリースポーツ. (2015年12月25日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/12/25/0008674846.shtml 2015年12月31日閲覧。
- ^“上沼恵美子 因縁・古舘伊知郎との対談で本音「松たか子さんとうれしそうに…悔しくてギーッとなった」”. スポーツニッポン. (2023年7月7日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/07/kiji/20230707s00041000557000c.html 2023年7月7日閲覧。
- ^合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』,185頁。
- ^牧山『想い出の紅白歌合戦』、32~33頁。
- ^ab“上沼恵美子、「紅白歌合戦」司会を依頼する際のNHKの態度を明かす”. トピックニュース (ライブドア). (2015年12月25日). https://news.livedoor.com/article/detail/10996260/ 2015年12月31日閲覧。
- ^『スポーツニッポン』1994年11月17日付
- ^ライオンのごきげんよう ゴールデン!大物だらけのサイコロSP,goo
- ^上沼恵美子「紅白オファーの裏事情」を明かす!,日刊大衆,2016年4月3日
- ^『読売新聞』1994年11月17日付
- ^『朝日新聞』1994年11月17日付
- ^“NHK紅白歌合戦ヒストリー 第45回(1994年/平成6年)”. NHK. 2025年3月23日閲覧。
- ^NHK. “そのほかの特集番組|1994年度|おもな特集番組リスト|NHKアーカイブス”. NHKアーカイブス. 2024年12月22日閲覧。
- ^太田省一『紅白歌合戦と日本人』
- ^『富山新聞』1994年12月15日付
- ^「紅白歌合戦」と「電波少年」の激しいバトルを振り返る!,90'S チョベリー,2016年10月10日
- ^紅白歌手別視聴率、40%超えは嵐ら3組だけに…前回は31組、スポーツ報知、2020年1月7日 6時0分。
(平成以後の紅白歌手別瞬間最高視聴率) - ^合田『紅白歌合戦の真実』
- ^異例会見!拓郎節全開 “病人扱い”にNO 紅白復帰も拒否「こりごり」,デイリースポーツ,2016年10月28日
- ^『読売新聞』1994年12月2日付東京朝刊、34頁。
- ^『読売新聞』1994年12月5日付東京夕刊、9頁。
- ^解散ステージ。
- ^同リーダーのYOSHIKIは「YOSHIKI feat.HYDE」名義で第69回(2018年)にも出場。
- ^ab野村宏平、冬門稔弐「12月31日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、375頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
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