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秋浜悟史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秋浜 悟史(あきはま さとし、1934年3月20日 -2005年7月31日)は、日本劇作家岩手県岩手郡渋民村(現在の盛岡市)出身。

来歴

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1956年、早稲田大学文学部演劇科在学中は学生劇団「早大自由舞台」に参加、戯曲『英雄たち』を発表[1]。大学卒業後、岩波書店の系列会社岩波映画製作所を経て、1962年劇団三十人会に参加[1]1967年に『ほらんばか』で第1回紀伊国屋演劇賞[1]1969年に 『幼児たちの後の祭り』に至るまでの諸作品の成果で第14回岸田國士戯曲賞[1]を受賞。それ以降数々の作品を世に送り出した。故郷岩手を舞台にした盛岡弁の戯曲が多く[1]、同郷の石川啄木を描いた『啄木伝』などがある。

大阪芸術大学教授として教鞭を執り、いのうえひでのりをはじめ劇団☆新感線のメンバーの多くは教え子である[2]

1994年には兵庫県尼崎市にある日本で初めての公立劇団「兵庫県立ピッコロ劇団」の初代代表を務めていた[1]。1998年、同劇団で演出をした『わたしの夢は舞う・會津八一博士の恋』が第32回紀伊國屋演劇賞団体賞[1]文化庁芸術祭賞<演劇部門>優秀賞を受賞[1]。退任後は、ピッコロ演劇学校の参与、アドバイザーを務めていた。

1977年12月から1978年1月までNHKみんなのうた」の「走馬燈」の作詞を担当した[3]

著作

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  • 「しらけおばけ 秋浜悟史作品集」 晶文社 1970
  • 「秋浜悟史一幕劇集」 クレラム社 1979
  • 「ある地方高校生の日記 一九五〇〜一九五三」 松本工房 2024

脚注

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  1. ^abcdefgh秋浜悟史|戯曲デジタルアーカイブ”. 日本劇作家協会 戯曲デジタルアーカイブ. 日本劇作家協会. 2022年8月21日閲覧。
  2. ^クリエイティブの視点 VOL.29 いのうえひでのり(劇団☆新感線)
  3. ^NHK「みんなのうた」

外部リンク

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1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 第64回市原佐都子『バッコスの信女-ホルスタインの雌』/谷賢一『福島三部作 第1部「1961年:夜に昇る太陽」 第2部「1986年:メビウスの輪」 第3部「2011年:語られたがる言葉たち」』
  • 第65回 該当作なし
  • 第66回福名理穂『柔らかく搖れる』/山本卓卓『バナナの花は食べられる』
  • 第67回加藤拓也『ドードーが落下する』/金山寿甲『パチンコ(上)』
  • 第68回池田亮『ハートランド』
  • 第69回安藤奎『歩かなくても棒に当たる』/笠木泉『海まで100年』
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