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矢沢 永吉 (やざわ えいきち、1949年 〈昭和 24年〉9月14日 - )は、日本 のロック ミュージシャン [ 出典 1] 、俳優 。広島県 広島市 仁保 (現:南区 )出身[ 出典 2] 。
前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親。
次女の矢沢洋子 は二番目の妻との娘で歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と入籍したベーシストU.G(元ギターウルフ )は義理の息子に当たる。2021年1月22日、洋子が第一子となる女児を出産[ 63] [ 64] 、2022年10月12日に第二子となる女児を出産[ 65] 。孫娘は矢沢を「じいじ」と呼び、矢沢もまた孫娘を愛でている[ 66] [ 67] 。
父・永一は戦前 、当時は高価だった自転車 の販売店 を営み[ 68] 、7–8人の丁稚 を雇うような大きな店舗を構えていた[ 68] 。永一には妻と二人の子供がいたが[ 68] 、広島市への原爆投下 で自分以外は全員死んで[ 68] 、一人だけ生き残り、以降は酒に溺れるようになった[ 68] 。戦後 に永一は10歳以上年の離れた若い女性と再婚[ 68] 、終戦 から4年後に永吉が生まれる[ 出典 25] 。永一は酒を止めず、ろくに働かずあちこちに借金 を作り[ 68] 、そんな生活に耐えられなくなり、愛想を尽かした母親は[ 68] 、永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発 した[ 出典 26] 。広島で被爆 した父親は、永吉が小学校2年生の時に原爆症 で病死[ 出典 27] 。矢沢は被爆二世 にあたる[ 71] 。このため幼少期は親戚 中をたらい回しにされ[ 出典 28] 、その後は父方の祖母に育てられ[ 出典 29] 、極貧の少年時代を過ごした[ 出典 30] 。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキ なんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。矢沢は「晴れた日に海を見ていると広島を思い出すよ。やたら天気よくてね。広島ってヤクザ とか原爆 とか色々言われるけど、ボクにとっては一地方都市ね。悲しいことも楽しいこともあるけど、全部含めてね、淋しかったって記憶しかないね。広島にいた子供の頃って、一人だったなって記憶しかない。かき氷 が食いたかったけど、食えなくて、水だけジャブジャブ飲んでた。そんなことしか覚えてないよ」などと述べている[ 23] 。当時のモータリゼーション もあって[ 74] 、将来は板金工 になって金を稼いでやろうと考えていたが[ 74] 、中学時代、ラジオから流れるビートルズ を聴いてロックに目覚め[ 出典 31] 、さらにザ・ベンチャーズ の広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる[ 出典 32] [ 注 7] 。東京で歌手になる夢を周りに語ったが[ 74] 、日本にロックという文化が根付いていなかった60年代 に於いて[ 74] 、ましてや広島の片田舎では「お前、頭、大丈夫か?」という反応しか得られなかった[ 出典 34] 。
1975年解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際に契約先のフォノグラム との間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBS・ソニーに行き、幹部と面会して自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている[ 99] 。面会後、CBS・ソニーから借金をして多額の違約金をフォノグラムに払い、同社のプロジェクトチームが動き始めた[ 出典 52] 。ロックミュージシャンのイメージ形成としては当時、御法度とされた音楽著作権 などミュージックビジネスに強い関心を示し、熱心に勉強を続ける[ 出典 53] 。音楽出版社 が握っていた原盤権 を早い段階で取得したといわれる[ 出典 54] 。 所属会社の要請で4月13日、日比谷野外音楽堂 において解散ライブを行う。ライブには親衛隊としてクールス のメンバーが参加。演出のために使用した爆竹 が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、キャロル解散。 1975年 1976年1976年1月8日に中野サンプラザ で行われたツアーラストの東京公演では、全身ラメ の入った衣装を身に纏ってバラード 「アイ・ラヴ・ユー、OK 」を歌ったため、観客は口あんぐりでブーイング を浴びせられる屈辱[ 20] 。キャロルの"ノリ"のままでいけば、チケットが売れることは最初から分かっていたが[ 20] 。それならキャロルを解散した意味はないと考えていた[ 出典 63] 。メロディメーカーとしての絶対の自負から、クオリティーの高い楽曲のリリースを続ければ、ファンは必ず戻って来てくれるはずだという勝算を持っていた[ 出典 64] 。 矢継ぎ早にライブツアーを重ねることで[ 20] 、ソロデビューから1年ほどで"元キャロルの矢沢"でなく"ソロシンガー矢沢"として急速に認知を広めていく[ 出典 65] 。作品も1作ごとに新たな挑戦を試み、ライブの動員も着実に増えていった[ 113] 。キャロル解散ライブの舞台であった日比谷野外音楽堂 での1976年7月24日のステージ「ザ・スター・イン・ヒビヤ」は、サディスティックス をバックに迎え、最大収容3100人の会場に7000人近くが詰めかけ[ 110] 、ソロアーティストとしての"スーパースター・矢沢永吉"を強く印象づけた[ 出典 66] 。 1977年10代 の不良少年 層を中心に熱狂的なファンを集め始める[ 出典 67] 。当時のファンは9割以上が男[ 12] 。女性はその熱い男に無理やり連れて来られた人だけで、男子トイレだけぎゅうぎゅう詰め状態[ 12] 。男たちはいわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く[ 110] 、ヒートアップした観客が暴走し、警備員とケンカになるなど熱狂的な状況に「矢沢のライブは危ない」と使用を拒否する会場も出てくるなど[ 出典 68] 、矢沢の名前は全国に轟いていった[ 110] 。数々の難題があった中で日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館 単独公演を敢行した[ 出典 69] 。EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part2」を9月15日からスタート。 1978年 1980年代に入ると黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズ などのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。 この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、躊躇なく関わりを持つようになる。古くからの友人であったガロの大野真澄 はフォークシンガー であり、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎 も同様である。以降もフォークの西岡恭蔵 、また歌謡曲 の分野で活躍していた大津あきら や山川啓介 を作詞に起用している。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズ の加藤ひさし に作詞を依頼している。 1980年 1981年 1982年2月10日 第2弾海外版アルバム『YAZAWA It's Just Rock'n Roll』全米発売。 ビルボード の推薦曲として、シングル『ROCKIN' MY HEART』がジョージ・ハリスン 、バリー・マニロウ の楽曲と共に掲載される。ドゥービー・ブラザーズ のメンバーと共にE.YAZAWA として“来日”し、凱旋武道館ライブ「MILES AND MILES」を敢行[ 20] 。このコンサートの模様はNHKで放送される。長者番付 歌手部門で1980年に続き首位獲得。 1983年「I am a Model EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1983」をスタート。過激なファンによるコンサート中のトラブルを根絶するために観客席での喫煙 行為、場内での酒 、カメラやテープレコーダーでの盗聴 ・盗撮 の一斉取り締まりを実施[ 29] 。さらに悪質な偽物のグッズ販売を抑制するために、オリジナル・グッズの通信販売 をスタートさせる[ 29] 。 1984年「E' I'll BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」をスタート[ 29] 。 8月26日、5年ぶりの野外コンサートを横浜スタジアムで開催。 1985年ライブエイド に出演[ 29] 。「TAKE IT TIME EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '85」をスタート。 1986年「FEELIN' COME HA-HA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '86」をスタート。 1987年「ROCK'N ROLL KNIGHT EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を5月22日からスタート。 「ROCK'N ROLL KNIGHT 2 EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を11月30日からスタート 第3弾海外版アルバム『FLASH IN JAPAN』全米発売[ 29] 。全米での売上げ枚数5万枚。MTV スタッフによるPV 製作。後に自伝で「FLASH IN JAPAN」の印税が800万円だったと回顧。「FLASH IN JAPAN」のミュージック・ビデオ の撮影は、上京以降、ずっと背を向け続けていた広島市 の原爆ドーム で行われた[ 29] 。 日・米・伊合作映画『グッバイ・ヒーロー』の音楽を担当。サントラが発売される。 1988年アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。 東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン )に移籍[ 31] 。日本国内を重視した活動になる。それまで一貫してプロモーション活動を積極的に行うことはせずにレコーディングとライヴ活動に専念していたが[ 31] 、大小関わらず様々な雑誌インタビューから全国のテレビ・ラジオ局までプロモーションに回る[ 31] 。地方の放送局やラジオ局からすると「来るはずのない人が来た!」と大騒ぎになった。こうして“よろしくお願いします”と挨拶しながらこまめにを回ることで、再び日本にミュージシャン“矢沢永吉”という芽がしっかり出始める。この試みは大成功であった。 前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。このことからアメリカでのプロモーションは不十分であり、惨憺たる結果となる。第3弾『FLASH IN JAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感を募らせ、同時期、石坂敬一 の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。 「It's Only YAZAWA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '88」をスタート。 1989年「STAND UP'89 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を9月1日からスタート 「STAND UP '89 Special2 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を12月6日からスタート 1990年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1990「Rock'n'Roll Army'90」をスタート。 1991年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1991「Big Beat」をスタート。 1992年アルバム『Anytime Woman』ではビートルズの元ドラマーリンゴ・スター の長男、ザック・スターキー が「Anytime Woman」と「銀のネックレス」を担当した。レコーディングはロンドンのアビーロード・スタジオ。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992「Anytime Woman」をスタート。 1993年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993「Come On!」をスタート。 1994年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1994「The name is YAZAWA」をスタート。 TBS 系列のテレビドラマ、アリよさらば で自身初となる、主演(「安部良太」役)と音楽監督を担当。 1995年ベストアルバム『BIG BEAT』香港 発売。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995「JUST TONIGHT」をスタート。 1996年インターネット「E.YAZAWA ONLINE SHOW」スタート EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996「WILD HEART」をスタート。 原宿にてゲリラライブ敢行。 1997年 1998年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998「SUBWAY EXPRESS」をスタート。 1999年映画「お受験 」で映画初主演[ 34] 。 9月15日、横浜国際総合競技場にて50歳バースデーライブ「TONIGHT THE NIGHT! ありがとうが爆発する夜」開催[ 117] 。 10月、世界最大のヨット レース「アメリカスカップ 」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。 初のアメリカでのツアー「Millennium America Tour」敢行(ホノルル 、ロサンゼルス 、サンフランシスコ )。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1999「LOTTA GOOD TIME」をスタート。 2000年 2001年「E.YAZAWA ONLINE SHOW」終了。これを発展させる形で総合公式サイト「YAZAWA'S DOOR」をスタート。有料会員制度やグッズ、チケットの販売を開始。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2001「Z(zi)」をスタート。 FMフェスティバル '01テーマソング『この道の向こうに』を担当。自著伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版。 2002年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002「ONE MAN」をスタート。 初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」を敢行。 2003年EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2003「Rock Opera」をスタート。 ディズニー アニメ『ピノキオ 』の主題歌『星に願いを 』を担当し、東京ディズニーシー にてゲリラライブを行う。ディズニー社より表彰を受ける。7月27日、大阪の万博記念公園で開催されたFM802 主催の野外ロックフェス「MEET THE WORLD BEAT 2003」にシークレットゲストとして出演。披露したのは「ラブ・ファイター」1曲だけではあったが、突然の登場であったため観客を驚かせた。 2004年 2005年ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しEIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005「ROOTS」をスタート。 2006年 2007年8月18日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZOに出演。 10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007「THE REAL」をスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。 郵便局 会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。 2008年デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきたが、37年目で初めてステージに立たないことを決意。“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表。20年在籍したEMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズ・レーベル「GARURU RECORDS 」を立ち上げる[ 126] 。 2009年7月20日、ap bank fes にサプライズ出演。スポーツクラブで偶然小林武史 と遭遇し、その場で小林から出演のオファーを受けたことがきっかけとなり出演に至った。 7月26日、HIGHER GROUND 2009出演予定だったが、大雨の影響により中止。 8月2日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 出演。 8月19日、新宿のタワーレコード 新宿フラッグスビル店屋上で、ソロデビュー初のインストアライブ。 9月19日、東京ドームにて60歳バースデーライブ「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」開催。サプライズゲストとして、氷室京介 、甲本ヒロト 、真島昌利 、長女の矢沢洋子 が出演。 9月26日、Think the water,Feel the music. LIVE for LOVE we support WaterAid出演。 10月30日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2009「ROCK'N'ROLL」をスタート。 11月21日より第2弾ドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』公開。 12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦 」に白組サプライズゲストとして出演。大物歌手揃いの紅白で、一人の歌手が持ち歌を2曲歌うという特例を許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱。シークレット扱いで、リハーサルもおおっぴらに出来ずで[ 127] 。「時間よ止まれ」の歌詞を間違え[ 127] 、NHK側の配慮で字幕テロップを消された。 2010年5月30日、「東京大学 五月祭」にて、初の学園祭ライヴにサプライズ出演。 7月24日、HIGHER GROUND 2010に出演。 8月7日、8日のSUMMER SONIC 2010に出演。 8月14日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZOに出演。 8月28日、音楽と髭 達2010 "GENERATION"にサプライズ出演。 10月28日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2010「TWIST」をスタート。 2011年11月17日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2011「STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜」をスタート。 2012年5月12日、開業前の東京スカイツリー 350m天望デッキにてスペシャルライブを行う。 8月20日よりEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE in LIVE HOUSEを開催。 9月1日、日産スタジアム(横浜国際総合競技場 )にてEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE「BLUE SKY」を開催。 11月7日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2012「JAMMIN' ALL NIGHT」をスタート。 12月31日、第63回NHK紅白歌合戦 に白組特別出演歌手としてサプライズ出演。「IT'S UP TO YOU」を熱唱。 2013年11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2013「ALL TIME HISTORY -A DAY-」をスタート。 12月24日・25日に初のディナーショー 、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT「Dreamer」inGRAND HYATT TOKYO を開催。 2014年2月24日、自身のバンド「Z's(ゼッツ)」を結成[ 128] 。 5月7日、リリースしたライブDVD『TREASURE BOX』が、オリコンDVDランキングにおいて総合1位獲得し、「DVD首位獲得最年長記録を64歳8ヶ月とした。 5月8日より「Z's START ON TOUR」をスタート。 8月9日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出演。 8月16日、SUMMER SONIC 2014に出演。 8月29日、SWEET LOVE SHOWER 2014に出演。 9月6日、第19回東京ガールズコレクション にサプライズ出演。 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2014「VERY ROCKS 〜ROAD TO THE LEGEND〜」をスタート。 12月20日・21日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2014「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。 2015年4月12日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT』」を配信(4月24日から27日までの4日間、YAZAWA CLUB会員限定で再配信された)。 9月5日、東京ドームにてソロデビュー40周年を記念したライブ「EIKICHI YAZAWA ROCK IN DOME 2015」開催。その模様はWOWOW プライムにて生中継された。また、本ライブに先駆けて、ファンクラブ・YAZAWA CLUB会員限定のライブ「EIKICHI YAZAWA OPEN REHEARSAL GIG」を行った(8月28日・Zepp Sapporo、8月31日・Zepp Namba(OSAKA)、9月1日・Zepp Nagoya)。本公演の模様は同年12月2日にBlu-ray&DVDで同時リリース[ 129] 。 12月2日、リリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)初週売上1.7万枚を獲得した(Blu-rayの売上枚数初週売上9805枚と合算した「総合ミュージック映像ランキング」も1位獲得)。また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した「DVD首位獲得最年長記録」を66歳3ヶ月に更新した[ 130] 。 2016年2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST RESPECT ARTIST(音楽シーンに貢献し、多大な影響を与えているアーティストに授与される賞)」を受賞[ 131] 。 2017年10月22日、実に7年ぶりとなる25本以上のツアー、「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」」開始。 2018年満69歳(「ロック」)を迎えるに当たり全国5都市のドームツアー「EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018 - STAY ROCK -」を9月1日よりスタート。9月4日の名古屋公演が台風21号 の影響により翌日にずれ込むなどしたが、9月15日東京ドームで完走し、この模様はWOWOW で生中継された。 2019年2月10日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT 2』」を配信。同ライブはYAZAWA CLUB会員で、申し込みのあった中から抽選で選ばれた50名が招待され、前日9日に行われたライブを収録したものである(10日・11日にはオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」にて各一回ずつ特別上映)。 7月6日、自身初のロックフェス「E.YAZAWA SPECIAL EVENT "ONE NIGHT SHOW 2019"」を幕張メッセで開催。出演は矢沢の他、氣志團 、KREVA 、東京スカパラダイスオーケストラ (Guest・奥田民生 )、MIYAVI 。ライブの模様は動画配信サービス・Hulu を通じて生配信された(なお、同年7月25日より1ヶ月限定で、矢沢のライブのみを独占配信[ 132] 。同フェスを開催するにあたっての意気込みやリハーサル風景などに独占密着した映像を、同年7月10日に日本テレビのワイドショー ・情報番組 「スッキリ 」にて放映。翌週17日には独占インタビューが放送された)。ライブ中盤、日本テレビ 系列 で生放送された音楽番組「THE MUSIC DAY 2019 時代 」の中継に出演した[ 133] 。 10月10日、台風19号 の接近による公共交通機関の混乱及びそれらに伴う来場者の安全を第一に考慮し、10月12日に日比谷野外大音楽堂で開催予定だったワンマンライブ「EIKICHI YAZAWA SPECIAL LIVE『THE STAR IN HIBIYA 2019』」の中止を発表した[ 134] [ 135] 。矢沢にとって70歳の誕生日を迎えて初のライブだったこともあり思い入れも深く、また、43年ぶりの日比谷野外音楽堂での公演 を楽しみにしていたファンの気持ちを汲み、10月19日夜にチケット当選者に向けてリハーサル風景などを編集した映像をインターネットを通じて限定配信[ 136] 。 11月24日、同年11月16日より行われているライブツアー「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2019『ROCK MUST GO ON』」マリンメッセ福岡での公演を体調不良(喉)により急遽中止を発表した。札幌公演より喉の調子が思わしくなく、できる限りの対策や治療を施したが回復が見られなかったため。自身の体調不良を理由に公演を取り止めたのは歌手生活47年にして初めてである[ 137] 。27日の浜松アリーナ公演もドクターストップがかかり、中止を余儀なくされた[ 138] 。 2020年3月26日、4月21日から予定していたライブツアー『E.YAZAWA "ROCK MUST GO ON" TOUR -EXTRA- 2020』の全公演を中止すると発表した[ 出典 81] 。これは前年2019年より猛威を振るっている2019新型コロナウイルス による感染拡大の状況を受け(「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況 」、「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-) 」参照)、来場者の健康・安全を最優先と判断し、クラスター を発生させないための決定である[ 140] 。 5月2日、公式YouTubeチャンネルにて、ファンクラブ会員限定で『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1』(2015年)、同月3日に『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 2』(2019年)を再配信。また同月5日・6日の2日間、<YAZAWAとSTAY HOME,STAY ROCK!>『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1、2スペシャルプログラム』と題し、選りすぐりの8曲を一般にも配信した。これは上記「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」に基づく「いのちを守る STAY HOME週間 」で外出を自粛しているすべての人へ矢沢からの心意気である(配信動画冒頭に矢沢からのスペシャルメッセージが添えられた)。後日、緊急事態宣言が延長されたことを憂慮、また、配信が好評だったこともあり5月9日から24日まで再配信することを発表した。 6月17日、2020年6月現在までに商品化されていない過去のライブ映像の中から厳選した3本を有料配信すると発表した。プロジェクトの名称は代表作のひとつである「SOMEBODY'S NIGHT」に因み『3 BODY'S NIGHT(サムバディーズナイト)』とした[ 141] 。第1弾は6月27日に、2017年の『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」』武道館公演の模様をフルバージョンで配信。第2弾は7月に、2019年の『ROCK MUST GO ON』横浜アリーナ公演、第3弾は8月に、1999年の『LOTTA GOOD TIME』日本武道館公演の模様を配信。なお、本配信にあたって、矢沢本人が音源のミックスダウンを行い、少しでも臨場感を伝えられるよう努めた。また、ライブ本編以外にも撮影していたリハーサル風景などを含むメイキング映像も併せて配信した。 9月12日、日本テレビ 系列 で放送された大型音楽番組「THE MUSIC DAY 」にて、矢沢のロングインタビューをもとに『時間よ止まれ 』に纏わる逸話をドラマ化した特別企画『矢沢永吉 特別ドラマ』が放送された。矢沢を演じたのは俳優の神尾楓珠 [ 142] 。 2021年7月7日、「矢沢です。今秋ツアーやります。」という告知メッセージが公式サイトに掲載された[ 143] 。7月11日、10月5日より石川県・金沢歌劇座 を皮切りに、全国ツアー『I’m back!! 〜ROCKは止まらない〜』を開催することを正式に発表。10月1日、12月25日に横浜アリーナ において追加公演が決定したことを発表した[ 144] 。 ライブツアーは2019年に実施した『ROCK MUST GO ON』 以来、1年10ヶ月ぶりである。 12月15日・18日・19日・21日の4日間は東京・日本武道館で行われた。19日の公演は、WOWOWプライム にて生中継された。最終日21日の公演を終え、同会場の単独アーティスト公演回数最多記録(146回)を更新した[ 145] 。12月25日、横浜アリーナで千秋楽を迎え、23会場31公演を完逐した[ 146] 。また、ツアー終了時に72歳3カ月である矢沢は、全国アリーナツアー(ホールを含む31公演)を行った国内男性ソロアーティスト最年長記録を塗り替えた(それまでは2019年に当時71歳10カ月で小田和正 が行ったアリーナツアー(64公演)が最年長記録であった)[ 147] 。 2022年4月4日、デビュー50周年を記念し国立競技場 2DAYSを含むスタジアム&ドームツアーを8月から開催する予定であると発表した[ 出典 82] 。 7月2日・3日、ロック・フェスティバル 「E.YAZAWA SPECIAL EVENT ONE NIGHT SHOW 2022」を幕張メッセで開催した[ 149] [ 150] 。 8月1日、オリジナルアルバム全34作、セルフカバーアルバム3作、ライブアルバム4作、ベストアルバム3作を最新リマスター音源にてダウンロード&ストリーミング配信開始[ 151] 。配信限定でアルバム未収録の楽曲24曲をまとめた「アルバム未収録集」配信のほか、Apple Music 限定で『I LOVE YOU,OK 』『いつか、その日が来る日まで… 』『ALL TIME BEST ALBUM 』の3タイトルをドルビーアトモス による空間オーディオで配信。 8月27日、『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』初日。27日・28日は国立競技場で開催され、2日間で延べ12万人のファンを魅了した[ 152] 。27日はスペシャルゲストに歌手のMISIA 、28日にはB'z がサプライズゲストとして出演した[ 153] 。本ライブは新しくなった国立競技場で行われた初の有観客音楽ライブである。また、2019年12月以降、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため禁止していた"タオル投げ"が解禁された[ 154] [ 155] 。9月18日に福岡PayPayドーム 、9月25日に京セラドーム大阪 でライブを行い、3都市4公演を完遂した。なお、国立競技場公演2日目(8月28日)の模様を収めたBlu-ray&DVDを2022年12月21日にリリースすることが発表された[ 156] 。 9月14日、秋のホール&アリーナツアー『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2022 〜ONE FIFTY〜』(11都市17公演)を開催すると発表した。ツアー最終公演は日本武道館での4DAYSを予定しており、最終日の12月20日には矢沢が日本武道館で行ったライブ通算150回を達成[ 157] [ 158] するはずであったが、3日目(12月18日)の公演から喉に不調を感じ、最終日当日となる12月20日まで回復に努めたが好転しなかった。観客に対し真摯に向き合い、最高のパフォーマンスを魅せる姿勢を常としている矢沢は現状ではステージに立つことは出来ないと苦渋の決断を下し、最終日公演中止の告知を公式サイト及びSNSを通じて発表した。これにより150回の記録更新は持ち越しとなった[ 159] [ 160] 。12月23日、「NHK MUSIC SPECIAL 矢沢永吉 激白!超えられなかったあと1本」に出演。記録達成を目前に断念した武道館公演への思いを語った。また、今夏に行った国立競技場ライブへの道のりを記録したドキュメンタリー映像やキャロル時代からの秘蔵映像も併せて放送された[ 161] 。 2023年7月28日、FUJI ROCK FESTIVAL'23 に初出演[ 162] 。“GREEN STAGE”にて8曲を披露した。 12月14日、全国アリーナツアー『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2023「Welcome to Rock’n’Roll」』東京4Days初日公演を日本武道館にて開催。前年2022年に喉の不調で断念した日本武道館公演通算150回を、本公演を以って達成した[ 163] 。 2025年4月8日、豊洲 上空に500機のドローン を飛ばし、空中パフォーマンス を展開。同年11月8日・9日の2日間にわたり、約7年ぶりとなる東京ドーム公演を行うことを発表した。実現すれば同施設での国内最年長者による単独公演記録更新となる[ 164] [ 165] 。 5月6日、ラジオ特別番組「矢沢永吉ソロ50周年記念 TOKYO FM×ニッポン放送 スペシャルコラボ番組『矢沢永吉 I'm Happy』」がTOKYO FM とニッポン放送 の2局で同日同時間に放送された[ 166] [ 167] 。矢沢はメインパーソナリティを務め、アシスタントはフリーアナウンサーの垣花正 、「SCHOOL OF LOCK! 教育委員会」で共演経験のある遠山大輔 が務めた[ 168] 。 8月24日放送、毎日放送 「日曜日の初耳学 」の人気企画<インタビュアー林修 >に出演。矢沢永吉を特集した回である。林を聞き手に、ライブをはじめとした音楽活動に懸ける思い、かつて後輩・布袋寅泰 を思い贈った言葉などを語っている[ 169] [ 170] 。 9月15日放送、NHK特番「NHK MUSIC SPECIAL 矢沢永吉 ヤザワ×イチロー~俺たちの失敗~」に出演。マリナーズの球団会長付特別補佐兼インストラクターであるイチロー 氏と20年ぶりに対談。矢沢は自身の「失敗」として、知人が引き起こした35億円の負債、その苦悩や返済に至るまでを語っている[ 171] 。 9月24日、6年ぶりとなるアルバム『I believe』が、同月30日のオリコン週間ランキング1位で初登場。76歳1カ月での首位獲得は、自ら持つ「アルバム1位獲得最年長記録」を更新。また自身が歴代1位の記録「アルバムトップ10入り作品数」でも計56作に更新した[ 172] 。 9月26日、ラジオ特別番組「矢沢永吉のオールナイトニッポンGOLD」放送。伝説のバンド・キャロルの解散に至るまでの経緯、キャロル解散後なぜバンドを組まずソロ活動に徹しているのかなど、様々な思い・経験について語っている[ 173] 。 11月8日・9日、ライブ『EIKICHI YAZAWA LIVE in TOKYO DOME「Do It!YAZAWA 2025」』を開催。2018年9月以来7年ぶりとなる東京ドーム 公演で、2日間で11万人を動員。ライブ途中では米SUVハマーのルーフの上に乗って会場内を回り、ファンの声援に応えている。ライブ終盤で長女で歌手の矢沢洋子 とともに「Risky Love」を歌唱。7年ぶりの東京ドームでの親子共演を実現。多くのファンと共に、記念すべきソロ活動50周年を祝った[ 174] 。 山中湖の自宅取り壊し1978年7月に[ 68] 富士山 麗の山中湖 に1億円で建てた自宅が無断で『アサヒ芸能 』[ 注 10] に取り上げられ[ 29] 、地図にも掲載された[ 25] 。そのため、熱狂的なファンが連日連夜訪れ、酒盛り したり、大声で歌ったり、花火 を打ち上げたり、落書き したりし[ 68] 、家族が生活できないほどにファンに引っ掻き回され周辺は大騒ぎとなる[ 出典 83] 。妻はノイローゼで入院一歩前、子供たちは不登校になり、しかたなく他の地区へ引越した[ 出典 84] 。その後、空き家となった住居に一部のファンが侵入し、スプレーで落書きや板を剥がしてのたき火、無造作に残された女性下着など、悪質な行為がエスカレートしたため、自宅を取り壊すこととなる[ 出典 85] 。 そっくりさんによる3億円CM裁判[ 177] 。最終的に「肖像権を大切にしましょう」という共同提言を新聞に掲載した。 オーストラリア における事務所元側近による巨額横領 事件[ 出典 88] 。土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった[ 出典 89] 。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15、6年かけて返済していた」と後に語っている。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である[ 68] 。なお、犯人は個人事務所の経理部長とオーストラリアの現地責任者で、1998年8月に現地責任者が、1999年3月10日に経理部長がそれぞれ逮捕されている[ 178] 。 サントリー「BOSS」CM自粛サントリー「BOSS」CM中のセリフ「夏だからってどこか行こうってのやめましょうよ…どこ行ったって夏なんですから…」に、長野県の旅館経営者が抗議し、CMは自粛となった。次回のCMではセリフが「冗談じゃねえよ」となった。 桑田佳祐 による「すべての歌に懺悔しな!!騒動 」1994年に桑田が発表した楽曲「祭りのあと」のカップリング曲である「すべての歌に懺悔しな!!」の歌詞を巡り、マスコミによって長渕剛 と共に桑田に揶揄された当事者とされた。この際、激怒した長渕とは対照的に「お互いクリエイター。全然、気にしてないよ。それより桑田君の方は大丈夫か?」と逆に桑田を気遣う発言をしたとされている。 ものまねタレントへの提訴2007年、ものまねタレントの石山琉大が、「矢沢永吉が唯一認めた」というキャッチコピーを自身の公式ホームページに記載し、ものまね芸および自身の経営する飲食店の広告・宣伝のために矢沢の知名度を利用した。しかし、石山自身の借金がたまり、イベント会場を借りたが支払いもせず、車販売などでもトラブルを次々起こす。石山のビジネスには何ら係わりのない矢沢の事務所にも被害者から苦情が舞い込むことがしばしば発生したため、業を煮やした矢沢側が石山を相手に1000万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした。 すると石山は、矢沢側からの損害賠償の訴えが精神的苦痛になったことを理由に、矢沢に対して1億円の賠償を求める逆訴訟を起こした。代理人を通し、矢沢は石山に誠意を込めて謝ってほしいと譲歩を示したことで石山側が折れた。石山から謝罪文書と50万円を受け取った。しかし、後に“石山が和解に納得していない”という内容のコメントを矢沢が自身のHPに掲載したことで、再び関係が悪化、2009年10月19日に石山は名誉棄損を主張して矢沢に対して3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2010年3月25日、全て棄却された。 団塊の世代 であり、特にザ・ビートルズ の影響を強く受けている[ 179] 。最初にプロデビューを飾ったキャロル は、初期ビートルズ を模範としたロックンロール をベースにしたもので高い人気を誇った。矢沢は「あと3年、キャロルを続けたかった」が、他のメンバーとの間に大きな溝が生まれ解散に至った[ 出典 90] 。キャロル解散の後、ソロ活動を始めたが、バラード 色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンは少なくなかった。1975年9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるアルバム『I LOVE YOU,OK』および、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット」でソロデビュー。本アルバムでは、当時まだ日本では珍しかったセルフプロデュースを行い、アレンジ も同時に行うというセルフプロデュース方式をとった[ 181] 。外国でアルバムを録音し、外国人のプロデューサー を起用するという、現在では当たり前の手法を行った[ 181] 。『I LOVE YOU,OK』を作り終え「俺はバンドのなかの矢沢永吉と決別して、ひとりでやっていけるかもしれない」という手応えを得る[ 181] 。 39歳前後のインタビューで「オレは生涯ロックし続けるんだ」という意味のことを繰り返し語った[ 182] 。当時、既にロック界の顔役と言っていい存在であった矢沢に対し、世間が「大人の音楽」を求めたことに対する反発もあったが、当時の日本では40代〜50代になって一線で活躍するロックシンガーは見当たらず、結果的に矢沢がその道を切り拓くことになった[ 出典 91] 。 主に矢沢の音楽活動は、キャロル時代から現在まで、TV歌番組への出演は極力控え、ライブ・パフォーマンスに重点を置く姿勢を貫いている。毎年欠かさず全国ツアーを行い、大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも訪れている[ 184] 。 マイクスタンド を振り回す独特のアクションは「マイクターン 」と呼ばれ[ 56] 、ソロ・デビュー当時からライブでの見せどころの一つである[ 185] 。ソロデビューした時にベースを弾くのを止めたら、触るものが無くなって手持ち無沙汰になり、ある日、マイクを蹴って、スパーンと決まった[ 100] 。自身もびっくりしたが、観客もびっくりした。「あっ、これはいいな」と気づいて始めた[ 100] 。白い特製のマイクスタンドを使い、マイクは動かないように白いビニールテープ で固定、シールドコード も白色に統一してある。ステージ衣装も白のスーツ を着用することが多く、ライブ中盤から終盤にかけて矢沢タオルを肩にかけて登場する[ 注 12] 。コンサート終盤には楽曲(「止まらないHa〜Ha 」「トラベリン・バス」等)に合わせてタオル投げ が会場全体に起こるのも大きな特色の一つである[ 55] 。この「タオル投げ」は、客側から「トラベリン・バス」演奏時に自然発生で起こったのが最初であるという[ 出典 92] 。コンサートの広告には、現在に至るまで「特攻服 での入場はお断りします。また、他のお客様を威圧する服装・集団も入場をお断りすることがあります」という文言が入っている。キャロル時代から始まり、1975年のソロデビュー以降、1980年代にかけても[ 出典 93] 、矢沢は暴走族 やヤンキー 、愚連隊 などの不良 層から支持を受けており[ 出典 94] 、それゆえ会場内はポマード とシンナー の臭いが漂い[ 190] 、コンサート会場周辺は単車 の爆音が鳴り響き[ 190] 、毎年不良の集会と化し[ 190] 、血の気の多いファン同士の乱闘もしばしば起こり会場周辺に混乱を引き起こすことも少なくなかった[ 出典 95] 。当時は全国規模で2〜3,000人という私設応援団があり[ 出典 96] 、中には特攻服のようなユニフォームの団体もあり[ 191] 、"集団の威圧感"があったことも事実で[ 191] 、これらは社会問題 にまでなり[ 出典 97] 、新規ファンや女性客、一般のファンは近寄り難かった[ 出典 98] 。他に当時は今日のようにネット販売がなく、チケット売り場(プレイガイド など)に並ぶしかチケットが取れなかったため、応援団同志でのトラブルも多かった[ 191] 。またキャパ 2,000の会場で、観客が椅子の上で飛び跳ね、300席もの椅子を壊したこともあった[ 191] 。1980年前後もフォークはいいがロックには会場を貸さない[ 19] 、洋楽アーティストだったらどんなバンドでもOKなのに「矢沢はNG」という会場が多かった[ 出典 99] 。1980年前後によくいわれたのが「会場拒否」だった[ 26] 。ちなみに、矢沢はこういったことがあった時期に「なんで桑田佳祐 には良いファンがいるのに、俺のところにははぐれ者ばっかりくるんだよ」と思っていたことがあったことを1980年代後半から1990年代前半までサザンオールスターズ や桑田の作品に関わっていた小林武史 とインタビューをした際に明かしている[ 194] 。一連の騒ぎや「会場拒否」が落ち着いたのは1990年代に入ってからであった[ 189] 。2019年1月には私設応援団なる迷惑ファンの出入り禁止およびファンクラブの強制脱会の措置を下したことを公式サイトで報告した[ 195] 。矢沢がソロデビューした1970年代半ばから1980年にかけては『ぴあ 』や『POPEYE 』といったカルチャー誌 が若者文化 を先導し[ 190] 、都会的なアイビースタイル が好まれた時代で[ 190] 、矢沢が一貫してこだわり続けたのはその対極にあるものだった[ 190] 。 1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす[ 193] 。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した[ 出典 100] 。 自身をシンガーソングライター ではなくメロディーメーカーであると自負をしており、作曲のみを行っている。作詞をしないのは「才能がないから」としている[ 197] 。 1980年代のインタビューでは、洋楽ロックをお手本に「パクリ 」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判している。「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」「僕はなにひとつ、つくらなかった(捏造しなかった)」[ 198] という趣旨の発言をしている。 チェコ・ナショナル交響楽団 をバックバンドに招聘し、「Rock Opera」を開催した[ 199] 。日本の「ロックの祖」[ 13] 、日本にロックンロール を定着させた[ 81] 、ロックを日本で初めてビッグビジネスにした[ 57] 、自身の力でロックが市民権 を得るところまで引き上げた[ 57] などと評される。歌謡曲 とフォークソング の全盛だったこの国の音楽シーンに「日本語のロック」という風穴をぶち開け[ 55] 、以降も半世紀以上にわたり最前線で活動を重ね、最高峰として君臨する[ 55] 。たとえ無力の若者でも才能一つで「成りあがる」ことが出来るという"ジャパニーズドリーム"を体現して見せ[ 13] 、ロックに「生き方」という意味づけを行い[ 13] 、日本に於ける「ロック」という価値観 を形づくり[ 13] 、日本のロックスター像を形成した[ 200] 。独立独歩のステータスの確立という点において、矢沢は現在のロック系大衆音楽界ビジネスの開祖的存在である[ 出典 101] 。
レコード会社 の操り人形 ではなく[ 13] 、自身で作曲し、アルバム やステージまでプロデュース[ 出典 102] 、アーティストとしてのロックスター像を確立し[ 13] 、自身の意思を貫き通すため[ 203] 、自ら会社を立ち上げて[ 203] 、音楽ビジネスに於けるアーティストの権利を最初に主張し[ 13] 、日本の音楽業界に欠けていたことを片っ端から構造的に変えていった[ 13] 。矢沢はアーティストであると同時に先進的なイノベイター でもあった[ 出典 103] 。
アマチュア時代のキャバレー やナイトクラブ から始まり、ライブハウス や地方 の公民館 、日比谷野音 や大都市の大ホールを経て、日本武道館、後楽園球場を制覇。この出世の階段が、そのままロック界の成功の進路として"体系化"させた[ 57] 。
キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績は1977年から1978年にかけてのものが大きい[ 出典 104] 。1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館 公演を実現[ 出典 105] 。1978年3月21日に発売した資生堂 CMソング 「時間よ止まれ 」がオリコン 1位を獲得しミリオンセラーを記録[ 出典 106] 。
コマーシャルソング が大きな注目を集めたのは、資生堂 とカネボウ による、春・夏・秋・冬の化粧品キャンペーンソング合戦 であるが[ 207] 、まだまだフォークやロック、ニューミュージックは反商業主義 を掲げ[ 207] 、そういうものとは手を組まないという風潮があった時代に於いて[ 207] 、矢沢がCMタイアップという資本主義経済 の権化と手を組んだことは、以降の両者の関係に大きな影響を与えた[ 207] 。スージー鈴木 は「広島出身ミュージシャンたちはビジネス嗅覚が鋭い」と評価している[ 88] 。80年代の新しい音楽的才能は多くがタイアップ から世に出た[ 208] 。「時間よ止まれ」の大ヒットからロック系楽曲のヒットラッシュが始まった[ 出典 107] [出典無効 ] 。東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン )時代から、日本のロック 黎明期のプロデュースに携わった石坂敬一 は「日本のロックが爆発しないのはシングル ヒットがないからだ、などと内田裕也 や加藤和彦 らと言い合っていたら、自身と関係のないCBS・ソニー で『時間よ止まれ』が当たり"日本"のロックと言わなくてもいい時代に80年代以降なっていった」と述べている[ 210] 。石坂は1988年に矢沢を東芝EMIへと引き抜いた[ 210] 。「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得した1978年6月は、アルバム 『ゴールドラッシュ 』もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムとも矢沢が一位を独占した[ 24] 。またこの年12月に出したライブ・アルバム 『LIVE 後楽園スタジアム 』もオリコンアルバム1位を獲得している。
同年5月長者番付 (1977年度納税分)歌手部門で、ロック歌手として初の歌手部門第1位を獲得[ 出典 108] [ 注 13] 。申告所得額は1億7123万円と[ 出典 109] 、2位南こうせつ に1億円の差をつける突出したものだった[ 68] 。矢沢は「自分で勝ち取ったんですよ。むしり取ったというのかな、この業界から。びっくりしたと思うよ。こんなヤツが出てきたよって」と述べている[ 17] 。1980年と1982年にも1位となり[ 17] 、最後の公示だった2004年も3位に入る[ 17] 。ロックミュージシャンとして初の1位獲得はそれまでの日本のロックミュージシャン像を打ち破った。当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ 」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディアも大きく報道した[ 193] 。自身では「ジャパニーズロック の転機だったんじゃないか」と述べている[ 193] 。7月15日に刊行した自伝本「成りあがり」は、同年12月までに18刷60万部を売り上げ[ 出典 110] 、版を重ねて 100万部を超えるベストセラー となる[ 出典 111] 。矢沢は、音楽スタイルの表面的な部分だけでなく、ロックという生き様を体現した[ 出典 112] 。
8月28日には後楽園球場でコンサートを行う。ロックの単独公演で5万人を集めて、この日、ロックはついにメジャーになったとも評された[ 出典 113] 。このコンサートは、日本のミュージシャンによるスタジアム・コンサートの先鞭をつけた[ 33] 。後楽園球場コンサートを控えた1978年当時の雑誌インタビューで矢沢は「トータル性を備えた、実としてのロックは俺から出たと思う。俺がソロになった時から」と自身が、日本のロックの実質的な始祖であると言い切った[ 出典 114] [ 注 14] 。1978年、矢沢の名は全国に広まり、アメリカン・ドリーム ならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世代にまで与えた[ 213] 。
1975年の初ソロ作『I LOVE YOU, OK』からロサンゼルスでの制作を敢行した[ 出典 115] 。また1981年、米国のレコード会社アサイラム・レコード と契約し[ 29] 、アルバム『YAZAWA』を発売するが、直接アメリカのレコード会社と契約し、曲作りをすべて現地で行った日本人シンガーは矢沢が初めてである[ 出典 116] 。
矢沢は
誰よりも誰よりも先に海外に出た。誰よりも誰よりも日本一になってやろうと思った。誰よりも誰よりも絶対上にいってやろうと思った。誰よりも誰よりも誰よりも最高の世界的なやつらとセッションした。セッションしないで海外に出もしないで、英語で苦労したこともないのに、お前らなにがわかるんだっていうのがおれの言い分。日本の国内あたりでピィピィやってて、なにお前らにわかるんだ
などと述べている[ 216] 。
1975年ソロデビュー以降、「ライブと言えば矢沢永吉」と言われるほど[ 213] ショーマンシップ溢れるライブを展開してきた[ 213] 。自身のロック・スピリッツを明確に表現できるのはステージであると確信し、積極的にツアーを行った[ 213] 。1970年代は21人の"矢沢ファミリー"と4トン半のトラック 二台に機材 を積み全国を"ドサ回り"した[ 出典 117] 。ツアーを重ねるたびに規模も会場のキャパも大きくなっていったが、同時に新たなファンも確実に獲得していった[ 213] 。2012年まで総ライブ数は1800回を超え、ライブの実績において他の追随を許さない[ 30] 。矢沢は制作や興行という面でも先駆者と呼ぶべきキャリアを歩んできた[ 出典 118] 。矢沢がライブ制作を自前で手掛け始めたのは1990年[ 出典 119] 。音楽業界の常識を破る試みだったが、リーダーシップを発揮し、ステージセットの刷新や音響環境の改善、大規模なホーン隊やストリングスを招聘するなど、ミュージシャンらしい視点を取り入れたライブは、日本の音楽シーンに大きなインパクトを与えた[ 30] 。横山剣 は「矢沢永吉さんの舞台照明 の色味 は、日本のほかの人たちとは、特別違いました」「矢沢さんほど音楽的にクリエイティブ な人はいない。しかし、わりとそうじゃない一面ばかりが出ているのは、じつはもったいない」などと述べている[ 203] 。
AKB商法 が話題を呼んだ2012年には「口パク はダメだよ。あと何枚買ったら手を握らせるとかあるかは知らないけど、もしあるなら一緒にしてほしくない。そんなジャンル、俺たち歌手とは別モノでしょ。俺も100枚買ってくれたら×××握らせちゃうよ!」とジョークを交えて力説した[ 218] 。
矢沢はキャロル解散後に、ビートルズが設立したアップル・コア にならって自らの音楽出版社 を設立した[ 出典 120] 。当時の音楽業界はアーティストが自分の作品の権利を主張するなど言語道断[ 出典 121] 。レコード会社 や音楽出版社が権利を掌握し、レコード・CDの売り上げなどはミュージシャンの懐にほとんど届かない仕組みになっていた[ 20] 。音楽の著作権(出版権)は通常、レコード会社から音楽出版社に管理が委託されるが、出版権だけでなく肖像権 にも目をつけた[ 81] 。グッズ販売なども自らの手でコントロールした[ 出典 122] 。1991年、それまでコンサート制作を任せていた大手プロモーターとの契約を解除し[ 出典 123] 、自社でのコンサート制作に切り換える[ 出典 124] 。このため一時、ツアーはどこも満員でも赤字 続きだった時期がある[ 出典 125] 。2008年「GARURU RECORDS」設立で、音源制作や流通をすべて自前で行うスタイルを確立した[ 出典 126] 。現在、世界の音楽業界では、CD販売のみに頼ることなく、あらゆる権利を通して収益を得る「360度ビジネス」モデルが主流となっており、矢沢は日本に於ける先駆者であると言われる[ 30] 。こうした銭金の話が日本人に馴染まないこともあって、これまで多くのトラブルが発生した[ 20] 。
矢沢は
だいたい昔は、ロックでメシ食ってるヤツなんていなかったもの。"ミュージシャンは金持つな"という風潮があったしね。
ファッション だったのよ。だけどオレはそういうのイヤだった。(中略)アーティストとしての権利を主張することは、これからの時代、絶対必要だとオレは信じた。でも当時の
芸能界 でそんなこと言うヤツ、誰もいなかった。だからオレ、浮いてたよ。"にぎりの矢沢"って言われてた。にぎりってのはドケチっていうことね。守銭奴扱いよ。中にはオレに賛同してくれたミュージシャンもいたけど、いざとなると自分の身がかわいいんだな。体制側についちゃうんだよ。だけどオレは貫き通した。自分が守るためってのもあったけど、芸能界のカラクリにハラがたったからよ。(中略)オレ、雑誌のインタビューなんかで芸能界をバンバン批判した。しまくったよ。
テレビ局 から、
芸能プロダクション から、
レコードカンパニー から。だって、オレの方がスジ通ってると思ったもの。(中略)そりゃあね、風当たりムチャクチャ強かったよ。芸能プロダクションとしちゃあ、ミュージシャンが賢くなるのは困る。音楽バカでいてくれたほうが都合がいいのよ、コントロールできるから。実際、オレを潰そうとしたとこもあったしね。矢沢がバンバン発言するようになって、だんだんみんな目覚めてきたよね。この世界も、オレが正しいと思った方向に変わってきた
などと述べている[ 出典 127] 。前述のトラブルの大半が先に挙げた著作権や肖像権に関わることである。矢沢は「結局はただ音楽を作ろうと思っても、納得出来ないことが山ほどあったってだけ。長い物には巻かれず、"F〇〇Y〇〇!"ってやってきたから。他の芸能人が誰もやろうとしないから、オレがやらざるを得なかった」などと述べている[ 105] 。矢沢はコンサートの演出からアルバム制作まで、すべて自身でプロデュースを行っている[ 222] 。
発売日 タイトル カップリング 規格 規格品番 順位 CBS・ソニー 1st 1975年9月21日 アイ・ラヴ・ユー、OK セクシー・キャット EP SOLB-305 43位 1989年3月21日 8cmCD 10EH-3256 - 2nd 1976年3月21日 真夜中のロックン・ロール 最後の約束 EP SOLB-402 65位 1979年9月21日 06SH-605 - 3rd 1976年9月21日 ひき潮 写真の二人 EP 06SH-65 50位 1989年3月21日 8cmCD 10EH-3257 - 4th 1977年6月21日 黒く塗りつぶせ せめて今夜は EP 06SH-170 78位 5th 1978年3月21日 時間よ止まれ チャイナタウン EP 06SH-270 1位 1989年3月21日 8cmCD 10EH-3258 - 6th 1979年4月1日 I say Good-bye, So Good-bye 天使たちの場所 EP 06SH-464 16位 ワーナー・パイオニア 7th 1980年3月10日 THIS IS A SONG FOR COCA-COLA RUN & RUN EP K-30W 5位 8th 1980年5月10日 涙のラブレター レイニー・ウェイ K-31W 9位 -[ 注 16] 1980年11月28日 兄貴に相談 - KZ-2W - 9th 1981年4月25日 抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST- The Ride K-1503W - 10th 1981年9月25日 You/Shampoo K-1510W 23位 11th 1982年2月20日 YES MY LOVE YOKOHAMA FOGGY NIGHT K-1515W 8位 12th 1982年4月10日 LAHAINA SEPTEMBER MOON K-1516 16位 13th 1982年10月9日 ROCKIN' MY HEART WHY DID YOU EVER GO K-1519 15位 14th 1983年6月29日 ミスティ -misty- WHY YOU… K-1524 16位 15th 1983年11月16日 Last Christmas Eve シーサイド#9001 K-1527 14位 16th 1984年3月10日 THE BORDER I SAID I LOVE YOU K-1530 42位 17th 1984年7月10日 逃亡者 BALL AND CHAIN K-1534 24位 18th 1985年6月25日 TAKE IT TIME あ・い・つ K-1550 18位 19th 1986年5月25日 BELIEVE IN ME 棕櫚の影に <1985・12・19武道館 LIVE>K-1560 17位 Warner Bros. Records 20th[ 注 17] 1987年5月13日 FLASH IN JAPAN YOKO EP 7-28325 - 東芝EMI / EASTWORLD21st 1988年7月6日 共犯者 RISKY LOVE EP RT07-2130 6位 8cmCD XT10-2030 CT ZX10-6145 22nd 1988年9月21日 ニューグランドホテル キャンディ EP RT07-2200 26位 8cmCD XT10-2200 CT ZX10-6200 23rd 1988年11月30日 くちづけが止まらない ルイジアンナ (ニューヴァージョン) EP RT07-2250 42位 8cmCD XT10-2250 CT ZX10-6250 24th 1989年4月26日 SOMEBODY'S NIGHT アゲイン EP RT07-2333 2位 8cmCD XT10-2333 CT ZX10-6333 25th 1989年7月19日 愛しい風〜子熊のテーマ〜 六本木ショット EP RT07-2400 17位 8cmCD XT10-2400 CT ZX10-6400 26th 1989年10月11日 バラードよ永遠に FLESH AND BLOOD EP RT07-2425 6位 8cmCD XT10-2425 27th 1990年5月23日 PURE GOLD I LOVE YOU,OK -1990 Version- Maxi TODT-2513-Y 1位 8cmCD TODT-2513 CT TOST-2513 28th 1991年4月19日 夢の彼方 フェンス越しのFICTION 8cmCD TODT-2650 3位 CT TOST-2650 29th 1991年5月31日 ラスト・シーン LONELY WARRIOR 8cmCD TODT-2670 4位 CT TOST-2670 30th 1991年12月11日 BIG BEAT DON'T WANNA STOP 8cmCD TODT-2780 29位 31st 1992年6月3日 Anytime Woman Sail Away TODT-2839 9位 CT TOST-2839 32nd 1992年6月17日 Anytime Woman -English Version- アンジェリーナ 8cmCD TODT-2863 9位 CT TOST-2863 33rd 1993年2月10日 東京 心花よ 8cmCD TODT-2980 6位 CT TOST-2980 34th 1993年10月27日 黄昏に捨てて 闇の中のハリケーン 8cmCD TODT-3123 24位 35th 1994年4月27日 アリよさらば SEA BREEZE TODT-3215 4位 CT TOST-3215 36th 1994年5月25日 いつの日か センチメンタル・コースト 8cmCD TODT-3230 8位 CT TOST-3230 37th 1995年2月8日 夏の終り 抱いちまったら 8cmCD TODT-3430 19位 38th 1995年5月24日 青空 THE TROUBLE MAN TODT-3490 30位 39th 1996年5月16日 MARIA 終わりじゃないぜ TODT-3700 26位 40th 1996年11月7日 もうひとりの俺 WILD HEART TODT-3880 37位 41st 1997年9月3日 Still China Girl TODT-5040 34位 42nd 1997年11月7日 あの日のように だから、抱いてくれ TODT-5075 37位 43rd 1998年7月29日 チャイナタウン 黒く塗りつぶせ TODT-5178 33位 44th 1999年6月30日 Oh!ラヴシック I have no reason Maxi TOCT-4155 17位 馬鹿もほどほどに (Live atCLUB CITTA' KAWASAKI Sep.29th,1998)45th 2000年8月9日 THE TRUTH Brother! TOCT-4235 16位 ユニバーサル インターナショナル 46th 2000年10月25日 Tonight I Remember Little Drummer Boy (Song byNarada Michael Walden ) Maxi UICE-5001 35位 東芝EMI / EASTWORLD 47th 2001年8月29日 背中ごしの I LOVE YOU THE STRANGE WORLD -remix- Maxi TOCT-4315 19位 48th 2002年7月26日 鎖を引きちぎれ 気ままなロックン・ローラー Maxi (CD-EXTRA ) TOCT-4403 15位 49th 2005年8月24日 ONLY ONE 面影 Maxi TOCT-4895 20位 EMI Music Japan 50th 2007年9月5日 夏の終り この道の向こうに Maxi TOCT-40142 27位 GARURU RECORDS 51st 2009年2月25日 Loser Maxi GRRC-7 17位 52nd 2009年6月3日 コバルトの空 未来をかさねて GRRC-8 13位
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位 CBS・ソニー 1st 1975年9月21日 I LOVE YOU,OK LP SOLN-4 CBS・ソニー 8位 1990年10月15日 CD CSCL-1256 CD選書 - 2006年11月15日 MHCL-951 Sony Music Direct / GT musicデジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様99位 2nd 1976年6月21日 A Day LP 25AH-35 CBS・ソニー 9位 1990年10月15日 CD CSCL-1257 CD選書 - 2006年11月15日 MHCL-952 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 109位 3rd 1977年4月21日 ドアを開けろ LP 25AH-185 CBS・ソニー 2位 1990年10月15日 CD CSCL-1260 CD選書 - 2006年11月15日 MHCL-955 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 114位 4th 1978年6月1日 ゴールドラッシュ LP 25AH-485 CBS・ソニー 1位 1990年10月15日 CD CSCL-1263 CD選書 - 2006年11月15日 MHCL-958 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 100位 5th 1979年6月21日 Kiss Me Please LP 25AH-734 CBS・ソニー 2位 1990年10月15日 CD CSCL-1266 CD選書 - 2006年11月15日 MHCL-961 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 118位 ワーナー・パイオニア 6th 1980年6月10日 KAVACH LP K-10022W ワーナー・パイオニア 2位 1985年12月10日 CD 32XL-136 - 1990年10月25日 WPCL-195 2010年11月20日 GRRC-11 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 246位 7th 1981年8月5日 YAZAWA LP K-10024E ワーナー・パイオニア 9位 1981年9月25日 5E-536 海外発売 第1弾 /逆輸入 盤 3位 1983年 CD 35XL-21 - 1985年7月10日 32XL-97 1990年10月25日 WPCL-199 2010年11月20日 GRRC-12 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 247位 8th 1981年10月25日 RISING SUN LP K-12502W ワーナー・パイオニア 3位 1983年 CD 35XL-14 - 1987年10月25日 32XL-226 1990年10月25日 WPCL-200 2010年11月20日 GRRC-13 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 278位 9th 1982年7月10日 P.M.9 LP K-12056 ワーナー・パイオニア 1位 1983年 CD 35XL-2 - 1985年7月25日 32XL-100 1990年10月25日 WPCL-201 2010年11月20日 GRRC-14 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 218位 10th 1982年12月4日 YAZAWA It's Just Rock'n Roll LP SDM-15005 ワーナー・パイオニア 2位 1983年2月10日 60199-1 海外発売 第2弾 / 逆輸入盤 - 1983年 CD 35XL-7 1987年9月25日 32XL-223 1990年10月25日 WPCL-202 2010年11月20日 GRRC-15 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 256位 11th 1983年7月20日 I am a Model LP K-12507 ワーナー・パイオニア 4位 1983年 CD 35XL-13 - 1985年8月10日 32XL-104 1990年10月25日 WPCL-203 2010年11月20日 GRRC-16 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 277位 12th 1984年7月25日 E' LP K-12512 ワーナー・パイオニア 3位 CD 35XL-44 - 1985年7月10日 32XL-98 1990年10月25日 WPCL-205 2010年11月20日 GRRC-17 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 248位 13th 1985年7月25日 YOKOHAMA二十才まえ LP K-12517 ワーナー・パイオニア 1位 CD 32XL-94 1990年10月25日 WPCL-206 - 2010年11月20日 GRRC-18 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 261位 14th 1986年7月25日 東京ナイト LP K-12525 ワーナー・パイオニア 5位 CD 32XL-158 1990年10月25日 WPCL-209 - 2010年11月20日 GRRC-19 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 245位 Warner Bros. Records 15th 1987年5月18日 FLASH IN JAPAN LP 25384-1 Warner Bros. Records 海外発売 第3弾 / 日本未発売 - CD 25384-2 1999年12月24日 TOCT-24280 東芝EMI / EASTWORLD15位 東芝EMI / EASTWORLD16th 1988年7月21日 共犯者 LP RT28-5255 東芝EMI / EASTWORLD3位 CT ZT28-5255 CD CT32-5255 2010年11月20日 GRRC-20 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 17th 1989年6月21日 情事 LP RT28-5500 東芝EMI / EASTWORLD 2位 CT ZT28-5500 CD CT32-5500 2010年11月20日 GRRC-21 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 18th 1990年7月31日 永吉 TOCT-5780 東芝EMI / EASTWORLD 2位 2010年11月20日 GRRC-22 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 19th 1991年7月5日 Don't Wanna Stop TOCT-6200 東芝EMI / EASTWORLD - 3位 2010年11月20日 GRRC-23 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 20th 1992年6月24日 Anytime Woman TOCT-6521 東芝EMI / EASTWORLD 5位 2010年11月20日 GRRC-23 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 21st 1993年3月31日 HEART TOCT-6925 東芝EMI / EASTWORLD 1位 2010年11月20日 GRRC-25 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 22nd 1994年7月6日 the Name Is... TOCT-8480 東芝EMI / EASTWORLD 1位 2010年11月20日 GRRC-26 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 23rd 1995年7月5日 この夜のどこかで TOCT-9110 東芝EMI / EASTWORLD 3位 2010年11月20日 GRRC-27 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 24th 1996年7月3日 MARIA TOCT-9550 東芝EMI / EASTWORLD 5位 2010年11月20日 GRRC-28 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 25th 1997年8月8日 YES TOCT-9930 東芝EMI / EASTWORLD 8位 2010年11月20日 GRRC-29 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 26th 1999年8月6日 LOTTA GOOD TIME TOCT-24200 東芝EMI / EASTWORLD 10位 2010年11月20日 GRRC-30 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 27th 2000年9月27日 STOP YOUR STEP TOCT-24400 東芝EMI / EASTWORLD 7位 2010年11月20日 GRRC-31 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 28th 2001年9月27日 YOU,TOO COOL TOCT-24650 東芝EMI / EASTWORLD 6位 2010年11月20日 GRRC-32 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 29th 2004年9月1日 横顔 TOCT-25449 東芝EMI / EASTWORLD 8位 2010年11月20日 GRRC-33 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 30th 2005年9月14日 ONLY ONE TOCT-25834 東芝EMI / EASTWORLD 4位 2010年11月20日 GRRC-34 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - GARURU RECORDS 31st 2009年8月5日 ROCK'N'ROLL CD GRRC-10 GARURU RECORDS 3位 32nd 2010年6月9日 TWIST CD+DVD (初回限定盤) GRRC-35 3位 CD(通常盤) GRRC-36 33rd 2012年8月1日 Last Song CD+Tシャツ(初回限定盤) GRRC-38/E 2位 CD(通常盤) GRRC-38 34th 2019年9月4日 いつか、その日が来る日まで… CD+Blu-ray (初回限定盤A) GRRC-54/55 1位 CD+DVD (初回限定盤A) GRRC-58/59 CD+Blu-ray (初回限定盤B) GRRC-56/57 CD+DVD (初回限定盤B) GRRC-60/61 CD (通常盤) GRRC-53
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位 CBS・ソニー 1st 1980年7月1日 THE GREAT OF ALL LP 28AH-994 CBS・ソニー - 2001年4月25日 CD SRCL-5064 Sony Music Entertainment (Japan) 2006年11月15日 MHCL-962 Sony Music Direct / GT musicデジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様116位 2nd 1980年12月1日 THE GREAT OF ALL VOL.2 LP 44AH-1160/1 CBS・ソニー - 2001年4月25日 CD SRCL-5065/6 Sony Music Entertainment (Japan) 3rd 1983年11月21日 THE GREAT OF ALL -Special Version- CD 35DH-55 CBS・ソニー - 1993年10月1日 SRCL-2718 Sony Records ワーナー・パイオニア 4th 1984年2月15日 THE BORDER LP K-12510 ワーナー・パイオニア - CD 35XL-36 1985年5月25日 32XL-76 1990年10月25日 WPCL-204 CBS・ソニー 5th 1985年11月21日 矢沢永吉全集 CD 00DH-327/30 CBS・ソニー CBS・ソニーからリリースされた『CD-BOXシリーズ』シリーズの1つ - ワーナー・パイオニア 6th 1988年3月25日 ROCK'N ROLL GOLD CD 32XL-275 ワーナー・パイオニア - 1990年10月25日 WPCL-210 7th 1988年3月25日 BALLAD GOLD CD 32XL-276 ワーナー・パイオニア - 1990年10月25日 WPCL-209 CBS・ソニー 8th 1988年7月21日 ベスト・コレクション CD 15EH-8046 CBS・ソニー CBS・ソニー20周年企画『My Favorite Songs』シリーズの1つ。8cmCD、5曲入り - 東芝EMI / EASTWORLD9th 1990年10月31日 THE ORIGINAL 2CD TOCT-5850/1 東芝EMI / EASTWORLD 4位 10th 1993年12月8日 THE ORIGINAL 2 CD TOCT-8270 Sony Records 11th 1997年10月1日 E.Y 70'S CD (CD-EXTRA ) SRCL-4838 Sony Records 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 12位 2003年12月17日 CD MHCL-838 Sony Music Direct / GT music - ワーナーミュージック・ジャパン 12th 1997年10月1日 E.Y 80'S CD (CD-EXTRA) WPC6-8383 ワーナーミュージック・ジャパン 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 13位 東芝EMI / EASTWORLD 13th 1997年10月1日 E.Y 90'S CD (CD-EXTRA) TOCT-9960 東芝EMI / EASTWORLD 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 11位 GARURU RECORDS 14th 2013年5月15日 ALL TIME BEST ALBUM 3CD+DVD (初回限定盤) GRRC-39/42 GARURU RECORDS 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、初のオール・タイム・ベスト 1位 3CD(通常盤) GRRC-43/5 15th 2015年7月1日 ALL TIME BEST ALBUM II 3CD GRRC-46/8 2位 16th 2020年10月21日 STANDARD 〜THE BALLAD BEST〜 3CD+Blu-ray(初回限定盤A) GRRC-73/6 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、オールタイム・バラード・ベスト 2位 3CD+DVD (初回限定盤A) GRRC-81/4 3CD+Blu-ray(初回限定盤B) GRRC-77/80 3CD+DVD (初回限定盤B) GRRC-85/8 3CD(通常盤) GRRC-70/2 5LP (数量限定盤)GRRR-01/5
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位 ワーナー・パイオニア 1st 1985年11月28日 TEN YEARS AGO LP K-12520 ワーナー・パイオニア キャロル 時代の楽曲のセルフカバー - CD 32XL-118 1990年10月25日 WPCL-207 東芝EMI / EASTWORLD2nd 1998年9月8日 SUBWAY EXPRESS CD TOCT-10420 東芝EMI / EASTWORLD セルフカバー 3位 3rd 2002年9月4日 SUBWAY EXPRESS 2 TOCT-24840 9位 4th 2006年5月17日 YOUR SONGS 1 TOCT-26003 リミックス ベスト5位 2010年11月20日 GRRC-1 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 5th 2006年5月17日 YOUR SONGS 2 TOCT-26004 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 6位 2010年11月20日 GRRC-2 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 6th 2006年5月17日 YOUR SONGS 3 TOCT-26005 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 7位 2010年11月20日 GRRC-3 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 7th 2007年9月26日 YOUR SONGS 4 TOCT-26343 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 20位 2010年11月20日 GRRC-4 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 8th 2007年9月26日 YOUR SONGS 5 TOCT-26344 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 22位 2010年11月20日 GRRC-5 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - 9th 2007年9月26日 YOUR SONGS 6 TOCT-26345 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 16位 2010年11月20日 GRRC-6 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 - GARURU RECORDS 10th 2011年7月6日 ONLY ONE 〜touch up〜 CD GRRC-37 GARURU RECORDS リミックス 10位 11th 2022年8月1日 アルバム未収録集 配信 配信のみ GARURU RECORDS アルバム未収録楽曲を1つにまとめたもの[ 151] ー
発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 備考 1983年6月25日 RUN&RUN 松竹 VHS NV-1802 パイオニア LD FH003-25F 1996年12月21日 松竹 VHS KF-0071 2006年8月4日 DVD DC-0019 DC-9019 レンタル専用 1983年7月10日 MILES AND MILES ワーナー・パイオニア VHS 10PV-1 LD 07LP-28 1984年9月25日 矢沢永吉ヒストリー CBSソニー VHS 15PV-23 LD 96LM-24 1995年2月22日 東芝EMI VHS TOVH-1255 1995年3月24日 Sony Records LD SRLM-453 1986年9月25日 東京ナイト ワーナー・パイオニア VHS 09PV-62 LD 08PL-21 1987年10月25日 矢沢永吉ヒストリー2 ワーナー・パイオニア VHS 13PL-68 LD 10PL-27 1995年2月22日 東芝EMI VHS TOVH-1256 LD TOLF-1256 1988年4月1日 E' LIVE 1984 YAZAWA CLUB VHS 12YX-01 ファンクラブ限定 1997年4月1日 VHS 12YV-01 ファンクラブ限定 1990年4月25日 STAND UP '89 ARENA 東芝EMI VHS TOVH-1053 LD TOLF-1053 1990年4月25日 STAND UP '89 DOME 東芝EMI VHS TOVH-1054 LD TOLF-1054 1991年4月26日 ROCK'N ROLL ARMY '90 BUDOKAN 東芝EMI VHS TOVH-1118 LD TOLF-1118 1992年2月26日 1991 BIG BEAT STADIUM 東芝EMI VHS TOVH-1138 LD TOLF-1138 1992年2月26日 1991 BIG BEAT BUDOKAN 東芝EMI VHS TOVH-1139 LD TOLF-1139 1992年10月14日 Anytime Woman EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992 東芝EMI VHS TOVH-1150 LD TOLF-1150 2007年6月27日 YAZAWA CLUB DVD YCB-09 1992年10月14日 Anytime Woman 東芝EMI VHS TOVH-1150 LD TOLF-1150 1992年10月14日 LIVE VIDEO Anytime Woman 東芝EMI VHS TOVH-1150 LD TOLF-1150 1993年9月14日 VIDEO CLIPS 東芝EMI VHS TOVH-1241 LD TOLF-1241 1994年 Come On ! EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993 YAZAWA CLUB VHS TOVH-1257 ファンクラブ限定 LD TOLF-1257 ファンクラブ限定 1995年2月22日 The name is YAZAWA 東芝EMI VHS TOVH-1257 LD TOLF-1257 1995年2月22日 The name is YAZAWA Concert Tour 1994 東芝EMI VHS TOVH-1257 LD TOLF-1257 1996年4月6日 JUST TONIGHT EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995 YAZAWA CLUB VHS YCV-03 ファンクラブ限定 1996年7月3日 OPEN RECORDING GIG 東芝EMI VHS TOVH-1270 LD TOLF-1270 1996年11月16日 DVD TOBF-5001 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9047 1998年7月1日 WILD HEART EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996 YAZAWA CLUB VHS YCV-04 ファンクラブ限定 1998年7月1日 YES, E EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997 YAZAWA CLUB VHS YCV-05 ファンクラブ限定 1999年6月23日 SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE 東芝EMI VHS TOVH-1401 LD TOLF-1308 DVD TOBF-5009 1999年6月23日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN 東芝EMI VHS TOVH-1402 LD TOLF-1309 DVD TOBF-5010 2000年12月13日 TONIGHT THE NIGHT!〜ありがとうが爆発する夜〜 東芝EMI DVD TOBH-1036 2001年10月24日 THE FILMS VIDEO CLIPS 1982-2001 東芝EMI DVD TOBF-5094 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9050 2001年11月21日 THE STAR IN HIBIYA 東芝EMI DVD SSBX-2008 2002年3月29日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR“Z”2001 東芝EMI DVD TOBH-1040 2003年6月27日 YAZAWA CLASSIC -VOICE- EIKICHI YAZAWA Acoustic Tour 2002 東芝EMI DVD TOBF-5223 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9051 2003年8月27日 ONE MAN in BUDOKAN Eikichi Yazawa 02.12.16 東芝EMI DVD TOBF-5230 2003年8月27日 ONE MAN in BUDOKAN EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002 東芝EMI DVD TOBF-5230 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9053 2004年6月9日 Rock Opera Eikichi Yazawa 東芝EMI DVD TOBF-5217 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9055 2007年12月05日 雨に眠れ-SLEEP IN THE RAIN- CCRE DVD CCRE-8805 TSUTAYAオンライン限定 2004年12月1日 ROCK 'N' ROLL KNIGHT2 YAZAWA CLUB DVD YCB-1 ファンクラブ限定 2005年5月25日 FIFTY FIVE WAY 東芝EMI DVD TOBF-5391 限定版 DVD TOBF-5393 通常版 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9057 2005年8月24日 YAZAWA CLASSIC II 東芝EMI DVD TOBF-5402 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9059 2005年8月24日 FIFTY FIVE WAY in BUDOKAN 東芝EMI DVD TOBF-5404 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9061 2000年7月21日 お受験 松竹ビデオ VHS SB-0872 2007年1月27日 DVD DB-0038 2009年3月17日 DVD DB-2038 2011年12月21日 DVD DB-5038 2007年4月25日 Rock Opera2 NEW STANDARD 東芝EMI DVD TOBF-5527 2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9063 2007年6月27日 THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX YAZAWA CLUB DVD YCB-2 2008年4月23日 THE REAL GARURU RECORDS Blu-ray GARU-01 DVD GARU-02-03 2009年1月30日 SPECIAL X'mas LIVE GARURU RECORDS DVD GRRD-1 ファンクラブ限定 2009年12月9日 ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME GARURU RECORDS DVD GRRD-2 2010年7月21日 E.YAZAWA ROCK 東映ビデオ DVD DSZD-08026 DVD DSZD-08027 プレミアムエディション<初回生産限定版> Blu-ray BSZD-08026 Blu-ray+DVD BSZD-08027 2011年4月13日 THE LIVE HOUSE ROOTS in Zepp Tokyo 2005 GARURU RECORDS DVD GRRD-5 2011年4月13日 New Standard 〜Blue Note Style〜 2006 GARURU RECORDS DVD GRRD-6 2011年8月17日 ONLY ONE〜touch up〜 SPECIAL LIVE in DIAMOND MOON GARURU RECORDS DVD GRRD-7 2012年11月7日 EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE『BLUE SKY』 GARURU RECORDS DVD GRRD-8 2014年5月7日 It's Only YAZAWA 1988 in Tokyo DOME GARURU RECORDS DVD GRRD-10 2014年5月7日 JUST TONIGHT 1995 in YOKOHAMA STUDIUM GARURU RECORDS DVD GRRD-12 2014年5月7日 STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜2011 in BUDOKAN GARURU RECORDS DVD GRRD-14 2014年5月7日 JAMMIN' ALL NIGHT 2012 in BUDOKAN GARURU RECORDS DVD GRRD-16 2014年5月7日 TREASURE BOX GARURU RECORDS DVD GRRD-19BOX 2015年12月2日 ROCK IN DOME GARURU RECORDS DVD GRRD-20 Blu-ray GRRB-01 2017年3月8日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9048 2017年3月8日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9049 2017年9月6日 BUTCH!! 2016 IN OSAKA-JO HALL GARURU RECORDS DVD GRRD-22 Blu-ray GRRB-02 2017年9月6日 EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2016「Dreamer」IN GRAND HYATT TOKYO GARURU RECORDS DVD GRRD-24 Blu-ray GRRB-03 2018年12月26日 EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018「STAY ROCK」 GARURU RECORDS DVD GRRD-26 Blu-ray GRRB-05 2021年5月5日 LOTTA GOOD TIME 1999 GARURU RECORDS DVD GRRD-30 Blu-ray GRRB-07 2021年5月5日 TRAVELING BUS 2017 GARURU RECORDS DVD GRRD-31 Blu-ray GRRB-08 2021年5月5日 ROCK MUST GO ON 2019 GARURU RECORDS DVD GRRD-32 Blu-ray GRRB-09 2021年5月5日 3 BODY'S NIGHT GARURU RECORDS DVD GRRD-20BOX Blu-ray GRRB-01BOX 2022年6月8日 ALL TIME BEST LIVE GARURU RECORDS DVD GRRD-33 Blu-ray GRRB-10 2022年12月21日 EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY LIVE "MY WAY" IN JAPAN NATIONAL STADIUM GARURU RECORDS DVD GRRD-37 Blu-ray GRRB-14 2024年3月13日 〜Welcome to Rock’n’Roll〜 EIKICHI YAZAWA 150times in Budokan GARURU RECORDS DVD GRRD-39 Blu-ray GRRB-15
Nishiyamato Academy of California School Song「今日をありがとう」
矢沢永吉『ドアを開けろ: 矢沢永吉』サンライズマッキー、1977年。 楽譜 矢沢論・伝記資料 音楽・教本『矢沢永吉ロックンロール』協楽社、1977年。 『初心者のロック・ギター入門』協楽社、1973年。 写真集『矢沢永吉写真集 SUPER PHOTO LIVE photo:稲越功一』小学館、1979年。 『矢沢永吉写真集: 19490914 THE LIFE OF EIKICHI YAZAWA』新潮社、1995年。ISBN 4104080012 。 その他 森永博志『原宿ゴールドラッシュ』(1985年、ワニブックス) - 初版本のみ矢沢が登場する。矢沢の件は『成りあがり』番外編といえる優れた逸話が多く、特にヤクザ風の男との対峙は同書の白眉ともいえる[ 294] 。 夜明けの刑事 第2話「キャロル知らない奴はおくれてる」(1974年10月9日、TBS) - 本人 役アリよさらば (1994年4月15日 - 7月1日、TBS) - 安部良太 役時よとまれ(1995年8月5日、テレビ朝日「土曜ワイド劇場 ・戦後五十年特別企画」) - 吉村直之 役 雨に眠れ SLEEP IN THE RAIN(2000年5月29日、TBS「月曜ドラマスペシャル ・500回特別企画」) - 小野静夫 役BG〜身辺警護人〜 最終話(2018年3月15日、テレビ朝日) - 矢沢永吉(本人)役 ※特別出演ほか
ザ・プレミアム・モルツ の広告の矢沢(2019年)E.YAZAWA “ONE NIGHT SHOW 2019”(2019年7月6日、Hulu ) - ライブの模様を生中継(同年7月25日より1ヶ月限定で矢沢の出演部分のみ配信) 1994年 2025年 ^ クールス 「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。^ 1978年10月頃、TBS のクイズ番組 『ベルトクイズQ&Q 』で、「テレビの歌番組に、まだ一度も登場したことのない有名なロック歌手。さて、だれでしょう」答え「矢沢永吉」という問題が出された[ 19] 。 ^ 当時、矢沢永吉はファンにとって絶対的なカリスマであり、そうでない者にとっては滅多にテレビに出ないミステリアスな存在だった[ 18] 。当時の雑誌インタビューでは「歌番組ィーッ?どっこのチャンネルひねっても同じ顔ばかり並んでからに"賄賂"もらってるのか、プロダクションから金ころがしてんのか知らんけど。矢沢のシングルが1位になったからって何で出なくちゃならんの。誤解しないように言っとくけど、テレビ拒否じゃないの。いい番組なら、こっちから頼んででも出たいし、実際出たこともある」「ソロシンガーになって売れなきゃハナもひっかけられないこの世界で自分の道を切り拓いてきた。その中で得た三つの宝、レコード制作、ナマのステージ、そして"矢沢ファミリー"。あのテの番組にハイ、そうですかって出てしまえば、俺がこの数年間やってきたことは、みんなウソになっちゃうわけョ」などと話している[ 24] 。「時間よ止まれ」が大ヒット中の1978年6月にフジテレビ の『ザ・ポップ』に出演して「鎖を引きちぎれ」など6曲歌った他、同年11月に日本テレビ が矢沢の特番を放送した[ 25] 。 ^ 1970年代後半は仲のよかった『吉田拓郎のセイ!ヤング 』に1979年7月7日にゲスト出演した[ 27] 。 ^ 矢沢はキャロル時代からテレビに出なかったわけではないが、歌番組でもない、それもNHKの教育番組で45分もインタビューに答えるというのは、おおげさでなく"事件"だった[ 18] 。やり手のディレクターが、1年以上にわたる出演交渉の末、矢沢をテレビに引っ張り出した[ 出典 8] 。自分のことを語る機会など無かった矢沢が、張りつめた雰囲気の中、インタビューに応じる。今も語り継がれる名言が次々と飛び出した本番組は、記憶に残るテレビ史の名場面となった[ 出典 9] 。この番組が伝説になった理由の一つが、インタビューを受けながらスタジオでの矢沢の喫煙[ 18] 。今日では勿論有り得ないが、矢沢は番組中、切らすことなくタバコを吸い続けた[ 18] 。NHKに出ようが、お行儀よくなることないその姿に見る者は痺れた[ 18] 。実際の放送は45分だが[ 28] 、収録そのものは倍の1時間半だった[ 18] 。レギュラー司会者だった中部博 は「キャロル時代から矢沢さんは好きだった。音楽だけじゃなくその言動も含めて興味はあった。楽曲作りからステージまで、すごいこだわりを持っている人だという噂は聞いていたから、相当アクの強い人だろうなと覚悟はしていたけどね(笑)。事前の打ち合わせは一切なしで、収録の始まる前に挨拶しただけです。質問しちゃいけない項目も無かった。収録後も『あそこは使わないでくれ』といった注文はなかったと聞きました。相手の言いたいことだけ話させて『ありがとうございました』じゃ面白くもなんともないと思っていました。僕の質問は彼にとって想定内だったと思うよ。受け答えの際、苦笑い浮かべたりしているけど、カメラにどう撮られているかちゃんと考えていたと思う」等と話した[ 18] 。中部は高校生の時からリベラル な政治運動 に参加した[ 18] 。このインタビューが伝説と化した最大の理由は、中部が躊躇なく際どい質問を矢沢にぶつけ、逡巡しながら言葉を選ぶ矢沢の姿だった[ 18] 。中部はこのインタビュー以降、一度も矢沢に会っていないという。ただ一度きりの邂逅だった[ 18] 。増淵健 は「めったにテレビに出ないロックのスーパースターを引っ張り出した担当者の得意そうな顔が目に浮かぶ。歌が4曲、矢沢を主人公にしたドキュメンタリー映画 が公開日付きで紹介される。矢沢をテレビに出したいばかりに公共放送 の矜持を捨て、特定個人に奉仕したNHK。インタビューに答える矢沢も奇態であった。自分自身を『矢沢』と呼び、『わかります?』と聞き手に確認を求めながら話す。よくいえば、ナイーブ、ありていに言ってマンガ的。そして分かりにくい。分かったのは、矢沢がソロ歌手になってまもなくのコンサートを起爆剤にして『ビッグ』になったことだった。人影がまばらな客席に向かって『こんなに才能があるオレ』について訴えた彼は、二年後、同じ会場を超満員にして『オトシマエ』をつけたそうな。『オトシマエ』などという辞書にもない言葉を"教育テレビ "が認めていたとは意外である」などと評した[ 22] 。 ^ 連続ドラマ主演を渋ったが、プロデューサーの遠藤環 に「矢沢さん、怖いんですか?」と言われ、「何にも怖くないよ!じゃあやってやるよ」と出演が決まった[ 出典 14] 。 ^ 矢沢がギターを学んだ山中ジャズスクールは、当時のまま、現在も広島市に現存している。建物の外観も当時と変わらない[ 出典 33] 。 ^ 広島駅 までの新幹線(山陽新幹線 )開通は1975年で、矢沢の上京時にはまだ開通していない。^ 横山剣 は「生まれ育った場所ではないからこそ描けるものはあると思いますね。僕も一時期東京に住んでいたりと、横浜と東京のハイブリッドなので、そういうところはあると思う。横浜のミュージシャンはあまり横浜について歌わないですから。僕もずっと横浜にいたら歌ってないと思いますね」などと述べている[ 77] 。^ 『成りあがり』には、『週刊平凡 』と記載。細田の著書では『女性セブン 』1978年7月6日号[ 68] 。 ^ 同マネージャーは後に業界の実力者として君臨[ 出典 87] 。 ^ タオルはソロになってから、ステージで動き回り、汗を大量にかくので、途中でスタッフに「ちょっとタオルくれ」って言ったのが始まり。最初は手ぬぐい のような小さいタオルで拭いていたが、「もうちょうと大きいのくれ」とバスタオル を使うようになった。人に使われたくないから、「名前ちゃんと入れとけ」とロゴ 入りタオルになった。最初のうちは、汗拭いちゃスタッフに投げ返していたが、めんどくさくなり、タオルを肩にかけて歌ったら、それがサマになった。白のスーツ はただ着てみたいと思ったから着た。まだ専属のスタイリスト なんていない時代、ファッションにも興味がなく、どこで買えばいいか分からないから、当時住んでいた弘明寺 商店街 のテイラーで作ってもらった[ 186] 。 ^ 長者番付は翌1979年は2位だったが、美空ひばりが不動産を処分したために1位を明け渡したもので実質は二年連続1位だった[ 94] 。 ^ 1995年の著書では「20年前の日本のロックって、そのへんのジャリ が集まってセンズリ かいているような音楽だった。エレキギター持って女の子にキャーキャー言われても、コンサートを開けるのは東京、大阪ぐらいでね。まだまだマイナーだったのよ。都会を離れて地方でもやれるようになったのは、キャロルが最初だった。全国ツアーってヤツ。それを具体的に定着させたのは、矢沢だったんじゃないかな」と述べている[ 212] 。 ^ 「成りあがり」の「広島」「横浜」「キャロル」「E・YAZAWA」の四章に対し、「成りさがり」では「所沢」「都内」「有楽町」「スター」「G・TOKORO」「成りさがり」の六章の構成になっている。 ^ アルバム『The Rock』付属のEP盤。 ^ アメリカ のみ発売。^ リニアPCM、48KHz、20bit、5.1/2CH ^ 『ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME』の映像を使用。 ^ アルバム『この夜のどこかで 』に収録されている「予感の雨」の英語詩バージョン。エンドロール曲でありゲームをクリアしないと聴くことができない。 ^ アカペラ バージョンを使用。^a b c d e f g h i “矢沢永吉(ヤザワエイキチ)の情報まとめ ”. OKMusic . ジャパンミュージックネットワーク. 2022年1月27日閲覧。 ^a b c 阿部公輔 (2022年6月14日). “矢沢永吉「10メートル先のタバコ屋にキャデラックで行って…」50年前の言葉振り返る” . スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナル の2022年6月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220613204031/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/14/kiji/20220614s00041000048000c.html 2022年6月19日閲覧。 阿部公輔 (2022年6月14日). “75年、アメ車の屋根でゴキゲンな「キャロル」時代の矢沢(前列右)。メンバーのジョニー大倉(同左)、ユウ岡崎、内海利勝(上)” . スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナル の2022年6月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220613222248/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/14/gazo/20220613s00041000658000p.html 2022年6月19日閲覧。 ^a b c d e 「矢沢永吉 」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。https://kotobank.jp/word/%E7%9F%A2%E6%B2%A2%E6%B0%B8%E5%90%89 。コトバンク より2022年6月19日閲覧 。 ^a b c d e “矢沢永吉 - プロフィール ”. CDJournal . 音楽出版社. 2022年1月27日閲覧。 ^a b c “ロックシンガー矢沢永吉 72歳で挑む大舞台 ”. ニュースウオッチ9 . NHK総合テレビジョン (2022年6月16日). 2022年6月16日時点のオリジナル よりアーカイブ。2022年9月9日閲覧。 “NHK MUSIC SPECIAL 第1回 矢沢永吉 ”. NHK MUSIC SPECIAL . 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第1回(2009年) 第2回(2010年) 第3回(2011年) 第4回(2012年) 第5回(2013年) 第6回(2014年) 第7回(2015年) 第8回(2016年) 第9回(2017年) 第10回(2018年) 第11回(2019年) 第12回(2020年) 第13回(2021年)
その他各賞
ニューブラッド賞 リビジテッド賞 ライブパフォーマンス賞 ベスト盤アルバム賞
第1回 (2009年) -第13回 (2021年)カテゴリ
1回 - 10回 11回 - 20回 21回 - 30回 31回 - 40回 41回 - 50回 51回
スタジオ・アルバム セルフカバー・アルバム 主なライブ・アルバム 主なベスト・アルバム 主な楽曲 関連人物 関連項目 カテゴリ