 | この項目では、日本の都道府県としての福井県について説明しています。福井県の行政機関については「福井県庁」をご覧ください。 |
福井県(ふくいけん)は、日本の中部地方(北陸地方)に位置する県。令制国の越前国と若狭国に相当する。県庁所在地は福井市。
北陸地方の最西端に位置しており、同地方で最も人口が少ない県である。
山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北(敦賀市を除く越前国地域)と、南側の嶺南(若狭国地域および敦賀市)より構成される。
また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が180(京都府とに跨る1を含む)あるが全て無人島。うち本州から最も離れているのが常神半島沖の岩礁である千島となるが、約3 kmの距離にとどまっている。
越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。
地理上は北陸地方または中部地方と分類されるのが一般的であるが、行政管轄区分において近畿地方に包括される場合もある(国土交通省の近畿地方整備局など)。 その関係性の深さから、徳島県や鳥取県とともに近畿ブロック知事会に参加している。嶺南地方は滋賀県や京都府と隣接しており、北陸地方の中では最も関西エリアとの繋がりが深い。北陸の玄関口である敦賀駅からは、JR西日本の新快速で京阪神エリアに乗り換えなしでアクセス可能である。北陸新幹線が開通。東京に直通で行けるようになる。
ケッペンの気候区分では県内全域が温暖湿潤気候であるが、日本海側気候であり県内全域が豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)に指定されている。特別豪雪地帯の大野市・勝山市・池田町・南越前町の旧今庄町は全国屈指の積雪量であり、大野市では年間降雪量500cm、最深積雪100cmを超える[1]。
福井市の平野部は海抜5 -15 m程度でありながらも海岸からは山地に隔たれた内陸に位置するため、沿岸部に面する富山市や金沢市などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2018年2月7日に積雪147cmを記録しているなど1m以上の積雪となることもある[1]。
一方、日本海沿岸部では対馬暖流の影響により冬でも比較的暖かく、雪よりも雨の日が多い。
年間の降水日数は170日あり[1]、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する[注釈 1]。
福井県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報)平年値 (月単位) | 嶺北 | 嶺南 |
|---|
坂井市 三国 | 坂井市 春江 | 福井 | 福井市 越廼 | 勝山 | 大野 | 南越前町 今庄 | 敦賀 | 美浜 | 小浜 |
|---|
平均 気温 (°C) | 最暖月 | 25.6 (8月) | | 26.8 (8月) | 26.6 (8月) | | 26.0 (8月) | 25.1 (8月) | 27.1 (8月) | 26.4 (8月) | 26.5 (8月) |
|---|
| 最寒月 | 3.1 (2月) | | 3.1 (1,2月) | 4.9 (2月) | | 1.1 (2月) | 1.5 (2月) | 4.3 (2月) | 4.1 (2月) | 3.5 (2月) |
|---|
降水量 (mm) | 最多月 | 224.0 (12月) | | 279.8 (1月) | 223.0 (9月) | | 278.7 (7月) | 336.1 (1月) | 282.3 (12月) | 250.8 (1月) | 221.1 (9月) |
|---|
| 最少月 | 121.4 (4月) | | 137.4 (4月) | 140.6 (4月) | | 140.4 (4月) | 134.8 (4月) | 133.1 (4月) | 121.3 (4月) | 110.0 (4月) |
|---|
西側に若狭湾、東側に越前海岸福井県は地図で見ると、鍵あるいはゾウのような形をしている。特に、嶺南に所属する若狭湾の海岸線はリアス式海岸として有名である。
以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む[2]。
嶺北
- 福井地区
- 坂井地区
- 奥越(奥越前)地区
- 丹南(南越前又は南越)地区
嶺南 (福井県嶺南振興局所管区域)
- 二州地区
- 若狭地区
平成の大合併による2004年3月から2006年3月の合併状況いわゆる平成の大合併が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。
勝山市と今立郡池田町が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市も態度を保留していたが、結局、頓挫することになった。
- 平均寿命 令和2年(2010年)
- 男 - 81.98歳(全国7位)
- 女 - 87.84歳(全国18位)
※令制国ごとの歴史は、越前国・若狭国も参照。
- 旧石器時代
- 県内には遺跡が各地に点在しており、約1万5000年前から人が住んでいたことが窺える。三国町の西下向・雄島・馬コロバシ遺跡や永平寺町の木橋遺跡、南幅遺跡などからはナイフ型石器(三国型と命名)や掻器などの多数の石器が出土している。
- 縄文時代
- 鳥浜貝塚(若狭町)からは草創期の縄文土器(隆起線文・斜格子文土器)をはじめ竪穴建物跡や丸木舟、弓矢、土器に模様を付けるための縄などが出土している。その他、県内各地の遺跡からも多くの遺物が出土し、土器の形式から畿内や飛騨国などの地域との交流があったことが窺える。
- 弥生時代
- 前期ごろには稲作が伝わったとみられ、それを窺わせる土器が出土している。
- 金属器、玉、布の生産も行われていたようである。嶺北は銅鐸が出土した日本海側の北限である。
- 中期ごろには首長の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。
- 古墳時代
- 4世紀初めごろには嶺北で前方後円墳が造られ始め、4世紀中ごろからは九頭竜川中流域で大規模な古墳が造られ始める。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や六呂瀬山古墳群(4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていたことが窺える。
- 5世紀になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳が造られ始める。
- 5世紀後半から6世紀にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四国造が分立した。三国国造があった地域は、継体天皇がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である継体天皇がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と越国の勢力とが合一した。
- 570年~574年、高句麗使が越国近辺に来着する。
- 継体天皇以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。
- 6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な円墳や群集墳が造られ始めるが、7世紀になると古墳自体造られなくなる[3]。
- 飛鳥時代から奈良時代
- 7世紀後半ごろには律令制の導入に伴い「若狭国」が成立したと見られ、7世紀末には「越前国」が成立したと考えられる。
- 若狭国は若狭湾で精製した塩を調(地方特産物を納税)として都に納めていた。現在も製塩遺跡が残る。
- また調とは別に贄(にえ)と呼ばれる海産物を直接天皇家に貢いだことが平城京の木簡や延喜式から分かっている。これにより若狭国は万葉集に出てくる「御食国」の一つと推定されている。
- 749年、東大寺が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また墾田を買収して、福井平野に多くの荘園を獲得する。このころには条里制が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。
- 8世紀になると渤海との交流が盛んになり、若狭国や越前国は渤海使の来航や遣渤海使の派遣の拠点となる。8世紀後半には交易が中心になる。
- 764年、クーデターに失敗した恵美押勝(藤原仲麻呂)が越前国に逃れようとするも愛発関が閉じられたため失敗する(藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱))。
- 平安時代
- 鎌倉時代
- 島津氏・後藤氏等が守護職に任ぜられる。
- このころになると廻船業が発達し、敦賀津や小浜津、三国湊などが整備され、海上交易が盛んになる。また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。
- 1243年には、道元が越前国志比庄にある吉峰寺(永平寺町)に入り、翌年に大佛寺(後の永平寺)を創建する。
- 13世紀末以降には高田系浄土真宗が越前国北部を中心に広まる。
- 室町時代
- 戦国時代
- 1471年、蓮如が越前国吉崎に入り吉崎御坊を建立、北陸地方における本願寺系浄土真宗の布教拠点となる。その後、一向一揆が相次ぐこととなる。
- 1506年、加賀国から本願寺門徒らが侵入する。しかし、朝倉教景(宗滴)指揮する朝倉方はこれを九頭竜川で迎え撃ち勝利する(九頭竜川の戦い)。
- この後、朝倉氏は本願寺系浄土真宗を禁圧する。そのため、多くの本願寺門徒や僧は加賀国に逃れる。そして、たびたび越前国に侵入することになる。
- 16世紀以降、若狭国では内乱が相次ぎ武田氏は次第に弱体化する。また、朝倉氏が武田氏支援のため若狭国に軍事介入するようになる。
- 足利義秋(義昭)が上洛を果たすため、1566年に武田氏を頼って若狭国に、1567年には朝倉義景を頼って越前国に入る(この時、義昭に改名)。しかし、上洛を果たせず、1568年、織田信長を頼って美濃国に出国してしまう。
- 1568年、朝倉氏が若狭国に侵攻する。
- 1569年、将軍義昭が本願寺と朝倉氏を和睦させる、この時、本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれる。また、本願寺と外交関係のあった甲斐武田氏ら遠方勢力らとも連携を取る。
- 1570年4月、信長が朝倉攻めを開始し、金ヶ崎城などを開城させる。しかし、浅井長政の離反により京に撤退する(金ヶ崎の退き口)。
- 1570年9月、信長が大坂、野田・福島で三好三人衆や本願寺と交戦している最中、義景が兵を率い、浅井・朝倉連合軍が3万の軍勢で京に攻め上り、京の口、比叡山に築城する。六角氏の挙兵などもあり、信長は孤立するが、将軍義昭の仲介で講和が成立する(志賀の陣)。
- 安土桃山時代
- 江戸時代
- 越前国
- 1600年の関ヶ原の戦いの後、戦功第一の恩賞として結城秀康に越前一国および下野国結城郡75万石が与えられる(北ノ庄藩)。越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。
- 1623年、秀康の長男松平忠直は狼藉を理由に豊後国荻原に配流された。かわりに秀康次男の越後高田藩主松平忠昌が幕命により相続し、忠直の長男松平光長には越後国高田(上越市)に新たに領地が与えられた。このとき北ノ庄藩は規模を縮小し、余地をもって越前勝山藩、大野藩、丸岡藩などの複数の小藩が成立。また、敦賀郡はいったん幕府領(天領)となった後、小浜藩領となり、後に小浜藩支藩の敦賀藩などが成立した。このように、越前は複数の藩に分割統治されることとなった。江戸幕府八代将軍徳川吉宗が若かりしころ、領地を持っていたこともあった。交代寄合旗本の陣屋としては白崎陣屋の金森氏がある。忠昌の越前入部の際、北ノ庄は福居(後に福井)に改称された[6]。これが福井市および県名の由来とされている。
- その後、鯖江藩などが成立する。その他越前には福井藩の支藩や幕府領、旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。忠昌の子孫である越前松平家は紆余曲折を経ながらも福井藩主として幕末まで残った。出雲松江藩主家や播磨明石藩主家、上野前橋藩主家などの大藩の藩主家は忠昌の弟達から始まる越前松平家傍流にあたり、津山松平家は忠直の息子光長に関係する傍流である。
- 若狭国
- 江戸時代前期は上方と北国を結ぶ年貢米などの中継地として、小浜や敦賀の湊が多用された。
- 江戸時代中ごろ以降は北前船が三国や敦賀に寄港し、蝦夷地や大坂を結んでいた。小浜の古河、越前河野浦の右近などの北前船主が活躍した。
- 1774年、小浜藩医である杉田玄白と中川淳庵が前野良沢らとともに「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、「解体新書」を刊行する。
- 幕末期には福井藩主である松平春嶽や福井藩士橋本左内、元小浜藩士の梅田雲浜らが活躍する。また、丸岡藩や小浜藩などが台場を建設する。
- 明治維新から昭和(第二次世界大戦の終戦)まで
- 昭和(第二次世界大戦後)
- 平成
- 令和
- 2020年(令和02年)4月14日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、杉本達治知事が県独自の緊急事態宣言を出した。5月6日まで、不要不急の外出や会合・会食の自粛を要請、県外からの来県の自粛を求めた[11]。
- 2024年(令和06年)ワシントン・ポストの「人混みを避け、2024年に旅すべき場所」に選ばれた[12]。
- 2024年(令和06年)3月16日、北陸新幹線金沢 - 敦賀間延伸開業。東京 - 福井間を直通の最短2時間51分で結ぶ。北陸本線の敦賀 - 金沢間は廃止となり、県内では敦賀市を除き在来線定期特急列車の運行がなくなる。敦賀 -大聖寺間はハピラインふくいが経営を引き継ぐ。
人口は2000年の約83万人をピークに減少している。合計特殊出生率は全国的にも高い県であり、21世紀以降は一貫して全国平均以上かつ新潟県を含む北陸4県中で最高を維持している[13]。2005年ごろ以降、日本の合計特殊出生率は相対的に西日本で高く東日本で低い傾向にあるが、2021年には中部地方以東の都道県で唯一1.5を超える県となった。
福井県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出)| 増加 0.0 - 2.49 % | 減少 0.0 - 2.5 % 2.5 - 5.0 % 5.0 - 7.5 % 7.5 - 10.0 % |
 |
| 福井県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 福井県の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 福井県 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
福井県(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 744,230人 | | | 1975年(昭和50年) | 773,599人 | | | 1980年(昭和55年) | 794,354人 | | | 1985年(昭和60年) | 817,633人 | | | 1990年(平成2年) | 823,585人 | | | 1995年(平成7年) | 826,996人 | | | 2000年(平成12年) | 828,944人 | | | 2005年(平成17年) | 821,592人 | | | 2010年(平成22年) | 806,314人 | | | 2015年(平成27年) | 786,740人 | | | 2020年(令和2年) | 766,863人 | |
|
| 総務省統計局国勢調査より |
- 福井県内 市町別人口ランキング
| 県内順位 | 都市 | 地域区分 | 人口 | 県内順位 | 都市 | 地域区分 | 人口 |
|---|
| 1 | 福井市 | 嶺北 | 263,109人 | 6 | 大野市 | 嶺北 | 33,249人 |
| 2 | 坂井市 | 嶺北 | 91,638人 | 7 | 小浜市 | 嶺南 | 29,262人 |
| 3 | 越前市 | 嶺北 | 82,754人 | 8 | あわら市 | 嶺北 | 28,190人 |
| 4 | 鯖江市 | 嶺北 | 69,734人 | 9 | 勝山市 | 嶺北 | 23,186人 |
| 5 | 敦賀市 | 嶺南 | 65,565人 | 10 | 越前町 | 嶺北 | 21,519人 |
| 2019年 4月 現在 |
- 福井県内市別人口密度ランキング(2016年(平成28年)現在)
- 鯖江市(809人/km2)
- 福井市(495人/km2)
- 坂井市(429人/km2)
- 越前市(351人/km2)
- 敦賀市(262人/km2)
2024年現在の人口は74万人であり1948年(昭和23年)とほぼ同じ人口水準である。1960年(昭和35年)時点では鳥取県に次ぐ人口が少ない県であったが、現在までに島根県・徳島県・高知県を上回り現在は全国43位の規模となっている。
表1. 国勢調査結果に基づく福井県の人口推移| !実施年 | 人口(人) | 増減人口(人) | 人口増減率(%) | 国内増減率(%) | 増加率全国順位 |
|---|
| 1960年 | 752,696 | - | - | - | - |
|---|
| 1965年 | 750,557 | 2,139 | 0.28 | 5.20 | 23位 |
|---|
| 1970年 | 744,230 | 6,327 | 0.84 | 5.54 | 30位 |
|---|
| 1975年 | 773,599 | 29,369 | 3.95 | 7.92 | 24位 |
|---|
| 1980年 | 794,354 | 20,755 | 2.68 | 4.57 | 36位 |
|---|
| 1985年 | 817,633 | 23,279 | 2.93 | 3.40 | 18位 |
|---|
| 1990年 | 823,585 | 5,952 | 0.73 | 2.12 | 23位 |
|---|
| 1995年 | 826,996 | 3,411 | 0.41 | 1.58 | 30位 |
|---|
| 2000年 | 828,944 | 1,948 | 0.24 | 1.08 | 21位 |
|---|
| 2005年 | 821,592 | 7,352 | 0.89 | 0.66 | 25位 |
|---|
| 2010年 | 806,314 | 15,278 | 1.86 | 0.23 | 28位 |
|---|
| 2015年 | 786,740 | 19,574 | 2.43 | 0.75 | 26位 |
|---|
| 2020年 | 766,863 | 19,877 | 2.53 | 0.75 | 22位 |
|---|
福井県,徳島県は人口規模、面積、人口密度、北陸・四国の玄関口となっており類似点が多い。徳島県と人口推移比較をして福井県の現況を考察する。1950年時点では徳島県の方が13万人近く福井県の人口上回っていたが、1950年の人口規模に対して、19万人も少ない徳島県に対して、福井県は1万人少ない程度で収まっており、2024年現在の人口は福井県が約74万人、徳島県が69万人で5万人程度福井県が徳島県の人口を上回っている状況になっている。
表2. 福井県・徳島県の人口推移| 実施年 | 福井県人口(人) | 徳島県人口(人) | 福井県人口増加数(人) | 徳島県人口増加数(人) | 福井県増加率(%) | 徳島県増加率(%) |
|---|
| 1950年 | 752,374 | 878,511 | - | - | - | - |
|---|
| 1975年 | 773,599 | 805,166 | 21,225 | 73,345 | 2.8 | 8.3 |
|---|
| 2000年 | 828,944 | 824,108 | 55,345 | 18,942 | 7.2 | 2.4 |
|---|
| 2024年8月 | 739,411 | 686,625 | 89,533 | 137,483 | 10.8 | 16.7 |
|---|
福井城址にある福井県庁舎- 2007年(平成19年)度
- 財政力指数 0.40
- IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中10位
- 2006年(平成18年)度
- 財政力指数 0.37
- IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中4位
- 2005年(平成17年)度
- 財政力指数 0.34
- IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中11位
- 2004年(平成16年)度
- 財政力指数 0.33
- IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中9位
衆議院では県内に2つの小選挙区があり、比例北陸信越ブロックに属する。参議院では全県で1区を構成。
工業地域としては北陸工業地域の南端を担っている。第二次産業と第三次産業を主としており、工業が大変盛んである。また、社長の数も数年連続で全国で1位となっている。
- 繊維産業
- 楽器
- 眼鏡産業
- 鯖江市を中心にメガネフレームなど、全国生産の90%以上を生産
- 漆器産業
- 刃物産業
- 紙産業
- 原子力発電
- 原子炉は15基設置されている
- 敦賀市:4基(内3基廃止措置中)
- 美浜町:3基(内2基廃止措置中)
- おおい町:4基(内2基廃止措置中)
- 高浜町:4基
(五十音順、カッコがないものは東証プライム上場)
福井県を創業地とし、県外に本社を置いている企業として、アトム、飛島建設(上場企業は飛島ホールディングスへ移転)、前田建設工業、山善などがある。また、村田製作所やアイシン、カナデビア、ニチコン、ニデック、パナソニックホールディングス、森永乳業といった大企業のグループ会社も多数位置している。
- 福井県警察
- 原子力関連施設が多いため、福井県警察には全国的に数少ない原子力施設警備隊が設置されている。
- 4箇所設置している運転免許試験場(施設名は「運転者教育センター」)が住所地管轄もしくは隣接管轄の警察署管内に所在し、自動車運転免許の更新手続は各試験場のみで行っている。警察署及び同分庁舎では住所本籍氏名変更(ICチップ記録内容の書換非対応)、全免種の自主取消といった手数料不要の一部手続のみ取扱。
- 福井県防犯隊連合会
- 福井県安全で安心なまちづくりの推進に関する条例(平成16年福井県条例第18号)による知事の指定を受けた「市町安全安心センター」として、全17市町の条例に基づき市町防犯隊を市役所及び町役場の危機管理部署に、支隊を一または複数の公立小学校区もしくは公設公民館区ごとに設置し、地元住民隊員による地域防犯活動を行う。防犯隊員には消防組織法に基づく消防団員や水防法に基づく水防団員と同様に非常勤の特別職公務員としての身分を与えられている点が一般的な防犯協会員と明確に異なり、都道府県レベルで組織化しているものとしては初の事例である。
- 電力
- 都市ガス
定期便が飛ぶ最寄りの空港は小松空港(石川県小松市)である。
池田町・越前町を除く15市町に鉄道駅が存在する。県内の鉄道路線は越美北線を除いて全線電化されている。北陸本線および小浜線を除く各路線は福井駅を通るか乗り入れる系統を基本とし、先の2路線は北陸新幹線・ハピラインふくい線とともに敦賀駅を発着する。北陸新幹線・北陸本線の特急列車並びに新快速を除く、県内を運行する普通列車の大半が1 -3両編成でのワンマン運転を実施している。普通列車の日中の運転本数は、JRは県下全域に亘り毎時1本以下、私鉄・第三セクター(毎時1本となるハピラインふくい線の福井駅以北を除く)は毎時2本程度。
- 日本貨物鉄道(JR貨物)
- 自己保有路線として北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線、2019年廃止)があったが、2024年現在は北陸本線、ハピラインふくい線のみを利用(第二種鉄道事業)。
- 一般国道
- 県道
- 主な広域農道
- 災害拠点病院
- 保育所
- 日刊新聞
同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が異なり、嶺北地方の方言は北陸方言に、嶺南地方の方言は近畿方言に分類されることが多い。嶺北と嶺南の方言の際立った違いとしてはアクセントが挙げられるが、嶺北・嶺南それぞれの内部においても細かな差異がある。
- 郷土料理
- 国宝
- 重要伝統的建造物群保存地区
- 名所旧跡
- 自然景勝地
- 温泉
- スキー場
- 都市公園
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