ふくざわ あきら 福澤 朗 | |
|---|---|
![]() 2010年12月、総務省にて | |
| プロフィール | |
| 本名 | 福澤 朗 |
| 愛称 | ジャストミート[1] |
| 出身地 | |
| 生年月日 | (1963-09-14)1963年9月14日(62歳) |
| 身長 | 180cm[2] |
| 血液型 | O型 |
| 最終学歴 | 早稲田大学第一文学部哲学科教育学専修 |
| 所属事務所 | オールラウンド |
| 職歴 | 元日本テレビアナウンサー |
| 活動期間 | 1988年 - |
| ジャンル | 報道・情報・バラエティ |
| 配偶者 | 既婚 |
| 公式サイト | 福澤朗プロフィール |
| 出演番組・活動 | |
| 出演中 | 『開運!なんでも鑑定団』 『日経スペシャル 関西リーダー列伝』 |
| 出演経歴 | 『全日本プロレス中継』 『アメリカ横断ウルトラクイズ』 『全国高等学校クイズ選手権』 『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』 『ズームイン!!朝!』 『ズームイン!!SUPER』 『エンタの神様』 『真相報道 バンキシャ!』 |
福澤 朗(ふくざわ あきら、1963年9月14日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー(元日本テレビアナウンサー)、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、俳優である。
1963年9月14日、東京都新宿区に生まれる。早稲田中学校・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科教育学専修を卒業。大学在学中に俳優の道を模索し、1984年に演劇集団 円の研究生となるが、研究所最終年の団員昇格選考で落選したため役者への道を断念する。円の研究生時代の1986年に、日本テレビ系ドラマ『火曜サスペンス劇場・魔性の星の女』、フジテレビ系ドラマ『花嫁衣裳は誰が着る』『時にはいっしょに』に端役で出演したことがある。
2年留年したのち、1988年3月に大学を卒業。同年4月に日本テレビへ入社する。同期には関谷亜矢子、永井美奈子、村山喜彦、小栗泉らがいる。同年にフジテレビアナウンサーになった八木亜希子は大学時代からの友人。
『全日本プロレス中継』の実況に抜擢されると、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアット、小橋建太のムーンサルトプレス、川田利明の顔面蹴りの際に「ジャストミート!!」、三沢光晴のダイビング・エルボーの際に「ファイヤー!!」とそれぞれ連呼したことで認知度を高める。同番組の「プロレス・ニュース」のコーナーでは「プ・プ・プ・プロレスニュゥ〜ス」のタイトルコールで印象を残すとともに、「福沢ジャストミート朗」として黒縁眼鏡に白い鉢巻を巻いて話題となる。1990年代はプロレス以外の番組でも「福澤ジャストミート朗」名義で多数の番組に出演した。なお、「ジャストミート!!」を実況で使用しはじめた頃は、のちの時代のようにシャウトする形でなく、技が決まったことを冷静に伝える台詞として用いていた。
1991年、フリーに転身した福留功男の後任として『全国高等学校クイズ選手権』『アメリカ横断ウルトラクイズ』の2代目総合司会となる。頭に鉢巻を巻いたスタイルでバラエティ番組に数多く出演するようになり、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』ではタレントに混じって体当たり企画にチャレンジして話題になった。『ズームイン!!サタデー』初代総合司会を経て、1998年、福留から引き継いで『ズームイン!!朝!』3代目総合司会となる。番組が2001年に『ズームイン!!SUPER』にリニューアルされてからも総合司会を続投したが、2003年1月31日をもって降板した。この降板をめぐっては、共演する大桃美代子との確執が原因であると報道された[3]。
当時の日本テレビから受けた期待は大きく、『ウルトラクイズ』『高校生クイズ』『ズームイン』は福留から、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は元フジテレビアナウンサーの逸見政孝から、『摩訶!ジョーシキの穴』は尊敬する古舘伊知郎から、それぞれ総合司会を受け継いだものである。
2005年6月30日に日本テレビを退社し、7月1日に番組制作会社イースト系列の「イーストプロダクション」に所属。その後、同社のマネジメント部門「ノースプロダクション」にアナウンサーとして初めて在籍する。7月1日にニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、7月6日に文化放送『吉田照美のやる気MANMAN!』にゲスト出演。同年8月4日、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演し、日テレ以外のテレビ局の番組に初めて登場する。8月27日には裏番組である日テレ『24時間テレビ28』とコラボレーションしたテレビ朝日『SmaSTATION!!』にゲスト出演し、9月19日にはTBS『DOORS!』(18時55分 - 22時54分)で日テレ以外のテレビ局で初の実況を務めた。2005年12月9日には関西テレビ『さんまのまんま』にゲスト出演している。
2006年10月からはTBS『ピンポン!』の総合司会を務め、全曜日のテレビ番組でレギュラーを受け持つ。2008年5月5日にはNHK総合『ママがのぞいた子どもの時間』で司会を担当し、NHKの番組に初出演を飾った。2016年4月、石坂浩二の後任としてテレビ東京『開運!なんでも鑑定団』の司会に就任した。
2020年11月30日、15年間所属したノースプロダクションを退所。12月1日よりオールラウンド所属となる[4]。
2021年3月28日、番組放送開始当初かつ局アナウンサー時代から18年半にわたって務めた日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』の総合司会を降板し[5][6]、日本テレビアナウンサーの桝太一に後を託した。
★はレギュラー出演中(連載中)、〇は不定期出演中
報道・情報番組(フリー後も含めて)
| 期間 | 番組名 | 役職 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 1988年10月2日 | 1990年3月25日 | NFL Touchdown | 司会 | 同局入社後初の担当番組 |
| 1989年4月2日 | 1989年9月24日 | 週刊文珍 | ニュースコーナーキャスター | |
| 1990年代 | 2005年6月 | NNNニュースプラス1 | 随時出演 | 両番組とも平日版にて、独自のバラエティニュース速報時のみにゲストとして出演 |
| NNNきょうの出来事 | ||||
| 1996年4月6日 | 1998年8月29日 | ズームイン!!サタデー | 司会 | |
| 1996年10月27日 | 2002年1月27日 | 特命リサーチ200X | レギュラー出演 | 松岡ルーム一員『松沢明』役として出演 |
| 1997年10月 | 1998年8月 | NNN24 | シフト勤務キャスター | 数多くの番組を抱えていたうえ、1998年からは帯番組を担当したことから担当機会は少なかったが、2005年上半期に『午後いちジャーナル』で何度かキャスターを務めた |
| 1998年9月1日 | 2001年9月28日 | ズームイン!!朝! | 司会 | |
| 2001年10月1日 | 2003年1月31日 | ズームイン!!SUPER | ||
| 2002年10月6日 | 2021年3月28日 | 真相報道 バンキシャ! | 2005年7月3日放送からフリーとして出演 | |
バラエティ・スポーツ・単発特別番組(フリー後も含めて)
報道・情報番組
| 期間 | 番組名 | 役職 | |
|---|---|---|---|
| 2006年4月 | 2006年8月12日 | ぴーかんバディ!(TBS) | 司会 |
| 2006年8月19日 | 2007年2月 | 人間!これでいいのだ(TBS) | |
| 2006年10月 | 2009年3月 | ピンポン!(TBS)[12] | 総合司会 |
| 2011年11月2日 | ためしてガッテン(NHK総合) | ゲスト出演 | |
| 2011年11月5日・2012年12月2日 | 幸せの黄色い仔犬(中京テレビ) | ||
| 2012年3月11日 | 「復興テレビ」みんなのチカラ 3.11(日本テレビ) | 『復興列車』からの中継出演 | |
| 2015年11月14日 | 現在 | 朝だ!生です旅サラダ(朝日放送) | ゲストの旅での随時出演 |
| 2021年3月27日 | 現在 | 日経スペシャル 関西リーダー列伝(テレビ大阪) | キャスター |
バラエティ・スポーツ関連・単発特別番組・ドラマ出演
日本テレビの後輩アナウンサーを集めて2004年、「福澤一座」を結成。自ら書き下ろした脚本で演出も手がけ、演劇集団キャラメルボックスの協力で上演した。
ズームイン!!歴代総合司会 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| ズームイン!!朝! | |||||
| ズームイン!!SUPER |
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| ズームイン!!サタデー |
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| 1:第15回も第1問まで担当、2:第1回のみ肩書は「アシスタント」、3:第2夜のみ、4:第44回より呼称変更 | ||||||||||||||||||