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笘篠賢治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笘篠 賢治
基本情報
国籍日本の旗日本
出身地大阪府茨木市
生年月日 (1966-10-11)1966年10月11日(59歳)
身長
体重
185 cm
79 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション二塁手外野手三塁手遊撃手
プロ入り1988年 ドラフト3位
初出場1989年4月12日
最終出場1999年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (2000 - 2002)
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  テンプレート

オリンピック
男子野球
1988野球

笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手内野手外野手)、野球解説者

ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。兄は元プロ野球選手の笘篠誠治

経歴

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プロ入り前

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上宮高では、2年次の1983年に控え外野手ながら春の選抜に出場。1回戦で仲田幸司仲田秀司のバッテリーを擁する興南高を降すが、2回戦で明徳高に敗退[1]。この試合では途中出場を果たす。2学年先輩に実兄の誠治、1学年先輩に光山英和、同期に岡田耕司(近鉄)、1学年後輩に西山秀二がいた(西山とは広島移籍後に再びチームメイトとなる)。

1984年は同期のエース江本晃一を擁し春季近畿大会に進むが、1回戦で嶋田章弘を擁する箕島高に延長12回サヨナラ負け。同年夏は府大会で敗退し甲子園には出場できなかった。

高校卒業後は中央大学に進学。外野手として活躍し、内野も守れたことから重宝された[2]。入学当時の中大は東都大学野球リーグで二部に低迷していたが、チームを建て直し1987年春季リーグから一部に昇格させる。一部リーグ優勝はならなかったが、4年時は主将を務め1988年日米大学野球選手権大会、第30回アマチュア野球世界選手権日本代表となる。またソウルオリンピック野球日本代表に選出され銀メダル獲得に貢献した。一部リーグ通算44試合出場、176打数49安打、打率.278、10本塁打、17打点。1学年下に川端一彰がいた。

ヤクルト時代

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1988年のドラフト会議ヤクルトスワローズが3位指名で交渉権を獲得し契約金5000万円、年俸600万円で入団合意した[3]

1989年は開幕直後から、本職だった外野手ではなく二塁手として活躍。自慢の足を武器に、前半戦は3割近い打率を記録、ジュニアオールスターゲームにも出場した。規定打席(リーグ26位、打率.263)にも到達し、32盗塁を記録して新人王に選出された[4]盗塁王のタイトルは広島の正田耕三がシーズン最終戦で1試合6盗塁を決め34個で獲得し、2個及ばなかった。しかし翌年就任した野村克也監督は二塁手に捕手から転向させた飯田哲也を起用し、以降もジョニー・レイレックス・ハドラーなどが定着したことで出場機会が減少、結果的にこの1年目が唯一の規定打席到達でキャリアハイとなった[5][6]

その後は兄と同様に内外野をこなすユーティリティープレイヤーとして重宝され、準レギュラーとして活躍。

1991年には前年に引退した栗山英樹が付けていた背番号4(兄・誠治と同じ)に変更。

1992年西武との日本シリーズは兄弟対決となったが第4戦まで二塁手として起用され、第1戦では2安打を放つ。

1994年には序盤に故障し離脱。

1995年は出場機会がなかった。

1996年に復帰する。

1997年の日本シリーズ前にヤクルトから戦力外通告を受ける[7][8]

広島時代

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1998年広島東洋カープにテスト入団。三村敏之監督と上宮の後輩西山秀二に熱心に誘われての決断だった[9]。開幕から二番打者、二塁手として起用され、復活をアピールした。同年はかつて盗塁王を争った正田耕三と併用され45試合に先発出場。

1999年は開幕に出遅れ、二塁手の定位置を新外国人のエディ・ディアスに譲る。4月後半に一軍に復帰するが、今度は自身の不振や怪我、若手の東出輝裕木村拓也の台頭もあり、同年限りで現役を引退した。

現役引退後

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引退後も広島球団に残り、一軍守備走塁コーチを2002年まで務めた。特に金本知憲の2000年のトリプルスリー達成は盗塁が鬼門といわれていたが笘篠が金本に積極的に盗塁を奨めたことが励みになり、支えたともいわれている[10]

その後は文化放送、およびフジテレビONEの『プロ野球ニュース』・ミヤギテレビテレビ新広島[注釈 1]で解説者を務めている。

プレースタイル・人物

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両打ちとしては珍しく、投手の利き腕で打席を分けるのではなく、場面に応じて左右を使い分けていた。

プロ野球界でも屈指の俊足で、入団初年度オフの12球団対抗のスポーツイベントでは100mを11秒03で走った[13]

妻は元タレントの松本典子で、3人の息子がいる[14]。息子の一人は高校野球をしており、妻の松本曰く、芸能人一家だが芸能界に興味はなく、野球に打ち込み、甲子園を目指していた[15]

姪は元宝塚歌劇団花組娘役の笘篠ひとみで、甥には元ジャニーズJr.笘篠和馬がいる[注釈 2][16]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1989ヤクルト120483429571131735151273215714105775.263.334.352.686
19907121620220466326486551810364.228.256.317.573
199111233730140751064109211651901304462.249.289.362.651
199273164144153731145785901011243.257.310.313.622
19938224821729596016813541221512293.272.322.313.635
19941732312500184000000170.161.188.258.446
199656958316250113067360501202.301.348.361.710
1998広島792151861547824711441172802412.253.288.382.670
1999185952511510185105010150.212.241.346.587
通算:9年62818491645199418551719564105793880610131728521.254.303.343.646

表彰

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記録

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背番号

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  • 25(1989年 - 1990年)
  • 4(1991年 - 1997年)
  • 00(1998年 - 1999年)
  • 78(2000年 - 2002年)

出演番組

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脚注

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注釈

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  1. ^abc2017年には東亜学園高校・中央大学で野球部に在籍した長男・笘篠諒太が入社し、メディア本部編成局編成部に在職している[11][12]
  2. ^2人とも兄である誠治の子供。
  3. ^この場合は広島テレビから山本浩二池谷公二郎野村謙二郎(2021・2022年は石原慶幸も)・ゲスト解説扱いの黒田博樹のいずれか(2018年以降の池谷を除きキー局・日本テレビ兼任)が派遣するか、派遣ができない場合はミヤギテレビ側で阿波野秀幸など他の解説者をキャスティングする。また宮城県側で他系列局(NHK仙台放送局東北放送など)での放送となる時も、広島テレビがミヤギテレビの制作協力と球団公式映像の利用による乗り込み自社制作を行うことがある。

出典

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  1. ^「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^橋上秀樹『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』株式会社双葉社、2011年、13ページ、ISBN 978-4-575-15371-2
  3. ^朝日新聞、1988年12月2日付朝刊 (23面)
  4. ^年度別成績 1989年 セントラル・リーグ」『日本野球機構』一般社団法人日本野球機構。2023年10月4日閲覧
  5. ^笘篠誠治&笘篠賢治 兄は黄金時代の貴重なバックアップ、弟は低迷チームの新人王/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2019年5月9日。2023年10月4日閲覧
  6. ^栗山英樹(日本ハムファイターズ監督) 小手先の技術より、最後の勝負は「愛」だよ(週刊現代) @gendai_biz」『現代ビジネス』2012年8月22日。2023年10月4日閲覧
  7. ^【トレード裏話】西山秀二が経験したトレード
  8. ^第五話 今だから笑って話せるヤクルトで干された理由 YouTube 2021年10月14日
  9. ^笘篠賢治のカープ移籍秘話に感動…盟友・西山秀二と三村敏之監督の熱いエピソードを披露<ダグアウト!!!> | WEBザテレビジョン
  10. ^緒方選手から得た盗塁極意「ケツを汚せ」」『デイリースポーツ online』2013年1月22日。2022年9月19日閲覧
  11. ^マイナビ2020・入社してから成長が止まらない ! それぞれの役割で活躍中の三人 - マイナビ。2019年6月30日更新
  12. ^新卒業生進路:中央大学硬式野球部ホームページ
  13. ^フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】まさかの監督無視!? ヤクルト黄金期の衝撃事件簿【ザ・伝説の野球人大全集】 YouTube 2021年10月21日
  14. ^3児の母…松本典子が19年ぶりに歌手復帰」日刊スポーツ、2011年8月27日。2023年6月5日閲覧
  15. ^笘篠母・松本典子さん応援席でエール」『デイリースポーツ online』2012年7月14日。2023年7月20日閲覧
  16. ^楽天・笘篠Cの娘、姫歌ひな乃退団」『デイリースポーツ online』2015年10月2日。2023年6月5日閲覧

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
記述のない年は該当者なし
指名選手
 
日本の旗 野球日本代表
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