神学 (しんがく、古希 :θεολογία 、羅 :theologia 、英 :theology )とは、神 をはじめとする宗教 的概念についての理論的考察を行う学問である。
一般的に神学というとキリスト教 の神学を指す場合が多いが、ユダヤ教 やイスラーム にも神学の伝統は存在する。神道 や仏教 における神学に相当する学問は、教学 (きょうがく)や宗学 (しゅうがく)と呼ばれることが多い。護教学 (ごきょうがく)と呼ばれることもある[ 注釈 1] 。
英語 :theology は、古代ギリシア語 :θεολογία (theologia )に由来する。後者はθεός (神)およびλόγος (言葉)の合成語であり、「神についての議論・論説(学問)」を意味する。
単に「神学」と言う場合、専ら啓示神学 のみを指す場合がある(狭義の神学)。他方、啓示神学と自然神学 を両方含めて「神学」とする場合もある(広義の神学)。
啓示神学(狭義の神学)とは、啓示 、聖典 、信仰 など通常の人間の理性を超えたものを前提として立てた上で進められる、神についての議論である[ 1] 。この意味での神学は、理性 によっては演繹 不可能な信仰 の保持および神の存在を前提とすることで、一切の思想的前提を立てない理性 の学としての哲学とは異なるとする見方が一般的である。
自然神学 とは、理性 によって宗教的・神学的問題を探求しようとする学問である[ 1] 。この神学は、方法論 も批判 基準も哲学 と同一であり[ 1] 、哲学の一部門と見做されることがある。トマス・アクィナス などはこの種類の神学を展開した。神学は各宗教ごとに存在するものではなく、信仰そのものについて考察する学問として、一般神学が存在しうるとの理解も可能である[ 注釈 2] 。
神学は、神の本質 について原理 ・形而上学 ・思惟 などのアプリオリ な側面から考察しようとする。これに対し、宗教学 は社会学 、民俗学 、人類学 などの経験的諸学の視点から、宗教現象について考察しようとする。
キリスト教神学は、イエス・キリスト への信仰を前提とするという意味においてキリスト教宗教学 と異なっている[ 2] 。キリスト教学 との違いについては、対象は変わらないがアプローチの方法が異なるという意見と、本質的な違いはないという意見がある。
プラトン は『国家 』第2巻において、ソクラテス の対話相手であるアデイマントス の発言の中で、θεολογία (theologia )という言葉を「神についての言論(ロゴス )」という意味で用いている。
ギリシャ語 和訳 … ὀρθῶς, ἔφη· ἀλλʼ αὐτὸ δὴ τοῦτο, οἱ τύποι περὶθεολογίας τίνες ἂν εἶεν; τοιοίδε πού τινες, ἦν δʼ ἐγώ· οἷος τυγχάνει ὁ θεὸς ὤν, ἀεὶ δήπου ἀποδοτέον, ἐάντέ τις αὐτὸν ἐν ἔπεσιν ποιῇ ἐάντε ἐν μέλεσιν ἐάντε ἐν τραγῳδίᾳ.
…「その通りです」と彼は言った、「しかしそれでは、まさにこのこと––神論 に関するの様式・規範––とはどのようなものでしょうか?」 「このようなものだ」と私は言った、「神が実際どのような存在であるかに即して、常にふさわしく帰するべきである——たとえ人が彼を言葉の中で表現するにせよ、詩歌や旋律の中で表現するにせよ、あるいは悲劇の中で表現するにせよ。」
—Plato,Republic 379a.[ 3] [ 4] (強調は引用者による) —プラトン『国家』379a
またプラトンは、『法律 』篇の第10巻や『ティマイオス 』篇などにおいて無神論に反対し、諸天体の運動が神々の知性(ヌース )によって治められており、神々は人間を配慮しつつ宇宙全体の善 を目指していることなどを、理性によって論証しようと試みた。
アリストテレス は『形而上学 』第1巻[ 5] 及び第3巻[ 6] において神学(theologia )という術語を用いており、詩の形式で神話を語る神学者(theologos )と、ロゴスによって事物の本質を探究する哲学者(philosophos )とを区別している。
一方、『形而上学』第6巻[ 7] では、理論に関する哲学(φιλοσοφία θεωρητική )[ 注釈 3] は次のように分類されている。
数学[ 注釈 4] (epistēmē mathēmatikē ):質料 から引き出された本質 に関する知識[ 注釈 5] 自然学(epistēmē physikē ):質料に浸沈された本質に関する知識[ 注釈 6] 神学(epistēmē theologikē ):質料から離れた本質に関する知識[ 注釈 7] アリストテレスの下では、形而上学(第一哲学 )は神の本質についての議論を含んでいた。アリストテレス形而上学における神論の基礎となる、「質料 から離れた本質 」が実際に存在するか否かという問題は、第6巻で提起されている[ 9] 。アリストテレスは、もし仮にそのような本質・実体(古希 :οὐσία )が実際に存在するなら、それこそが真に第一哲学の対象となると述べている[ 10] 。
『形而上学』第12巻[ 11] では「質料から離れた本質・実体」の存在が肯定される。特に第12巻第7章以降では、第一原因は不動の動者 であり[ 12] 、ゆえに他様であることが可能 な質料をもたず[ 13] 、ゆえに必然 によって存在し[ 14] 、永遠の本質・実体であり、それは思惟する思惟(νόησις νοήσεως )であり[ 15] 、それは愛されるものが愛する者を動かすように[ 16] 、諸天体を目的因 的に動かすと説明する。第12巻第10章では、そのような存在が多数であるか一つであるかという問題が提起される[ 17] 。
第14巻ではプラトン のイデア論 などを念頭に再批判が加えられ、「質料から離在する実体」が不動の動者以外にも複数存在すると考えることに慎重な立場が取られた[ 18] 。
ローマ時代の著作家ウァロ は、神学を三つに区分した[ 19] 。
神話的神学(theologia mythica ):神々の神話 に関するもの 自然的神学 (theologia naturalis ):神と宇宙論 に関する哲学的、理性による分析市民的神学または政治的神学(theologia civilis ):公共の宗教的な行事、儀式、義務に関するもの テルトゥリアヌス やアウグスティヌス などラテン語 で著述したキリスト教神学者の中には、ウァロの三区分を参照した者もいた[ 19] [ 20] 。これ以降の西洋における神学史については、このページの「キリスト教神学」の節で解説する。
ユダヤ教神学は否定神学 的もしくは超越神学的である。神 は燃える柴 (フランス語版 ) の箇所(出エジプト記 3章)で、自身の名をモーセ に示したとされている。
神はモーセに語りかけて言われた、「わたしは"私は有る"という者である(エヒイェ・アシェル・エヒイェ)」
[ 注釈 8] 。さらに言われた、「イスラエルの子らにこう告げよ、『"私は有る"(エヒイェ)
[ 注釈 9] がわたしをあなたがたのもとに遣わした』、と」。
また、「お前たちはわたしを誰に似せ、誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる[ 22] 」(イザヤ書 40:25)という表現にも見られるように、神について、被造物との類似 と比較 の不可能性が強調される。これらの超越的性質は特にマイモニデス によって取り上げられた。彼は次のように書いている。"神は全く物体 ではなく、神とその被造物 の間には如何なる事物の中にも全く類似がない"。また、"神の存在は被造物の存在に似ていない"。したがって、"神の存在と、神の外にあるものの存在とが共に「存在 」と呼ばれているのは、単に同音異義語としてだけである"[ 23] 。
この否定神学 の根底にある超越 という概念は、モーゼス・メンデルスゾーン 、ヘルマン・コーエン 、レオ・シュトラウス らのユダヤ哲学にも見られるものである。
そして、神に近づくには、トーラー とその注釈の研究、そして戒律(ミツワー )の実践があるのみである[ 24] 。非ユダヤ人(ゴイ )も皆ノアの七戒 を遵守することによって神に近づくことができる[ 25] 。
ローマ時代の哲学者は神学について多く語らなかったが、先述の通り、ウァロ はおそらくストア派 [ 26] によって既に理論化されていた三区分を取り上げて、神学を神話神学・自然神学・政治神学に分けた。ウァロの区分はアウグスティヌス をはじめとするキリスト教の著述家らにも取り上げられた。アウグスティヌスはこの3つの神学のうちの2つに反対し、「真の神の解釈」として「自然的神学」のみを保持すべきであると主張した[ 27] 。
初期キリスト教の時代にこの「神学」という術語が使用されたことは、キリスト教の著述家の間にも若干の混乱をもたらした。当時は、「神学」や「神学者 」の用語が、ギリシャ神話 やローマ神話 と結び付けられたままだったからである。しかし、アレクサンドリアのクレメンス は、「永遠の言葉 の神学」と「ディオニュソス の神学」を区別している。この術語が、新しい宗教であるキリスト教の神学のみに用いられるようになったのは、キリスト教の初期以降のことである。しかし、この言葉が指す内容は常に同じではない。「テオロギア」(theologia 、神に関する言葉)という言葉は、神の言葉である聖書 またはキリスト教の信仰告白(基本信条 )を指す場合がある。
そのほかの神学者にとって、神学(テオロギア)は、一般的な神性あるいはキリスト の神性についての論説であった。西洋の著述家たちは、中世スコラ哲学 以前はこのテオロギアという用語をほとんど使用せず、「聖教」「聖学者」を意味する、doctorina sacra 、sacra pagina 、sacra erudito などの表現を好んだ。しかし、ラテン語で著作を行った神学者らは、やがてテオロギアという言葉を頻繁に用いるようになり、「テオロギア」という言葉がキリスト教の教義の体系的な研究という意味持つようになって、今日に至っている。
16世紀以降、「神学」という言葉は再びより一般的な意味を持つようになる。この一般性は「自然神学 」という表現を通しても示される。自然神学とは、自然と思われる方法で神を知ることを指す。これ以降、「神学」という言葉は「ユダヤ神学」「イスラム神学」のように、キリスト教以外の宗教にも拡張された。
キリスト教における神学の重要性は、キリスト教が誕生した時点で既に持っていた拡張的な性質によっても説明されることができる。ユダヤ の地で興ったキリスト教は、ギリシャ・ローマ世界 の中で、彼らの哲学者たちに対抗して、彼らの用いた言葉によって、自らの見解を表現する必要が生じた。その結果、キリスト教新プラトン主義 や修正アリストテレス主義 がローマ帝国領内に現れた。初期の福音書がギリシャ語で書かれていることにも、初期のキリスト教会のギリシャ・ローマ文化への自発的な拡張的要素を見出すことができる。 [要出典 ] (世界宗教 の項目も参照)
肯定神学 とは反対に、神に肯定的な性質を帰属させず、否定的な性質のみを帰属させる神学を否定神学 と呼ぶ。この種の議論は、人間の言語が神の高遠 な属性を扱うには不十分であるという考えに基づいている。
否定神学者は、人の言語使用が神を二重に貶めることになると主張する。すなわち、(1)文は主語と述語から成るが、神を文の主語にすることは神を客体化 することであり、(2)神に述語を与えることは、神の性質を他の対象にも当てはめうるものとしてしまうからである。したがって、このような方法で神について語ることは、神と人の間の「折衷的妥協形成」として神話 を用いることに等しい。だが、神話はこれを極めて不適切に語る――なぜなら、見えないものを見えるものに貶めてしまうからである。このために「脱神話化 」(ルドルフ・ブルトマン )の必要がある。
神の本質は人間の思考と言語の限界を超えており、真に表現することは不可能である。だからこそ、人はそれが何ではないのかを飽きることなく述べることができても、それが実際に何であるかを述べることはできない。
最も徹底した否定神学は、ウィトゲンシュタイン の命題「語り得ないものについては、沈黙しなければならない」(『論理哲学論考 』7)を神学探求の出発点とすることかもしれない。
自然神学 (弁神論 を含む)は、啓示に依拠せず、理性のみによって知られる神の性質と属性を扱う哲学的学問である。
この分野は、論証 と演繹 による方法で神の性質を明らかにすることを目指す。例えば、アウグスティヌス はプラトン の、トマス・アクィナス はアリストテレス の哲学にそれぞれ影響を受けて自らの神学を確立しようとした。
デカルト やライプニッツ の神に関する哲学も自然神学に含まれる。これらは、特に存在論的論証 によって神の存在 の証明を試み、永遠性、完全性、善性、全能などの神の諸属性を議論しようとしている。
しかし、この哲学的アプローチは批判されている。特に、その冷淡さや、信仰に頼らないという側面が、信仰者からは問題にされることがある。例えば、パスカルが『追憶 (フランス語版 ) 』の中で「哲学者や学者の神ではなく、アブラハム の神、イサク の神、ヤコブ の神よ」と呼びかけているように、信仰の直接的な経験を重視する立場もある。また、理性は哲学者を宗教に近づけることもあるが、同時に彼らを宗教から遠ざけ、無神論 や不可知論 を支持する手段にもなりうると主張する立場もある。
特定の神学者の名を冠して「バルト神学 」などという場合や、ある思想名を冠してその思想との融合・発展を意味する場合(例:自由主義神学 )もある。
キリスト教神学の議論と並行するイスラーム神学の議論はカラーム と呼ばれている。イスラム神学の中心は、イスラム法(シャリーア )やイスラム法学(フィクフ )の研究と発展である[ 28] 。
仏教では「宗学」や「教学」が用いられている。あるいは仏教哲学 という用語が好まれる。
神道においては、真野時綱 『古今神学類編』と書名に使われるように、江戸時代から用いられている言葉ではあるが、現代の神道では「教学[ 注釈 10] 」を用いることが多い(例:「神社本庁教学研究所」)。
^ 文脈によっては、護教学という言葉は神学の立場を批判する意味を込めて用いられる。 ^ 一部のキリスト教大学の神学部では、信者以外の入学も認めており、神学部を卒業した仏教僧侶もいる。 ^ この「観想的・理論的哲学」はさらに、アリストテレスによる「哲学」の3区分の一である。観想的・理論的哲学(philosophia theorētikē ) 行為的・実践的哲学(praktikē ):倫理学 や政治学 を含む 制作的・創造的哲学(poiētikē ):芸術 、詩作 、修辞 、技術 論を含む ^ 古希 :μαθηματική(mathēmatikē) は、語源的には「学ぶことに関する」といった意味の形容詞(女性形[ 8] )。古くから算術や幾何に関する学問を指したが、「数学」と訳すと現代的な意味が強く入りすぎるかもしれない。^ 翻訳元のフランス語版の文(仏 :connaissance des substances abstraites de la matière ) ^ 翻訳元のフランス語版の文(仏 :connaissance des substances immergées dans la matière ) ^ 翻訳元のフランス語版の文(仏 :connaissance des substances séparées de la matière ) ^ ’ehyeh ’ăšer ’ehyeh (I AM that I AM) ギリシャ語七十人訳聖書:ἐγώ εἰμι ὁ Ὤν ^ ’ehyeh (I AM) ギリシャ語七十人訳聖書:ὁ Ὤν ^ 大学等教育機関においては、「教育 」と「学問 」を合わせて「教学」という言葉を用いる。これは、宗教における教学とは別のものである。また、当時の文部省 でも1937年 に教学局 が設置されているが、宗教的な観点ではなく、教育・学術行政 を担う部局という意味合いである[ 29] 。 ^a b c Chignell, Andrew; Derk Pereboom.Natural Theology and Natural Religion(revised 17 July 2020), Stanford Encyclopedia of Philosophy . access date 2025-03-01. ^ 増田祐志編「はじめに」『カトリック神学への招き』上智大学出版、2009年4月10日。3頁。 ^ Plato,Republic Book 2 Section 379 (2.379) ^ Platonis Opera Tomus IV: Tetralogia VII. Burnet, John, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.^ A (I)巻, 3, 983.b.29. ^ B (III)巻, 4, 1000.a.9-30. ^ E (VI)巻, 1, 1026a. ^ 女性名詞ἐπιστήμη (epistēmē 、知識)にかかるため ^ 第6巻, 第1章, 1026a10–30. ^ 第6巻, 第1章, 1026a30. ^ 第12巻, 第6–10章, 1071b3–1075a. ^ 7章, 1072a26.など ^ 7章, 1072b7–8.など ^ 7章, 1072b11.など ^ 7章, 1072b15–20; 9章1074b34.など ^ 7章, 1072b3; 9–10章.など ^ 第12巻, 第10章, 1076a. ^ 第14巻, 第5–8章.(特に第8章.) ^a b アウグスティヌス 『神の国 』第6巻 ^ Tertullian,Ad Nationes II ^ Exod. 3:14 .^ イザヤ書40章25節、新共同訳。 ^ Maïmonide,Le Guide des égarés Livre I, chap. XXXV. ^ Rachel Brami,Du principe de la « Mitsvah » : injonction, morale, ou éthique du vivant ?. date=2011-03 (no 116), pages 155 à 168. url ^ Liliane Vana,Les lois noaẖides. Une mini-Torah pré-sinaïtique pour l'humanité et pour Israël date=2012-02 (no 52), pages 211 à 236. url ^ Jean Pépin, « La « Théologie tripartite » de Varron. Essai de reconstitution et recherche des sources », in Revue des études augustiniennes, no 2, 1956, t. II, p. 265-294.article page (archive ) ^ Jean Borella, Lumières de la théologie mystique, éd. L'Âge d'Homme, 2002, p. 18-19.article page archive ^ Gardet, L. 1999. "Ilm al-kalam Archived 3 March 2016 at the Wayback Machine."The Encyclopedia of Islam , edited by P. J. Bearman, et al. Leiden: Koninklijke Brill NV. ^ ブリタニカ国際大百科事典小項目事典 教学。