| ふくもと せいぞう 福本 清三 | |||||||||||
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| 本名 | 橋本 清三(はしもと せいぞう) | ||||||||||
| 生年月日 | (1943-02-03)1943年2月3日 | ||||||||||
| 没年月日 | (2021-01-01)2021年1月1日(77歳没) | ||||||||||
| 出生地 | |||||||||||
| 死没地 | |||||||||||
| 身長 | 172cm | ||||||||||
| 血液型 | B型 | ||||||||||
| 職業 | 俳優 | ||||||||||
| ジャンル | 映画・時代劇・テレビ映画・テレビドラマ・オリジナルビデオ | ||||||||||
| 活動期間 | 1959年 -2020年 | ||||||||||
| 配偶者 | あり | ||||||||||
| 事務所 | 東映京都撮影所 | ||||||||||
| 公式サイト | 公式プロフィール | ||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||
| 時代劇 『水戸黄門』 『大岡越前』 『遠山の金さんシリーズ』 『江戸を斬る』 『桃太郎侍』 『暴れん坊将軍』 『柳生一族の陰謀』 『長七郎天下ご免!』 『松平右近事件帳』 『源九郎旅日記 葵の暴れん坊』 『長七郎江戸日記』 『八百八町夢日記』 映画 『仁義なき戦いシリーズ』 『伊賀忍法帖』 『ラストサムライ』 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』 『太秦ライムライト』 | |||||||||||
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福本 清三(ふくもと せいぞう、本名:橋本 清三〈はしもと せいぞう〉、1943年〈昭和18年〉2月3日 -2021年〈令和3年〉1月1日)は、日本の俳優・タレント。兵庫県城崎郡香住町出身。東映剣会所属[1]。
50年以上にわたり、時代劇・現代劇を問わず「日本一の斬られ役・殺され役」を演じてきたことから、「5万回斬られた男」の異名を持つ[2]。愛称:福ちゃん、先生。血液型はB型。
6人兄弟の三男(5番目)として生まれる。
中学校卒業後、親類の経営する米穀店の後継ぎに据えられたが「まいど、おおきに」という挨拶をすることが恥ずかしく苦手であったことから、1958年に不動産屋を経営していた叔父の伝手で15歳で東映京都撮影所に入社し、いわゆる「大部屋俳優」となる[3]。
20代後半ごろから斬られ役専門となり、東映京都や関連会社が制作したほぼ全ての時代劇に出演した。当時は京都撮影所に所属していたため、東映東京撮影所制作の映画やテレビ映画への出演は少なかった。アクション映画やヤクザ映画にも多数出演しており、『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、撃たれた瞬間に座った状態から跳ね上がって死ぬシーンを、深作欣二が福本にゴムを装着させる予定をしていたものの、殺陣師が「体にバネがあるから必要ない」としてやめさせ、身体能力だけで演じた。
1978年の『柳生一族の陰謀』の裏柳生衆の一人・キタノでセミレギュラーに、1982年の『伊賀忍法帖』では敵役・魔界五人衆の一人・虚空坊に配役される。このころは、千葉真一率いるジャパンアクションクラブ (JAC) メンバーとの共演が多く、真田広之や志穂美悦子からの信頼が厚かった。
斬られ役のプロなので、他社製作の時代劇では『大江戸捜査網』では松方弘樹に呼ばれ、『新五捕物帳』では杉良太郎に呼ばれ『同心暁蘭之介』などにも出演している。『同心暁蘭之介』では杉が役を用意し、福本本人が初めての大きな役だったと自伝『おちおち死んでられまへん-斬られ役ハリウッドへ行く』で述べている。
定年直前の2002年に『ラスト サムライ』に出演し、主人公から何度話しかけられても返答しない寡黙なサムライに扮した。最後の戦いで戦死するシーンは、いままで培ってきた斬られ役としての演技力を生かし、迫力ある「死に方」を見せた[4]。同作品の英語版公式サイトでは「kirareyaku(斬られ役)」として活動していることが明記されている。
2003年に東映を定年となったが、その後も嘱託というかたちで東映に籍を置いたまま俳優業を続けており、活動の幅をさらに拡げた。『ラスト サムライ』で共演したトム・クルーズからは、「定年で辞めるなんてもったいない、ぜひハリウッドにおいでよ」と声をかけられている。2006年には『功名が辻』から出演のオファーを受け、ここでも斬られ役としての技量を披露した。2010年には『仮面ライダーW』の劇中劇『風の左平次』に悪役として登場し、劇中劇を本格的時代劇に見せる演出に一役買っている。翌2011年の仮面ライダー生誕40周年記念作品の『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』では金田治の推薦により、ショッカーの大幹部ブラック将軍を演じた[5]。
2014年の『太秦ライムライト』では「斬られ役一筋のベテラン俳優」役で初主演を務め、第18回ファンタジア国際映画祭において日本人初となる主演男優賞を受賞し、同時に歴代最年長受賞記録を更新した[2]。
2021年1月1日午後5時26分、肺がんのため、京都市内の自宅で死去[6][7][8]。77歳没。同年の『CHAIN チェイン』が最後の出演作となった[9]。
東映剣会のメンバーで、斬られ役がハリウッド映画に出演したことは他の大部屋俳優や無名俳優の憧れの的になっており、「たとえ華やかな仕事でなくても、真面目にコツコツと働いていれば、いつかは評価される」と、福本の名前を挙げる評論家や教育関係者もいる(2012年度の中学3年生用の道徳の副読本『キラリ☆道徳』〈正進社〉に福本本人のエッセイが採用された)。多少台詞がある役をキャスティングされたりキャスト名に名前が載っても、一貫して「その他大勢」の役者にこだわり続けており、著書などでは「代表作なし」としている。また少しでも画面に残りたいという役者根性から「斬られる」ことの研究も怠らず、「海老反り斬られ」など見る者に強烈な印象を与える「死に方」を日々模索していたという[10]。
その名が最初に認知されたのは『アフタヌーンショー』内での特集コーナーにおいて、斬られ役の大部屋俳優の一人として、名前入りで密着取材されたことである。1990年代中ごろ以降から、新聞の読者投書欄やインターネットの普及に伴いインターネット上に形成された時代劇関係のコミュニティやBBSにおいて、「あの斬られ役は何者でしょう?」というかたちで話題にされることが多くなった。ネットコミュニティ等では「福ちゃん」「先生」「福本先生」と呼ばれることが多い。由来は時代劇で、福本の分身ともいうべき用心棒の浪人が雇い主の悪徳商人から「先生!」と呼ばれ(そしてすぐに斬られ)るところから来ているとみられる。ほりのぶゆきによる時代劇のパロディ漫画である『江戸むらさき特急』『もののふの記』においても、作中に登場する用心棒が福本を模して描かれている。
悪役や剣客を演じる際には、テープで目尻を吊り上げ、顔つきを鋭く見せる独特のメイクを自ら施すのが通例である。1970年代から1980年代にかけての刑事ドラマでも凶悪犯役あるいは端役の刑事役などを演じている。
時代劇出演がないか経験少ない俳優が、太秦での時代劇撮影する際は、和服を着た際の所作や殺陣などの演技指導を行っており、感謝・尊敬されることが多い。教えを受けた役者は多く、一例で『イケメン新撰組』で共演した村上幸平は「『斬る』というのは『殺す』ということ。殺陣ではその位の殺気を込めるように」と指導され感銘を受けたとのちに雑誌のインタビューで語っている[要出典]。
京都市右京区太秦の東映京都撮影所の近くに自宅があり、撮影所に隣接する東映太秦映画村では福本の名を冠した時代劇ショーが上演されていたことがある。
知名度を一気に高めるきっかけとなったのは、1992年6月5日の『探偵!ナイトスクープ』への出演である(2007年12月発売のDVD8巻に収録)。
時代劇でいつも斬られ続ける福本の存在が非常に気になっていた視聴者から「あの斬られ役は誰?できれば『徹子の部屋』に出演させてあげたい!」という依頼が寄せられた。しかし、当時無名であった福本をいきなり番組に出演させることは無理があった。そこでスタッフは『徹子の部屋』のセットを借りて、探偵の落語家桂小枝が黒柳徹子に扮して、福本を『偽・徹子の部屋』に“出演”させたが、ロケ中、偶然「本物の」黒柳徹子が現場に現れ状況が一変した。「日本一の斬られ役」という裏方の仕事に興味を持った黒柳が、その場にいた福本に話を聞いているうちに、是非とも自分の番組内でこの人の話を聞いてみたいという方向に話が進んだ。こうして1992年9月24日に本物の『徹子の部屋』への出演を果たした[11]。
その後福本は、2005年7月8日放送の『探偵!ナイトスクープアカデミー大賞2005』のオープニングに、同番組のレギュラー陣らとともに出演し、その際に、「映画『ラスト サムライ』であのトム・クルーズと共演した福本清三さんだ!」と実況され、刀で斬る真似をし「斬った!斬りました!!これがハリウッド帰りの切れ味だ!」と実況の川下大洋に表現された。
同番組では、時代劇に関わる依頼で探偵と依頼者が太秦の映画村を訪れた際に、殺陣の作法等の指南役として登場する機会があった。そのときも福本のトレードマークである「素浪人」の姿で登場していた。
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