福島テレビ株式会社(ふくしまテレビ、英:Fukushima Television Broadcasting Co., Ltd.、略称:FTV)は、福島県を放送対象地域とするテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用関連会社。
愛称は福テレ(番組表などではFTV福島テレビと記載されている場合もある[3])。コールサインはJOPX-DTV(福島 25ch)で、フジテレビ系列(FNN・FNS)に属している。リモコンキーIDはキー局のフジテレビ・準キー局の関西テレビなどと同じ「8」。
民間放送事業者であるが、開局の経緯から福島県が株式の半分を保有している。
1962年(昭和37年)に県と地元新聞社などが出資、設立されたテレビ局であり、いわゆる第三セクターにあたる非独立局唯一の県域放送局でもある。
初代社長は県職員出身の黒川久隆(元福島県出納長)が就任し、2代目から6代目までは一貫して副知事歴任者が務めるなど、いわゆる「天下りポスト」となっていた。7代目社長には産経新聞社出身の中村啓治が就任するが、以降現在に至るまで、県幹部や県議会議員などが取締役に名を連ねている。2007年に就任した8代目社長の糖沢修一は、同社プロパーとして初めて社長に就任した。2016年に就任した9代目社長の森洋一から10代目社長の横山淳までフジテレビ出身者が社長を務めていた。横山は日枝久フジサンケイグループ代表の秘書を長年務めた。2024年に橋本泉(元常務取締役)が社長に就任し、8年ぶりにプロパー社長となった。
略称「FTV」は現在のキー局でもあるフジテレビが「CX[注釈 3]」を使用する前、開局直後の数年間にわたり使用していた[注釈 4]。
福井テレビジョン放送は本局より後に開局したため、「FTV」を略称に用いることができず「FTB」を使用している[注釈 5]。台湾のテレビ局、民間全民電視公司が福島県を訪問した際、略称「FTV」が本局と同じだったことで話題となった。
2019年(平成31年)4月1日からは愛称に「福テレ」を制定した[4] 一方、1998年(平成10年)に制定された従来のロゴマークと略称ロゴは廃止されず、局名告知時に愛称とともに併記されているなど愛称制定後も継続して使用されている[注釈 6]。また、現社屋の壁面に掲げられた看板も「FTV」の略称ロゴでもある。制定当初の半年間は制作著作テロップや天気予報などのミニ番組の名に「FTV」「福島テレビ」の文字を残していたが、同年(令和元年)10月の改編時に全て「福テレ」に変更された。
在福テレビ局では、唯一の予報業務許可事業者に指定されている[注釈 7]。
福島県ではラジオ福島(RFC)が1957年(昭和32年)にテレビ予備免許(コールサインJOWR-TV)を取得するものの、1958年(昭和33年)に失効してしまった。実現していれば、1959年(昭和34年)頃にテレビ放送を開始する予定だった。全国的にラジオ単営局がテレビ放送も開始してラテ兼営局になる傾向(ひいてはTBS(JNN)系列か日本テレビ(NNN)系列への加入)があり、ラジオ福島も兼営局となるところであったが、増資などの折り合いが付かずにその道が閉ざされた。
次に同名ながら全くの別会社である「株式会社福島テレビ」が1960年(昭和35年)に予備免許を取得(コールサインも現在のFTVと同じJOPX-TV)したが、1961年(昭和36年)3月1日をもって免許が失効となり、開局できずに終わった[注釈 8]。
この度重なる開局延期劇の背景には、福島民報・福島民友という地元2大新聞間の確執やその背後にある〔民報-毎日新聞-TBS〕と〔民友-読売新聞-日本テレビ〕の関係、またこれらとは別の福島市対郡山市といった対立関係もあり、こうした福島県特有の事情のため調整が難航していたからである[注釈 9]。さらには県議会や県内の市町村議会が「民放テレビ局の早期開局促進」の決議を行うほどだった。この争いに終止符を打つべく福島県が自ら調整に乗り出して誕生した放送局が福島テレビであり、1962年(昭和37年)、県および県議会がテレビ免許割当に対する競願者の間に調停に入り、福島県が主導した上で福島テレビ株式会社(当社)を設立した。翌年1963年(昭和38年)4月に開局している。
当時、全国的に1県1局が通常で1967年(昭和42年)の「テレビ放送用周波数割当計画表」修正までUHF波の親局送信所使用が解禁されなかった事情があったとはいえ、広域圏の中核都府県を除く府県や隣県の電波の関係でVHF波のテレビ親局送信所設置が困難だった佐賀県(民放テレビ局第1局は1969年(昭和44年)開局のUHF局のサガテレビ)を除けば、民放テレビ第1局としては最後発での開局となった。また、NHK福島放送局のテレビ放送開始(1959年4月1日)の4年後、NHK教育テレビの福島県域開局(1960年11月1日)より遅い、福島県域テレビ第3波での開局でもある。
FTV放送会館
情報センター棟
1998年4月から使用されている2代目ロゴマーク。2019年4月以降も正式ロゴとして『福テレ』ロゴと併存。- 2012年(平成24年)
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 4月1日:新社屋より放送開始し[29]、同時に主調整室(マスター)を更新(東芝製)。愛称として「福テレ」を制定[4]。
- 情報センター棟を残し開局時の社屋とFTV放送会館は程なく解体され、2020年(令和2年)5月末に駐車場と「ふくたんパーク」という名称の広場に整備された。情報センター棟は改装し、福島映像企画の社屋として用いられている。
- 2025年 (令和7年)
- 1963年(昭和38年)4月1日、オープンネット局として開局。ニュース番組も日本テレビ・TBS・フジテレビ・NETテレビ[注釈 16]から好きな番組を選択できた。
- 1966年(昭和41年)4月1日、NNNに加盟。[要出典]、他はフリーネット継続。
- 1967年(昭和42年)6月、民間放送教育協会に加盟。
- 1968年(昭和43年)10月、昼帯のニュースが『フジテレニュース』から『JNNニュース』へ切り替え(ただし、JNN非加盟)[32][33]。
- 1970年(昭和45年)4月1日、福島中央テレビの開局により『ズバリ!当てましょう』など、一部を除きフジテレビのネットを一旦打ち切り。NETテレビのネットを解消(民教協制作分や毎日放送制作分を含む一部番販・スポンサードネット番組は継続)。日本テレビ・TBSのクロスネットとなる[34]。ニュースネットはNNNだが、JNNの一部番組ネットを継続。
- 1971年(昭和46年)
- 1975年(昭和50年)3月31日、腸捻転解消により、変則クロスの準キー局が関西テレビ(KTV)・朝日放送(現在の朝日放送テレビ)(ABC)から関西テレビ・毎日放送(MBS)に変更される(1983年(昭和58年)9月30日まで続く)。ただ、NETテレビに移行した朝日放送制作分は番販で継続された。
- 1980年(昭和55年)福島県民放テレビ第3、4局目の割り当てがあり、当時福島テレビは、自社の主要株主の1社がフジテレビ[注釈 20]だったこと、また福島県が最大株主であることをTBSが嫌ったことが大きく影響し、4局目の開局後、自社はフジテレビのフルネット局になることが決まった。
- 1981年(昭和56年)10月1日、福島放送の開局に伴い番販でネットを継続したテレビ朝日(民教協制作分以外)・朝日放送制作番組が放送終了。
- 1982年(昭和57年)11月30日、同年11月下旬に、山西由之(当時TBS社長)・岡田宗治(当時福島テレビ社長)・松平勇雄(当時福島県知事)とのトップ会談の末、正式に4局目をJNN系列局に決定したことに伴い[37]、TBSは福島テレビへのTBS系列番組のネット中止を通告[38][39]。
- 1983年(昭和58年)
- 初頭頃 民放第4局(後のテレビユー福島(TUF))の開局に伴い、1983年4月1日からニュースネットをJNNからFNNに変更することを決定。
- 3月31日、JNN脱退。
- 4月1日、FNN加盟。
- ただし、第4局の一本化調整がまとまらず開局の見通しが立たなかったこともあり、ニュース以外の番組は視聴者保護の観点からの協定またはスポンサーの事情により、同年9月30日までフジテレビ系とTBS系のクロスネット状態が続いた。
- 同日、『おはよう!ナイスデイ』のネット開始。
- 4月2日、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』の同時ネット開始。土曜21・22時台は、前週の3月いっぱいで『うすい土曜劇場』、『Gメン'75』終了後に10月から開始していた『刑事スタスキー&ハッチ』が、それぞれ終了に至る。
- 10月1日、TBS系列を離脱し、フジテレビ系列のフルネット局となる。
- この日はテレビユー福島の当初の開局予定日であったが予定より開局が遅れ、ネットしていた大半のTBS系番組(報道番組を除く。)が2か月間、福島県内にて視聴できなくなる。
- ただしスポンサーの関係上、テレビユー福島開局前の12月3日まではTBS系の一社提供番組など、一部の番組も遅れネットで放送された(下記の『キユーピー3分クッキング』(CBC版)を除く)。
- 1984年(昭和59年)1月5日、諸般の事情(スポンサーの都合など)でフルネット化後も残っていた『キユーピー3分クッキング』が、テレビユー福島に移行した。
TBS・日テレクロス時代のネット編成(1971年4月)
[編集]TBS・フジクロス時代初期のネット編成(1971年10月)
[編集]TBS・フジクロス時代末期のネット編成(1982年10月)
[編集]TBS・フジクロス時代のネット編成(1983年4月)
[編集]
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[40][41][42][43]
| 資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
|---|
| 3億5000万円 | 700,000株 | 6 |
1978年3月31日
| 資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 |
|---|
| 3億5000万円 | 7億円 | 500円 | 700,000株 |
| 株主 | 株式数 | 比率 |
|---|
| 福島県 | 350,000株 | 50.0% |
| フジテレビジョン | 070,000株 | 10.0% |
| 福島民報社 | 070,000株 | 10.0% |
| 田中稔[注釈 24] | 035,000株 | 05.0% |
| 福田英雄 | 035,000株 | 05.0% |
| 植村泰久 | 035,000株 | 05.0% |
1992年3月31日
| 資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 |
|---|
| 3億5000万円 | 7億円 | 500円 | 700,000株 | 11 |
2003年3月31日
| 資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
|---|
| 3億5000万円 | 700,000株 | 6 |
- 本社・演奏所
- 支社
現社屋は、1つのスタジオから『テレポートプラス』『サタふく』を放送。また、『テレポートプラス』枠外のローカルニュースは報道局内に設けたブースから放送している。
- 第1スタジオ
- 制作番組専用スタジオ。1970年(昭和45年)12月に完成。
- 当初は「カラースタジオ」と呼称していた。
- 2007年(平成19年)9月29日の『サタふく』からHD対応化。
- 2019年(平成31年)3月時点では、『サタふく』、『スマイルプラス』や収録番組を放送。
- 『FTVテレポート』も、第2スタジオが運用を開始する1984年(昭和59年)3月10日までは第1スタジオから放送していた。
- 第2スタジオ
- 1984年(昭和59年)3月12日運用開始[19]。フィルム現像室だった場所をニュース専用スタジオへ転用[44]。約12坪[44]。
- 第2スタジオの横には専用の副調整室があり[19]、スタジオ内にはリモートコントロールによるテレビカメラが3台設置[19][44]。またステレオ音声にも対応していた[44]。
- 主に『FTVテレポート』に加え、定時ニュースや天気予報などで使用された。
- 第3スタジオ(情報センター棟)運用開始前日の1995年(平成7年)10月1日をもって使用停止。以降はアナウンサー研修室として使用していた。
- 第2スタジオ運用開始前日の1984年(昭和59年)3月11日まで定時ニュースは、主調整室に隣接したアナブースにて放送。1977年(昭和52年)4月1日からは、テレビカメラを設置して放送していた[45]。
- 第3スタジオ
- 1995年(平成7年)9月完成、10月2日運用開始[26]。2019年(平成31年)3月31日まで使用。
- ニュース番組を中心に運用していたスタジオ。当初は「情報センター」として運用していたが、後にこちらを第2スタジオとしていた。
- 報道フロアとは一体型で設計され、報道フロアと第3スタジオとは隣接していた。
- 旧社屋にあたるFTV放送会館から南西側に建設され、1995年(平成7年)完成[26]。開局当初の建物とは隣接して繋がっていた。屋上には送受信用の自立式鉄塔が建てられ、2019年(平成31年)4月の社屋移転後も使用。
- 2007年(平成19年)4月1日からHD対応化。
- 2020年(令和2年)7月からスタジオがあった情報センター棟2階に関連子会社の福島映像企画が入居。かつてスタジオおよび副調整室だった場所は編集室やMAルームに転用された。
- 郡山スタジオ
- 郡山支社内に置かれており、ニュース番組で郡山から伝える場合に使用されることがある。最低限の照明、カメラで顔出しブース的運用。『テレポートプラス』では、支社のあるビル玄関前から中継している。
フジテレビ系列のリモコンキーID地図
地図上で赤く塗られている地域の局がID8である。- キー局のフジテレビ・準キー局の関西テレビ・系列局の沖縄テレビが3局揃ってアナログ親局が8chだったために、「1」の東海テレビ・「3」のサガテレビ以外のFNN・FNSフルネット24局で共通。また本局のいわき平アナログ中継局も8chであった。
- 福島(笹森山)・郡山 25chJOPX-DTV 出力:3 kW
中通り地区 - 福島信夫 18ch
- 福島大波 34ch
- 福島土湯 39ch
- 伊達月舘 18ch
- 保原富沢 18ch
- 川俣 18ch
- 川俣大綱木(南川俣) 21ch
- 磐梯熱海 49ch
- 郡山田村(宇津峰) 18ch
- 郡山高玉 18ch
- 郡山河内 45ch(垂直偏波)
- 須賀川長沼 18ch
- 天栄 18ch
- 天栄大里 44ch
- 白河 18ch
- 白河表郷(武鉾山) 21ch
- 表郷犬神 18ch
- 西郷虫笠 28ch
- 西郷長坂 39ch
- 西郷八地中 39ch(垂直偏波)
- 田村船引 18ch
- 田村滝根 42ch(垂直偏波)
- 小野 28ch
- 三春 42ch
- 石川 21ch
- 古殿 42ch
- 古殿鎌田(西古殿) 18ch
- 古殿松川 34ch
- 平田蓬田 18ch
- 塙(米山) 18ch
- 塙笹原(東塙) 21ch
- 矢祭 39ch
- 棚倉富岡 18ch
| 会津地区 - 会津若松(背炙山) 18ch
- 裏磐梯 18ch
- 猪苗代大倉川(東裏磐梯) 39ch
- 柳津三島 25ch
- 金山 21ch
- 金山水沼(東金山) 25ch
- 金山大塩(西金山) 21ch
- 昭和 25ch
- 昭和大芦(東昭和) 18ch
- 南会津田島 25ch
- 南会津荒海 21ch
- 南会津南郷 21ch
- 南会津伊南 28ch
- 南会津内川 18ch
- 南会津耻風 21ch
- 只見 31ch
- 只見明和(東只見) 18ch
| 浜通り地区 - いわき南(湯の岳) 21ch
- いわき北(水石山) 25ch
- いわき遠野 29ch
- いわき湯本 18ch
- 原町 25ch
- 飯舘(大火山) 18ch
- 富岡 18ch
- 双葉川内 18ch
- 浪江津島 18ch
|
※ 東日本大震災による岩手県・宮城県・福島県のアナログ放送終了延期に伴い、2012年(平成24年)3月31日まで継続していた。
- 福島(笹森山送信所)・郡山 11ch JOPX-TV 出力:映像 3 kW、音声 0.75 kW
- 会津若松(背炙山送信所) 6ch - 開局当初はJOPY-TVというコールサインが存在したが、後に廃止された。
中通り地区 - 小野 3ch
- 古殿鎌田 4ch
- 月舘 6ch
- 石川 10ch(垂直偏波)
- 船引 10ch
- 古殿 10ch
- 岩代百目木 12ch
- 磐梯熱海 19ch
- 蓬田 34ch
- 泉崎太田川 36ch
- 塙笹原 38ch
- 東和針道 38ch
- 飯舘 40ch
- 福島信夫 41ch
- 川俣 41ch
- 大越 42ch
- 表郷犬神 43ch
- 飯舘蕨平 43ch
- 玉川川辺 43ch(垂直偏波)
- 磐梯高玉 44ch
- 川俣飯坂 44ch
- 天栄大里 45ch
- 棚倉富岡 45ch
- 郡山田村 47ch
- 西郷虫笠 47ch
- 西郷羽太 48ch(垂直偏波)
- 二本松 53ch
- 表郷 53ch
- 矢祭 53ch
- 古殿松川 54ch
- 塙 54ch
- 西郷長坂 54ch
- 天栄 55ch
- 飯舘関沢 55ch
- 飯舘向押 56ch
- 三春 56ch
- 土湯 57ch
- 滝根 57ch(垂直偏波)
- 保原富沢 58ch
- 福島渡利 58ch
- 福島大波 58ch
- 郡山河内 58ch(垂直偏波)
- 滝根入水 58ch
- 川俣大綱木 60ch
- 西郷谷地中 61ch
- 白河 62ch
- 長沼 62ch
| 会津地区 - 只見 3ch
- 金山 4ch
- 金山大塩 4ch
- 金山水沼 5ch
- 只見昭和 10ch
- 田島荒海 10ch
- 田島 11ch
- 伊南耻風 41ch
- 北塩原檜原(裏磐梯) 42ch
- 昭和 42ch
- 南郷 42ch
- 舘岩上郷 42ch
- 柳津三島 54ch
- 伊南 54ch
- 昭和大芦 54ch
- 会津若松東山 55ch
- 西会津 55ch
- 猪苗代大倉川(東裏磐梯) 56ch
- 舘岩 57ch
- 西会津奥川 58ch
| 浜通り地区 - 川内 1ch
- いわき遠野 1ch
- いわき平(水石山) 8ch
- いわき湯の岳(勿来) 9ch
- 原町 10ch
- 富岡 11ch(垂直偏波)
- いわき窪田 22ch
- いわき湯本 38ch
- いわき四ツ波 43ch
- 浪江津島 57ch
|
- 2001年(平成13年)[月に放送された27時間テレビのFNS各局のイメージキャラクターによる着ぐるみ相撲大会ではFNS各局の中で唯一キャラクターがなかったため、急遽FTVの鉄塔に同局のロゴをあしらえた「Fてっつあん」という着ぐるみが出演した。「Fてっつあん」はこの番組のみの出演となりこの後登場することはなかった。
- 2002年(平成14年)には『Lばんテレポート』で一般公募により「ふくたん」を採用し、FNS全局でイメージキャラクターが揃うこととなり、福島県内の民放テレビ局では初めてのイメージキャラクター採用となった。
●はアナウンス責任者経験者。
- 2014年豊嶋啓亮
- 2019年4月から12月まで、中国放送に移籍のため一時退職。2020年1月復帰。
- 2018年 日野佑希人
- 2023年 藏本智大
- 2025年 佐々木崚汰
- 2017年 菅家ひかる
- 2022年 大久保薫子、古賀ひかる
- 男性
- 女性
- 1963年
- 1967年
- 遠藤卓●(4月入社[49]、2002年9月退職[50])
- 制作部長、事業部長、関連会社出向などを経て。定年退職。
- 1968年
- 鈴木孝之(4月入社[48])
- 報道部記者、郡山支社報道部長、報道部長、営業業務局次長・編成部長、総務局長、取締役総務局長、取締役営業業務局長を経て、2006年6月3日から2011年まで取締役福島映像企画社長を歴任。
- 1983年4月から1987年3月まで、金曜・土曜の『FTVテレポート』のキャスターを担当。
- 原國雄●(4月入社[48])
- 定年後も関連会社に籍を置き同局アナウンサーとして活動後、2008年6月6日で退職。
- 1973年
- 榎本文克(1月入社[48]、2007年12月退職[51])
- 報道部、秘書部長、仙台支社長、大阪支社長、営業業務局次長・ハウジング部長、営業業務局専任局長・ハウジング部長(2006年7月1日から)を経て、2007年12月末で定年退職。
- 高橋雄一(1月入社[48]、2008年8月退職[51])
- 営業業務局専任局長(2006年7月)を経て、2008年で定年退職。関連会社「福島テレビエンタープライズ」契約アナ。
- 1975年
- 1977年
- 1979年
- 1982年
- 1983年
- 1992年
- 1998年
- 2001年
- 2005年
- 2007年
- 2010年
- 2013年
- 2016年
- 2019年
- 2023年
- 勝田直樹 -アクセント預かり。
- 系列局からの出向
- 1963年
- 1965年
- 1968年
- 1969年
- 1972年
- 1973年
- 1975年
- 1976年
- 1977年
- 1978年
- 1979年
- 1980年
- 1981年
- 1982年
- 1983年
- 1986年
- 1987年
- 1988年
- 1990年
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2010年
- 2013年
- 2014年
- 2015年
- 2017年
- 2018年
- 2019年
- 2022年
- 2023年
- スマイルプラス(月曜 - 金曜 11時20分 - 11時25分)
- キビタンGO! 〜ふくしまから はじめよう。〜(水曜 20時54分 - 20時58分)
- キビタン県政トピックス(土曜 12時55分 - 13時00分)
- SATURDAY FOOTBALL FUKUSHIMA(土曜 18時25分 - 18時30分)
- つなごう。〜未来へ、つなぎたいものは何ですか?〜(土曜 20時54分 - 20時58分)
- ハウジング情報(日曜 8時55分 - 9時00分、土曜 17時25分 - 17時30分)
- 福島市政だより(毎月第1日曜 13時55分 - 14時00分)
- あいづわかまつ情報チャンネル(毎月第2日曜 13時55分 - 14時00分)
- いわき市政だより(毎月第3日曜 13時55分 - 14時00分)
- 郡山市週間トピックス(日曜 14時55分 - 15時00分)
- 福テレの8ミニ(番宣番組)
- 福テレてんき(天気予報)
制作局の表記のない番組はフジテレビ制作。
制作局の表記のない番組はテレビ東京制作。
夕方帯ニュース番組
- FTVテレポート(1976年3月29日 - 1986年1月4日)
- 1976年から情報番組からワイドニュース番組へ企画変更。1984年10月から1986年1月までは『FNNスーパータイム』は分離して放送。
- FNN FTVテレポート(1986年1月6日 - 1997年3月30日)
- FNN FTVニュース555 テレポート ザ・ヒューマン(1997年3月31日 - 1998年3月27日) - 平日
- FNN FTVニュース テレポート ザ・ヒューマン(1997年4月5日 - 1998年3月29日) - 土日
- FNN FTVスーパーニュース テレポート(1998年3月30日 - 2000年4月2日)
- Lばんスーパーニュース(2003年3月31日 - 2007年3月30日)
- FTVスーパーニュース
- FTVスーパーニュースWEEKEND
- FTV みんなのニュース(2015年3月30日 - 2018年3月28日)
- FTVテレポートプラス - 2019年4月1日からは、『テレポートプラス』
夕方帯情報番組
- FTVテレポート(1973年10月1日 - 1976年3月26日) - 1976年3月29日からはワイドニュース番組へ企画変更。
- テレポート525 - 1996年7月1日 - 1998年3月27日
- テレポート - 1998年3月30日 - 2000年3月
- Lばんテレポート - 2000年4月3日 -2003年3月29日
情報番組
- こんにちは!FTVです(1966年5月7日 - 1968年4月27日)
- ワイドショーふくしま(1968年5月4日 - 1970年10月24日)
- FTVワイドショーふくしま(1970年11月7日 - 1972年6月24日)
- インフォメ・M&S
- 旬ネタWatch特選版
スポットニュース
- 福島民報ニュース(1963年4月 - 1971年8月)
- 民友ニュース(1963年4月 - 1971年8月)
- FTVニュース
- サンケイホームニュース - 『サンケイテレニュースFNN』(『産経テレニュースFNN』)のタイトル差し替え。
- FNN FTVニュース - 『サンケイテレニュースFNN』(『産経テレニュースFNN』)のタイトル差し替え。
- FNNテレスポット - 『ショットガン』のタイトル差し替え。
- FTVこんやのニュース
- FTVユアタイム クイック
- FTV THE NEWSα Pick
天気予報
- 県内の空模様
- FTV天気予報
- FTVお天気情報( - 2019年9月)
- お天気リポート(1986年1月6日 - 1999年9月) - 『FTVテレポート』後の18:55に放送していた天気予報
- 丸井の天気予報 - 平日 22:54 - 23:00。丸井郡山店一社提供
- FTVみんなの気象台( - 2015年3月27日)-斎藤恭紀が気象について解説する番組(収録番組)。毎週金曜22:52、『FTVお天気情報』を内包。
その他
- 話題をつく(1965年11月14日 - 1971年3月28日) - 県内時事解説番組。
- 農業の焦点(1967年1月8日 - 4月9日)
- FTV週間テレニュース(1966年3月7日 - )
- FTV道路交通情報( - 1997年3月)
音楽番組
バラエティー番組
スポーツ番組
- トライアスリート西内洋行のからうご(2009年2月 - 8月)
- マリーゼオーレ! -TEPCOマリーゼを応援するミニ番組。東京電力福島第一原子力発電所事故に伴うマリーゼの活動休止のため途中打ち切り。
- 玉ちゃん×長谷川のなるほど競艇団HYPER ※東日本大震災の影響により途中で打ち切り。
- あの時、君は。〜35年目の東日本女子駅伝〜(2019年9月6日 - 11月8日)
- きみこそ明日リート
県政番組
- 茶の間の県政(1963年4月7日 - 1986年3月[61])
- 200万人のひろば(1986年4月[61] - 1989年12月[62])
- 210万人のひろば(1990年1月7日[62] - 1999年3月[63])
- ときめきうつくしま(1999年4月4日[63] - 2006年3月)
- うつくしま情報局
- うつくしま情報局〜ふくしまから はじめよう。
トーク番組
- あの人この人(1964年1月4日 - 1965年10月15日)
- 顔は生きている(1965年11月13日 - 1966年3月26日) - 人相分析番組
教養・紀行番組
- トーアあみもの教室(1963年9月3日 - 11月26日)
- ちいさな世界(1972年9月3日 - 1999年9月)
- 赤ちゃんとママ(1976年4月3日 - 1977年3月26日) - ミニ番組
- くらしの窓(1973年9月1日 - 1984年) → くらしの情報
- うつくしま百名山
- うつくしま祭り50選
- うつくしまの誇り(東日本大震災以降休止していたが2011年10月10日から再開し、2015年3月28日まで放送していた)
- ふくしまてくてく - ミニ番組。フジテレビ制作であるが、制作協力として参加。
- 古関裕而 時を越える応援歌
グルメ番組
- Beerフレンズ -麒麟麦酒一社提供。
- ふくしまの米 食べちゃっ店舗
- 福のメシ〜地元に愛されるごはん〜
- 一酒懸命 〜ふくしまの酒を愛して〜
インフォマーシャル番組
- ほっとスポット(1997年3月 - 2007年9月)
- ハピ☆ネタ!(2007年9月 - 2010年3月)
- ふくたんインフォメーション
ドキュメンタリー番組
- いっしょに歩こう!ふくしま・福島を生きる
- #やりたいことをやろう
番組宣伝番組
- FTV番組フラッシュ( - 2010年4月) -FNNスピークと笑っていいともの番組予告終了後、福島テレビハウジングプラザのCMを30秒流したのちに放送。
- ヘンシン!FTVたいむ(不定期)
- HOT情報 - 一時期まで放送上のタイトルは「赤マルチェック」。
- 七転8チャンネル!
- ハチオシ!
- あすは「サタふく」ちょこっと!ハッ!見伝!
その他
- あしたのあなた - 『JNNニュースコープ』→『FTVテレポート』後に放送していた。うすい百貨店提供。
- FTVアーカイブ特選 - 開局50周年(2013年)企画
- ふくしまフィルムメモリー - 開局50周年(2013年)企画
- がんばっぺいわき〜日本の復興をいわきから
- ママと子どもの健康ライフ〜ラクトフェリンの活躍〜
- FTV情報ターミナル
- FTV求人情報
- キビタンでんぱ発信中(1993年4月4日[64] - ) - 『ふくしま国体』啓発番組[64]
- FTV夜の招待席
- ふくしま環境インフォメーション
- おいでよ!南会津
- いっしょに歩こう!ふくしま
- 歳時記の郷 奥会津
- 近代競馬150周年〜福島競馬とともに〜
- 福島空港発乗継情報 大空への扉〜福島空港から“ふくしま"を元気に〜 → 大空への扉
- 強く美しく生きる福島の女性「ハンサムウーマン」
- ふくしまの実り〜天のつぶ〜
- ぼくたち再生可能エネルギー学び隊
- アナタメセン+
- 希望の扉
- ふくしまの木 再発見!
- 希望ある復興へ〜福島市の取り組み〜
- 介護・明日への架け橋 → 介護・明日への架け橋 PART2
- シルミルいわき
- ふくのいろ エールマーケット
- 歩らっと!ふくしま
- 情報ターミナル(不定期)
- キカク! プラス
- うすい土曜劇場
- 1972年(昭和47年)10月に『うすいゴールデン劇場』としてスタート、1973年(昭和48年)4月に改称。1983年(昭和58年)3月枠撤退。地元の百貨店うすいがスポンサーの番組枠で土曜21時00分 - 21時54分に放送されていた[65]。
- 放送作品 参照:FTV 1983, pp. 254–275
- はまつアワー
- 県内で冠婚葬祭業や郡山市内でホテルを経営していたはまつグループがスポンサーの枠で、火曜 22時00分 - 22時54分 → 月曜 22時00分 - 22時54分 → 月曜 19時30分 - 20時00分に放送されていた。しかし、はまつグループの業績悪化のため2000年(平成12年)で枠撤退(2003年に民事再生法申請)。
- 1985年7月以降、『にっぽんの歌』(レギュラー番組)、『クイズ地球まるかじり』、『開運!なんでも鑑定団』といったテレビ東京の番組を番販の上で放送していたが、1996年(平成8年)4月よりフジテレビが同枠(ロート製薬一社提供枠)と22時のドラマ枠の枠交換を実施したことで、月曜22時に移動。『開運!なんでも鑑定団』は週末の昼に移動し、新たに開始した『SMAP×SMAP』を同時ネットすることとなったが、この経緯ではまつグループはこの枠のスポンサーを務めた。1997年(平成9年)4月より同番組はキー局のスポンサーが付くことになり、1997年(平成9年)4月に放送時間を繰り上げの上短縮。『弦哲也のFTVカラオケグランプリ』を放送した。
- はまつ水曜劇場
- ドラマなどの番組を放送。現在は枠撤退。
※ ◎ → 同時ネット ★ → 福島中央テレビに移行した番組
ニュース番組
情報番組
バラエティ
ドラマ
音楽番組
スポーツ番組
アニメ・特撮(子供向け番組含む)
ドキュメンタリー
その他
腸捻転時代(朝日放送制作)含む※ ◎ → 同時ネット ★ → テレビユー福島に移行した番組
ニュース番組
朝帯の情報番組
ドラマ
- 『金曜日の妻たちへ』の1983年4月以降は土曜 16時00分 - 16時54分に放送[131]。
バラエティ
クイズ番組
- 『スーパーダイスQ』は1983年9月まで[103]
トーク番組
音楽番組
スポーツ番組
紀行番組
ドキュメンタリー・教養番組
料理番組
アニメ・特撮(子供向け番組含む)
- 『ウルトラファイト』は1971年10月から1972年6月まで月 - 金曜 18時55分 - 19時00分に放送[167]。
- モノクロ版は火曜18時15分 - 18時45分に放送[171]。カラー版は同時ネット[83]。
その他
※ ◎ → 同時ネット ★ → TBS系時代からのネット。☆ → フジ系移行後にネット開始。◇ → 現ロゴになってからネット。
ニュース番組
情報番組
スポーツ番組
バラエティ番組
- 『ラブラブショー』は1973年9月まで日曜 11時30分 - 12時00分に放送[196]。1973年10月から同時ネット[197]。
- 1983年9月までは日曜 14時30分 - 15時00分の遅れネット。1983年10月から同時ネット[199]。
ドラマ
- ☆◇東海テレビ制作昼の帯ドラマ
- ★ライオン奥様劇場(1983年9月までは14時00分に時差ネットで、1983年10月からは同時ネット。)
- なお、ライオン枠は1983年10月3日 - 21日までは平日 13時00分 - 13時30分と16時00分 - 16時30分の並行放送。(前者は「殺さないで!あなた」、後者は「喜劇・女の天下」。)[94]
- 銭形平次
- 1967年8月 - 1970年3月 月曜 20時00分 - 20時56分[200][148]
- 1971年10月 - 1980年3月 火曜 22時00分 - 22時55分[201]
- 1981年4月 - 1983年3月 金曜 20時00分 - 20時55分[202]。1983年4月以降は同時ネット[203]
音楽番組
紀行番組
ドキュメンタリー
料理番組
アニメ番組(子供向け番組含む)
腸捻転時代(毎日放送制作)を含む。
※ ◎ → 同時ネット ▲ → 福島中央テレビ開局後に放送された番組 ★ → 福島中央テレビに移行した番組。
朝帯の情報番組
- 1968年4月から1970年1月まで[236]
バラエティ
- 日曜 16時30分 - 17時15分(1966年6月5日[238] - 1967年3月)
- 日曜 15時30分 - 16時15分(1967年4月 - 1967年10月1日[239])
- 日曜 16時00分 - 16時45分(1967年10月8日[82] - 1968年1月[240])
- 日曜 15時30分 - 16時15分(1968年2月[241] - 1968年10月6日[242])
- 日曜 16時00分 - 16時45分(1968年10月13日[181] - 1969年2月[243])
- 日曜 16時30分 - 17時15分(1969年3月[244] - 1969年9月)
- 日曜 17時00分 - 17時45分[245](1969年10月 - 1970年3月[246])
- ▲ラブアタック!(朝日放送制作)
- 1977年から1978年まで、土曜日に放送[247]。
ドラマ
- 1966年4月から1970年1月まで[248]
- 1965年5月から[250]
- 1967年3月から4月まで[252]
- 必殺仕掛人 →必殺必中仕事屋稼業』(第13話まで) - 同時ネット(TBS系時代)[253]
- 必殺必中仕事屋稼業(第14話から) →必殺からくり人・血風編』:水曜 23時05分 - 0時00分(ここからNET → テレビ朝日系列)[254]
- 新・必殺仕置人 →必殺仕事人(1980年3月まで):日曜 22時35分 - 23時25分に放送[255]
- 必殺仕事人(1980年4月 - 1981年4月):土曜 0時00分 - 0時55分(金曜深夜)[256]
音楽番組
アニメ・特撮(子供向け番組含む)
バラエティ
ドラマ
音楽番組
トーク番組
スポーツ番組
アニメ・特撮(子供向け番組含む)
その他(情報・ドキュメンタリーなど)
※基本はキー局と同じキャッチフレーズである(「ルール」など)
- 1972年(昭和47年) - 「伸びゆく福島 豊かな未来 電波で貢献する福島テレビ」[283]
- 1973年(昭和48年) - 「県民とともに10年 福島テレビ」(開局10周年)[284]
- 1980年(昭和55年) - 「FTVは、もうひとつの家族です」[注釈 52]
- 1981年(昭和56年)秋 - 「愛してます、秋。FTV。」[285]
- 1983年(昭和58年) - 「はたちダッシュ!フレッシュ! FTV」(開局20周年)[286]
- 1983年(昭和58年)秋 - 「この秋、おもしろロマン」[注釈 53](フジテレビ系列一本化時)
- 1990年(平成2年)春 - 「変わる、変わる、地球(FTV)時間。早起きは二重マル!夜ふかしも花マル!」[287](放送開始時刻が6時に繰り上がり、日曜(土曜深夜)の放送終了時刻が3時30分に繰り下がったことを知らせる広告で使用。)
- 1997年(平成9年) - 「愛されてお茶の間のロングセラー 福島テレビ」[288]
- 2002年(平成14年) - 「きっかけは、福島テレビ」[注釈 53](CMでは「フジテレビ」の部分を音声と字幕スーパーで差し替えて使用)
- 2011年(平成23年) - 「いっしょに歩こう!ふくしま」(震災復興キャンペーン)
- 2012年(平成24年)春 - 「ピカる 福島テレビ」[注釈 53]
- 2013年(平成25年)1月 -2014年(平成26年)3月31日 「FTV @(アット)ホーム」(開局50周年キャンペーン)
- 2015年(平成27年)春 - 12月 「ヘンシン! FTV」
- 2016年(平成28年)1月 - 「七転8チャンネル」(アナウンサーの似顔絵が入った起き上がりこぼしのアニメーションが使用されている)
- 2023年(令和5年)1月 - 「もっと!ぐっと!福テレ59+1=60th」(開局60周年)
- ^番組・CM制作、照明・音響、イベント企画・運営
- ^FTVカルチャーセンター・FTVフラワーセンター・福島テレビハウジングプラザ運営、イベント企画運営、貸しビル業、人材派遣業、保険代理業
- ^JOCX-TV/JOCX-DTVが由来。
- ^朝日放送社史「ABC十年」、毎日放送社史「毎日放送五十年史」による。
- ^ただし、実際には「FTB」の略称はあまり使われず、「福井テレビ」と呼ばれることがほとんどであるが、本局同様に「福テレ」とも呼ばれている。
- ^フジニュースネットワークの公式ウェブサイト「FNNプライムオンライン」やYahoo!ニュース(Yahoo! JAPAN)では、従来の「FTV」のロゴマークが使用されている[5][6]。
- ^東北地方のテレビ局では他にも東北放送が予報業務許可事業者となっている。
- ^現在のFTVは俗に言う「あとかぶ」の「福島テレビ株式会社」。
- ^このことはFM放送割り当てから10年以上経て開局したエフエム福島にも及んでいる。エフエム福島の割り当てはエフエムラジオ新潟を含めTV4局目の割り当て条件と新潟県と同一である。
- ^この主調整室の設備は、音声多重放送対応への設備改良を経て、1990年(平成2年)2月28日まで使用された。
- ^1963年の開局時からの略称・社名のロゴマークは1998年まで継続して使用。同じく開局から使用された「ftv」と表記されたロゴマークも併用。
- ^朝帯のニュース番組『FNN朝駆け第一報!』開始に伴う。
- ^ただし、特殊なデザインであるため形式上使いにくい場合などには簡素系のロゴマークが使用される。
- ^1998年4月当初は放送上では使用されず、1998年末までに開局以来使用されたロゴマークと並行使用した上で移行。一部の送信所・中継局等では、旧ロゴマークが残っている。
- ^当初は2011年(平成23年)7月24日停波予定だったが東日本大震災に伴い中止、特例法により同日に延期された。
- ^1977年以降の局名はテレビ朝日
- ^1963年7月の朝帯放送開始から
- ^FNN非加盟のため、「FNN」はタイトルから省いて放送。
- ^1971年9月30日まで同時ネットしていた福島中央テレビから移行
- ^現・フジ・メディア・ホールディングス
- ^日曜日は、17時30分(JST)に放送。
- ^ab土曜・日曜は23時40分 - 0時25分(JST)から。
- ^土曜日・日曜日は、『FNNニュースレポート5:30』として放送。
- ^福島テレビ 専務取締役
- ^福島テレビ 取締役副社長
- ^福島テレビ 非常勤取締役
- ^フジテレビジョン 常務取締役
- ^福島テレビ 監査役
- ^ホテルハマツの隣に福島テレビ郡山支社の入居するビルがある
- ^abcd『福島テレビ50年史』「職員入退社一覧」に記載なし。
- ^2011年9月 - 2012年3月まで圭三プロダクション所属フリーアナウンサー。
- ^フジテレビと同時刻だが、遅れネット。
- ^春と秋の福島競馬開催時は『エキサイティング競馬』を放送するため、未ネット。なお、他のスポーツ中継などで放送されない週が稀にある。
- ^はまつアワー枠で放送されていた時期がある。
- ^1994年5月から1996年3月までは火曜10時(はまつアワー枠)。1996年4月から1997年3月30日までは日曜 10時55分 - 11時50分。1997年4月6日 - 9月28日までは日曜 13時00分 - 13時55分。1997年10月5日からは現在の時間帯に移動(途中で5分放送時間拡大あり)。
- ^第1期・2期は未ネット。
- ^2013年4月に福島放送から移行。
- ^『復興支援シリーズ番組 いっしょに歩こう!ふくしま』を放送する週は、『ウチくる!?』は休止となっていた。
- ^2012年4月から12月まで毎月最終月曜 19時00分 - 19時54分。また19時30分 - 19時54分の30分版の場合もあった。30分版の場合は19時00分 - 19時30分は『FTVスーパーニュースSP』(FTVスーパーニュースの拡大版)が放送された。2012年12月までは放送日の『ネプリーグ』は土曜16時30分 - 17時25分に放送。『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP SPECIAL』や『ネプリーグSP』などがあった場合、『HEY!HEY!HEY!』や『ネプリーグ』側が1時間枠となっていた。2013年1月から2014年4月までは毎月最終土曜 10時30分 - 11時00分、2014年6月から2016年3月までは不定期で最終土曜 10時30分 - 11時00分に放送されていた。
- ^フジテレビ制作の第6戦も福島テレビで放送
- ^FNN移行後(1983年(昭和58年)4月以降)は当時『3分クッキング』をネットしていた枠(月 - 金曜 11時30分 - 11時40分)でフジテレビ発の昼ニュースをネットすることになった関係から月 - 金曜 14時30分 - 14時40分に時差ネット。1983年12月のテレビユー福島開局後も、番組テキストが季刊であることなどの関係からネット移行が1か月遅れた。
- ^志村座以降は同時ネット。
- ^1週間に2回放送。計5回分のみ放送。
- ^2016年4月10日から同年9月17日までは同時ネット。
- ^殆どの作品が遅れネットまたは未放送であり、同時ネットを行ったのは『ドラゴンボール超』の第38話以降と『ゲゲゲの鬼太郎 (第6作)』のみ。
- ^『未来警察ウラシマン』は1983年4月に土曜18:30 -19:00枠に変更後も土曜 17時00分 - 17時30分にて遅れネットを継続。
- ^全国ネット時代・ローカルセールス時代問わず、日曜9:00 - 9:30枠と同様に原則として遅れネットまたは未放送となっており、同時ネットを行った作品は『OKAWARI-BOY スターザンS』『よろしくメカドック』『パラッパラッパー』(第17話で打ち切り)のみ。
- ^2020年4月の富豪刑事 Balance:UNLIMITED以降は同時ネット。
- ^2012年5月9日から8月8日まで一時ネット打ち切りしていた。
- ^『V3』から『VSRF』までの作品は県内未放送。
- ^『アイカツフレンズ!』と『アイカツオンパレード!』は県内未放送。『アイカツプラネット!』はテレビユー福島で放送された。
- ^当時の系列キー局だったTBSのキャッチフレーズを流用。
- ^abcフジテレビのキャッチフレーズを流用。
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{{cite news}}:|archive-date=と|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2019年4月7日) (説明)⚠ - ^“正会員リスト”. 会員一覧. ACジャパン. 2025年1月18日閲覧。
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- ^『福島民報』1981年9月28日付朝刊6 - 7面、福島テレビ両面広告。
- ^『福島民報』1983年4月1日付朝刊14面、福島テレビ全面広告。
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- ^『福島民報』1997年1月1日付朝刊112面、福島テレビ全面広告。
- 福島テレビ編『福島テレビ15年のあゆみ』1978年発行、36ページ。
- 『福島テレビ開局20周年記念出版 福島テレビ20年史』福島テレビ 社史編集委員会、1983年12月25日。
- 福島テレビ30年史編集委員会編『福島テレビ30年史』1993年6月発行、153ページ。
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脚注   1フジネットワーク系列全28社の報道部門で構成。 2NNN/NNSとの提携関係あり。 3NNN/NNSとのクロスネット局であるが、NNN・FNNのみの加盟と記述してある資料あり。 4NNN・ANNとのクロスネット局であるが、ANNには報道部門のみの参加。 5太字はFNN・FNS双方に加盟。細字はFNSのみに加盟。 6加盟局が運営・出資する衛星放送(CSチャンネル)。 7現在のJ SPORTS。フジテレビは2009年9月まで出資。 82009年4月30日で閉局。 9母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。 102008年10月、株式会社フジテレビジョン(旧法人)が認定放送持株会社に移行し、商号を「株式会社フジ・メディア・ホールディングス」に変更。新設分割によりテレビ放送事業を新設の「株式会社フジテレビジョン」(新法人)に継承。 |
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脚注   1正式なクロスネット局ながら、NNNフルネット局(NNNのニュース番組は全て同時ネットのため)、ANNには報道部門のみ参加。 2FNN/FNSとのクロスネット局(資料によってはNNN、FNNのみの加盟と記述してあるものもある)。 3FNN/FNS、ANN(報道部門のみ加盟)とのクロスネット局、NNSには非加盟。 4加盟局が運営・出資する衛星放送(CSチャンネル)。2025年現在では日本テレビのみが運営・出資している。 51996年10月1日開局、2000年9月30日閉局。 6太字はNNN・NNS双方に加盟。細字はNNNのみに加盟。 7旧NTVは2012年に現NTVに放送免許を譲渡。 8加盟当時はSKT静岡県民放送。 9母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。 10一部を除く日本テレビ製作の映画作品に製作委員会として参加。 |
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脚注   1加盟局が運営・出資する衛星放送(CSチャンネル) 2旧TBSは2009年に現TBSに放送免許を譲渡。 3旧CBCは2014年に現CBCに放送免許を譲渡。 4OTV大阪テレビ放送は後にABCに吸収。OTV閉局当時はJNNが未発足であったが便宜的に記述。 5旧RKBは2016年に現RKBに放送免許を譲渡。 6旧MBSは2017年に現MBSに放送免許を譲渡。 7旧RSKは2019年に現RSKに放送免許を譲渡。 8旧BSNは2023年に現BSNに放送免許を譲渡。 9母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。 10JNN系列局はないが、友好関係がある新聞社(過去に系列局を置く計画があったが、断念した)。 11TBSラジオなどが加盟するラジオネットワーク。 12旧称・TBSカンガルー災害募金。 |