真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいかくじは)は、日本における真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属する。本山は大覚寺。
真言宗大覚寺派の歴史は、大覚寺の開創に始まる。嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院で、空海が五大明王を彫刻して五覚院を建てた。疫病流行の際には、嵯峨天皇宸筆の般若心経を講読して、心経堂に納入した。876年(貞観18年)淳和天皇皇后正子内親王の令旨により開創され、淳和天皇第二皇子恒寂入道親王が賜り、入寺して、大覚寺の伽藍を整備した。
918年(延喜18年)、宇多天皇が大覚寺で両部灌頂を受け、1268年(文永5年)には後嵯峨天皇が入寺、21世門跡に就任、続いて、亀山天皇も入寺し、22世門跡になった。1307年(徳治2年)~1321年(元亨元年)、後宇多天皇は院政を行い、大覚寺塔頭・蓮華峯寺を仙洞御所とした。このとき、諸堂を整備したため、後宇多法皇を中興の祖と称する。こうした経緯から南朝系の大覚寺統の天皇とゆかりがある。1336年(建武3年)全焼。1392年(元中9年)、南北朝の動乱を経て、南北朝和議の場として使用された。
応仁の乱では全焼したが、豊臣氏・徳川氏の保護もあり、伽藍を再建し、門跡寺院として繁栄したが、江戸時代末期に衰退した。明治時代の始めには無住となったが、47世門跡・楠玉諦、48世門跡・高幡龍暢らの尽力で復興した。
明治政府の宗教政策により、他の真言宗宗派と1879年(明治12年)に合同するが、1900年(明治33年)9月、大覚寺を本山とする真言宗大覚寺派として独立する。1926年(大正15年)には(真言宗高野派(総本山金剛峯寺)・真言宗御室派(総本山仁和寺))と合同して金剛峯寺を総本山とする古義真言宗を組織する。1941年(昭和16年)3月、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって合同し、大真言宗が成立する
戦後、1949年(昭和24年)、独立し再び真言宗大覚寺派として現在に至っている。
級数・僧階・昇階までの年数
古義真言宗の教義に準じる。
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