| いしだ じゅんいち 石田 純一 | |
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2010年5月10日 | |
| 本名 | 石田 太郎(いしだ たろう) |
| 別名義 | 石田 純(デビュー時の芸名) |
| 生年月日 | (1954-01-14)1954年1月14日(71歳) |
| 出生地 | |
| 身長 | 177cm |
| 血液型 | A型 |
| 職業 | |
| ジャンル | |
| 活動期間 | 1979年 - |
| 活動内容 |
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| 配偶者 | |
| 著名な家族 | |
| 事務所 | メロン |
| 公式サイト | 石田純一オフィシャルサイト |
| 主な作品 | |
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石田 純一(いしだ じゅんいち、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、日本のタレント、俳優。メロン所属(リクコーポレーション提携)。かつて[いつ?]はスカイコーポレーションに所属していた。東京都目黒区出身。
1954年1月14日、NHKアナウンサーである石田武の長男として東京都目黒区で出生。祖父は中外商業新報(現・日本経済新聞)記者で、政治部長や参事などを務めた石田武太郎[1][2]。母親は女学校時代に原爆投下後の広島市に後片付けに入った入市被爆者[3][4]。4歳までアメリカ・ワシントンで育つ。東京都立青山高等学校を経て、早稲田大学商学部中退。
高校時代は野球部に所属し、エースで4番打者であった[5]。1970年代に星川淳の実妹である星川まり[注 1]とできちゃった結婚[6][注 2]。1974年、20歳のころに長男・壱成が誕生。役者を志望していたが、父・武からは「子どものために安定した仕事を見つけろ」と叱責される[2]。
大学在学中に演出家となることを考え、演劇を学ぶために渡米。東洋哲学に傾倒し、ヒッピー的な志向であった妻とアメリカ滞在中に離婚。帰国後の1978年に大学を中退し、「演劇集団 円」の演劇研究所研究生となった。
「演劇集団 円」や、アクト青山ドラマティック・スクールでの下積み生活を経て[6]、1979年にNHKドラマ『あめりか物語』(日系三世のタイ人の店員役)で俳優デビュー。デビュー当初は「石田 純」の芸名を使用していた。1980年に父・武が仕事中に脳卒中で倒れ、左半身に麻痺が残り、NHKを退職[2]。父・武との溝を埋められないでいた純一は役者として芽が出ず、合わせる顔がなかった[2]。
1984年の昼ドラ『夢追い旅行』で準主役で出演し、1985年から1989年にかけて放送されたクイズ番組『TVプレイバック』のレギュラー解答者に抜擢され、そのルックスと萩本欽一やザ・ドリフターズのメンバーにも臆することのない軽快な話術が受け、知名度が上がることとなった。1987年にはテレビ朝日の音楽番組『オリジナルコンサート』の司会を務めた。
1988年にテレビドラマ『抱きしめたい!』(フジテレビ系列)に二宮修治役として出演して以降、数多くの「トレンディドラマ」に出演し、バブル期を代表する俳優として活躍した[6]。当初、二宮修治役は陣内孝則が演じる予定であったが、陣内が同時期に放送されたテレビドラマ『結婚してシマッタ!』(TBS系列)に主演として起用されたためにダブルブッキングが発生。陣内が「役が大きい方」を選んで『抱きしめたい!』への出演を辞退し、さらに次候補として挙げられていた加藤雅也もスケジュールが合わなかった[8]ことから、同役が石田に回って来たという経緯がある。ただ、それまで俳優として芽が出なかったこと、それに所属事務所の社長を継いでほしいとの話もあったこと[8]から、石田自身は同作品への出演が俳優としてのキャリアの最後のつもりであった[8]が、同作品の放映開始後から石田の人気が急上昇したことにより俳優を続けていくことになった[9]。
1988年に女優の松原千明と再婚。1990年7月に長女・すみれが誕生。
1991年10月、公表していなかった星川との間に儲けた長男・壱成の存在が「隠し子」として『週刊女性』にスクープされ、その事実を認めた声明を出したため大きく報じられた。壱成は翌1992年に、「石田純一の息子・いしだ壱成」として芸能界デビューし、以降親子での共演なども行った。
また、長谷川理恵との8年余りに及ぶ交際でも知られた。1996年10月、『フォーカス』のスクープを発端に長谷川との不倫についてマスコミから追及されると、「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある。作品が素晴らしければ褒め讃えられて、その人の行為は唾棄すべきものとは僕は思えない」[注 3]と弁明。翌日のスポーツ紙が話の趣旨から創作した「不倫は文化」というフレーズを見出しにした事で、それ以降TVのワイドショーなどでも繰り返し報じられることとなり、以降代名詞の様に取り扱われた[10]。結婚中の不倫と前述の発言による「不倫バッシング」によって、40代は一転して不遇の人生に転落することとなる[6]。
1997年4月に『スーパーJチャンネル』のメインキャスターに就任し、月曜から木曜までレギュラー出演していた。同年8月に『フォーカス』に長谷川との密会現場を撮られたことから、翌1998年4月に降板[11]。降板日には生放送で落涙している。
1999年に松原千明と離婚。全盛期に3億円あった年収はゼロになり、8000万円の借金ができるなど経済的にも困窮し、それまで住んでいた高級マンションは引き払おうにも引越し代がないという始末であった[6]。当時の状況について後に、「時間を持て余すことが何よりも辛かった」と語っている[6]。
「不倫は文化騒動」以降は、主にバラエティ番組や情報番組に出演するが、2000年代以降も俳優活動は継続していた。なお、2001年7月に刊行された竹内久美子の著書『浮気で産みたい女たち』で、不倫や恋愛、文化との関係について、自身の考えを次のように述べている。
古今東西、恋愛が主役であろうとなかろうと、精神の復興期、精神性の高い時期には、必ずと言っていいほど「不倫」という文化が登場してくる。十二世紀ごろからさかんに教会と対決し恋愛を謳ったトルバドゥールから、ルソー、スタンダール。恋愛には、禁じられ制限されることで、より希少性を増す性質がある。しかも障害は大きく壁は高く険しいほど、人間の本性は磨かれ、崇高なものになっていく。その点で、「不倫」は「戦争」と並ぶ、恋愛の至上の設定といえる。
そこに大いなる最高の意思がどう配されていくかは興味深いが、そもそも、何に動かされ、何を望み、何を得、何を失うのか―このサジ加減が文学の命題でもあり、人生の価値とも呼べるものではないだろうか。まあ「不倫は文化」と定義出来なくても、領主と騎士たちの物語やサロンの貴婦人の身分違いの青年のロマンスを読めば、およそ西欧の恋愛の原型が「不倫」であることは少なくとも間違いない。しかも、そこでは、「女一人に男複数」が基本であった!! — 石田純一、『浮気で産みたい女たち』・解説[12]

2009年にプロゴルファーの東尾理子と交際していることを公表し、同年12月12日に入籍。理子の実父で、元プロ野球選手の東尾修とはほぼ同年代であり、4歳(学年では3学年)年上の義父となった。
2012年6月24日、台湾のタレント・羅志祥(SHOW/ショウ・ルオ)のCD発売イベントMAGIC&有我在に出席した際に「華流応援隊長」に任命された[13]。
2012年11月5日に男児・理汰郎[14]が誕生[15]。翌2013年には妻子と共に同年度COTTON USAアワードを受賞[16]。2015年8月31日には妻が第2子妊娠を報告し[17]、2016年3月24日に女児が誕生[18]。2017年11月7日、妻が第3子妊娠を報告[19]。自身のコラムでは「手間がかかることもあって、僕は3人目に必ずしも積極的ではなかった」と語っている[20]。
70歳を目前に控えた2023年12月に『ななにー 地下ABEMA』(ABEMA、12月24日配信分)にゲスト出演した際、「(自分が演じることはもう)ないです」「それに関してはやり残したことはないと思うんで」と、俳優業からの引退と監督業への進出を表明[21]。2024年9月に生前葬を執り行った[22]。
俳優業引退に先立ち、2023年5月に千葉県船橋市で焼肉店「ジュンチャン」を友人の山本由美子(山本文郎の未亡人)や山本の息子とともに開業。山本の息子が近隣地である鎌ケ谷市で映像会社を経営しており、その知人の船橋駅近くの不動産会社の社長を介して船橋での出店となった[23][注 4]。「なぜ地縁の無い船橋に?」「どうせ名義貸し」と否定的な意見もあった中で、可能な限り店に立ったことでその評価を挽回。基本的には閉店まで店で働き、さらにそのあとは近隣の店に飲みに行くなど地域との交流を積極的に行い、その結果「ジュンチャン」は地域の繁盛店となっている[25]。2024年10月に公開された『ABEMA TIMES』の取材によれば、ゴルフの会員権や車、それに家などの財産を売り払い、電車通勤で「ジュンチャン」に立って接客を行っていると語った[26]。10月27日公開のYouTubeのABEMAニュースでは、収入が10分の1に激減したこと、子供を養うために働いていること、終電で1時半かけて帰宅していること、客単価が8000円から1万円であること、肉の品質にこだわっていること、月の売り上げは1000万円前後であることなどを語った[27]。
2016年7月7日、舛添要一の東京都知事辞職に伴う東京都知事選挙に「野党統一候補なら、出馬したい」と表明。これを受けて、民進党の松原仁都連会長は「実務経験がある方が必要。都政は極めて大きな舞台なので、一定の経験がないと大きな船を操れない」と擁立を拒否[28]。一方、出馬表明したことによる出演番組やCMなどの差し替えによる損害賠償が数千万円単位で発生していることを明かした[29]。7月11日に記者会見を開き「正式に断念します。いろいろとお騒がせしました」と陳謝した[30]。その後、所属事務所はCMなどのスポンサー契約やテレビのレギュラー番組がある限り、応援演説など、政治問題に携わることは難しいことを明かした[31]。
2016年12月12日に美容イベントに参加し、記者から当日午後発表の『今年の漢字』の予想を聞かれ「金ですかね。リオ五輪で金メダルラッシュだったし、マイナス金利というニュースもあったし」と答えると、都知事選出馬表明をめぐって番組やCMの差し替えの違約金が発生する事態となったことを報道陣から指摘され、「それも“金”に入ってますね」「本当にお騒がせしました」など回答した。なお、その2時間後に発表された『今年の漢字』は「金」に決定したことが発表された[32]。
2020年4月15日、新型コロナウイルスに感染したことを公表した[33]。所属事務所は当初、沖縄へ仕事で行き、宿泊先のホテルで体調を崩したと発表したが、一転してゴルフ場でプレー中に体調を崩したと発表。沖縄県では玉城デニー知事が4月8日に「県外からの来県自粛と、沖縄県民の外出自粛要請」を出したばかりであり、石田が滞在したホテルは休館に追い込まれるなどしたため、強い批判を浴びた[34]。その後、アビガンの投与を受けて治療を続け[35]、5月12日に退院したことを翌日のブログで報告した[36]。退院後に妻・理子の制止を振りきって、マスクをつけずに外食をしたことが報じられ、更なる批判を浴びた。
2023年12月の『ななにー 地下ABEMA』でのゲスト出演時には、「まず、4月5日に感染してるんです。で、4月7日から緊急事態宣言なんで」「沖縄は仕事で行ってますし、1人で行ってますし」と話し、当時の週刊誌報道が大雑把であったと弁明。コロナ禍における行動の自粛については「みんな考え方も違うし」とコメントした[21]。
イタリア好きであり、ピッツァ・マルゲリータの発祥の店「Brandi」に訪店するためにナポリまで足を運んだことがある。イタリア車であるフェラーリを愛用。1980年代後半、私服はヴェルサーチを愛用。「素足に革靴」のスタイルを意識し始めたのは、スリップオンに素足のファッションがかつてミラノで流行したことに遡る。以前はそれほど素足にこだわっていなかったが、北海道を訪れた時に靴下を着用していたのを地元民に「プロ根性がない」とダメ出しされてしまい、それ以降はこだわったと語っている[注 5]。
阪神タイガースのファンであり、野球オタクとも言われている[5]。2013年10月26日、文化放送の日本シリーズ中継に義父の東尾修とともに出演。この時に、試合の流れをメモしたり、楽天のアンドリュー・ジョーンズの所属していたアトランタ・ブレーブスについてレクチャーしたり、楽天の枡田慎太郎の打撃について指摘したりなど、リスナーを驚かせる一面も披露していた[5]。
かつては喫煙者であったが、1996年ごろに禁煙。2016年5月30日に行われた世界禁煙デーのイベントに妻の東尾理子と共に参加し、受動喫煙防止の呼びかけを行った[37]。同イベントで肺年齢を測定したところ、当時の実年齢より8歳高い「70歳」であり、肺年齢「18歳」の理子とは52歳差であった[38]。
2015年9月17日夜(第189回国会会期中)、国会議事堂前で行われた平和安全法制関連法案に対する抗議活動に参加し、かつての代名詞「不倫は文化」に引っ掛けて「戦争は文化ではありません。戦後70年間の誇るべき平和を80年、100年と続けていこう」と反対を訴えた[39][40]。また、集団的自衛権の必要性を否定し、個別的自衛権のみで十分であるとの考えも表明した[41]。同年12月6日の集会でも壇上に上がり「世界一平和で安全な国をなぜ変える必要があるのか」と訴えた[42]。
週刊新潮の報道によれば、抗議活動参加時のスピーチがマスコミに大きく取り上げられたことでスポンサー筋から疎まれ、テレビ番組3本とCM1本が降板となる。いくつかの企業からは「二度と政治的言動をするな」と厳重注意を受けるも、これを拒否したと話している[43][44]。これについて所属事務所のマネージャーはスポンサー筋より注意を受けたことは認めたが、番組やCMの降板は事実ではないとした[45]。
過去のレギュラー
| 期間 | 番組名 | 役職 | |
|---|---|---|---|
| 1997年4月 | 1998年3月 | スーパーJチャンネル(テレビ朝日) | 月~木曜日メインキャスター |
| 2010年4月 | 2019年3月 | おはよう朝日です(朝日放送→朝日放送テレビ) | 水曜日コメンテーター |
| 2012年4月 | 2013年9月 | やじうまテレビ!(テレビ朝日) | 金曜日コメンテーター |
過去のレギュラー
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|---|---|
| 第11回 -第26回 (帝国劇場開催時) | |
| 第27回 -第35回 (日本武道館開催時) | |
| 第36回 -第45回 (TBS放送センター開催時) | |
| 第46回 - (新国立劇場・中劇場開催時) |
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| 関連項目 | |
TBSオールスター感謝祭総合チャンピオン | |
|---|---|
| 1990年代 (チーム戦) | 1991秋 ニュース・教養チーム / 1992春 TBSアナウンサーチーム |
| 1990年代 (個人戦) | |
| 2000年代 (個人戦) | |
| 2010年代 (個人戦) | |
| 2010年代 (チーム戦) | 2013秋炎の体育会TVチーム / 2015秋この差って何ですか?チーム |
| 2020年代 (個人戦) | |
| 関連項目 | |
| ※1997年のみ、年末に特別編を開催。 ※1991秋・1992春・2015秋はチーム対抗戦。2013秋もチーム対抗戦だったが、個人別成績も競っていたためチーム優勝・個人MVPの両方を掲載。 ※2020春は番組中止。 | |
スーパーJチャンネル歴代主要キャスター | |||||||
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| 平日版 |
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| 週末版 |
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| 関連項目 | |||||||