清代海防砲台(旅順)
神戸市の和田岬砲台砲台(ほうだい)とは、大砲などの火器を設置するための台座である。
大きな大砲を防衛上の重要地点や交通の要衝など軍事戦略的・地理的に有利な地点で射界が広く取れる高所に設置して、敵の侵攻に対して効果的な防衛拠点とするものである。また、反動の大きな大砲を専用の砲台に設置することで運用の利便性を高め、同時に命中精度の向上も期待している。土地を整地しただけの仮設のものから、石組みやレンガ組み、コンクリート造で掩体を作り陣地や保塁としたもの、さらに火薬庫、兵舎などの関連施設を併設して要塞化したものもある。
代表的なものに海上の艦船を砲撃するために海岸線近くに設けられる沿岸砲台があり、幕末に築かれた台場もその一種である。
設置される大砲はカノン砲か榴弾砲であり、沿岸砲台の場合には移動目標である軍艦に命中させるためにカノン砲であることが多い。
旧日本陸軍では、海岸の沿岸砲台を「砲台」、陸戦砲台を「保塁」として区別した。
現代の戦場では、恒久的な砲台が築かれることはなくなった。自軍の砲の位置が固定されると、敵火砲やミサイル、あるいは空爆の的になるからである。対砲迫撃レーダーや航空偵察で正確かつ短時間で発射位置を特定されるようになったため、砲兵は射撃後、すぐに発射地点から移動するのである。高い防御力そのもので敵の進撃を阻害するための永久築城(要塞)もまた、電撃戦に代表される戦術の進化の前に陳腐化してしまった。沿岸砲台もやはり移動式の対艦ミサイルの登場でその役目を終え姿を消しつつある。
- ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが1769年から1771年にかけて可動式の砲台であるキュニョーの砲車を発明した。
- ナポリ湾に突き出た突端にある要塞で砲台が残る[1]。
- ハワイにあり真珠湾防衛のために建設された(跡地はアメリカ陸軍博物館となっている)[2]。
- イギリス軍とフランス軍の激戦地で見張り台や砲台が残る[3]。
- 1890年代にビクトリアとエスキモルトの海軍基地を防衛するため建設された要塞で三基の砲台が残る[4]。
- マカオで一番高い丘の上に設置された砲台[5]。
- 廈門市にある清朝後期の1896年に造営されたドイツ製クラップ砲の砲台[6]。
浜川砲台(復元、東京都品川区)- ^卵城 JTB 2019年10月2日閲覧。
- ^アメリカ陸軍博物館 JTB 2019年10月2日閲覧。
- ^戦場公園 JTB 2019年10月2日閲覧。
- ^フォート・ロッド・ヒル JTB 2019年10月2日閲覧。
- ^ギア要塞 JTB 2019年10月2日閲覧。
- ^胡里山炮台 JTB 2019年10月2日閲覧。
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