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稲野村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いなのむら
稲野村
稲野村役場
稲野村役場
廃止日1940年11月10日
廃止理由新設合併
稲野村伊丹町伊丹市
現在の自治体伊丹市
廃止時点のデータ
日本の旗日本
地方近畿地方
都道府県兵庫県
川辺郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
面積10.43km2.
総人口9,480
国勢調査、1940年)
隣接自治体川辺郡伊丹町、川西町長尾村小浜村立花村園田村
武庫郡良元村武庫村
稲野村役場
所在地兵庫県川辺郡稲野村大字昆陽字市場
座標北緯34度47分04秒東経135度24分03秒 / 北緯34.78431度 東経135.40094度 /34.78431; 135.40094座標:北緯34度47分04秒東経135度24分03秒 / 北緯34.78431度 東経135.40094度 /34.78431; 135.40094
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稲野村(いなのむら)は、1889年から1940年まで存在した日本兵庫県川辺郡にあった

地理

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現在の伊丹市西部から南部に当たる地域である。東を伊丹町、北東を川西町、北を長尾村、北西を小浜村、南を立花村、南東を園田村、西を武庫郡良元村、南西を武庫郡武庫村と接していた。

歴史

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稲野村の村域は南部が摂津国河辺郡為奈郷(いなのごう)、北部が武庫郡児屋郷(こやのごう)に分かれていたが、中世には武庫川の流域変遷により児屋郷の西側が西小屋荘(にしこやのしょう)として武庫郡に留まり、東側が小屋荘(こやのしょう)として川辺郡に組み込まれた[1]

猪名川の西に開けた平野を「猪名野」と称し、大弐三位「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」を始め歌枕としても著名であった。この「猪名野」へ後に「稲野」の字が当てられ、これが村名の由来となっている。

現在の稲野町は伊丹市成立後の1957年に御願塚の一部を稲野町1〜7丁目として分割し、1959年に南野から一部を8丁目として編入した地域である[1]

経済

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産業

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば稲野村の篤農家は、「谷垣為次郎、久保武兵衛、前田半兵衛、中島宇兵衛、民田熊太郎、中島庄蔵、阪上平右衛門、中島幾次郎」などがいた[2]

交通

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鉄道

脚注

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  1. ^ab角川、190ページ。
  2. ^『大日本篤農家名鑑』124頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月6日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 伊丹市統計書 平成10年度版 - 旧村域の総面積を10.43平方キロメートルとする。
  • 角川日本地名大辞典 第28巻 兵庫県』。

関連項目

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