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白井勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

白井 勇(しらい いさみ、1898年(明治31年)6月19日 -1984年(昭和59年)4月12日)は、日本の政治家参議院議員

全国食糧検査協会理事長を務めるなど食糧行政の権威として重きを成した。

経歴

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庄内藩新徴組取扱役・西郷村長だった白井重遠の6男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生まれる。1917年(大正6年)に山形県立荘内中学校)を卒業し、北海道帝国大学予科を経て東京帝国大学農学部農政経済科に進学。1925年(大正14年)に大学を卒業すると農林省に入省し、仙台米穀事務所長(1933年(昭和8年))・食糧庁検査課長(1945年(昭和20年))で退官する。

1953年(昭和28年)4月24日第3回参議院議員通常選挙全国区から無所属で出馬、362,293票を得て初当選し左派社会党に入党するが翌年社会党から除名自由党に入る[1]1959年(昭和34年)の第5回参議院議員通常選挙で落選するが、7月24日に行われた山形県選挙区補欠選挙自由民主党の公認を得て出馬。255,699票を得て国政復帰を果した。以後1974年(昭和49年)まで4期務める。1984年(昭和59年)4月12日に死去、墓地は東京都府中市多磨霊園(26-1-39)にある。

叙位・叙勲

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家族・親族

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祖父・重言は庄内藩蝦夷地元締を務め、父・重遠は新徴組隊長を務め、

遠縁には白井重行儒学者)・白井重固歌人)・白井重高漢学者)・白井久井婦人運動家)がいる。

長兄・重任教育者で、その息子にあたる重麿鶴岡市長を務めた。次兄・重士は陸軍少佐

脚注

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  1. ^『議会制度百年史 院内会派編貴族院参議院の部』319頁。
  2. ^『官報』本紙 14202「叙位・叙勲」1974年05月04日。
  3. ^『官報』本紙 17162「叙位・叙勲」1984年04月21日。

参考文献

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この節には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。2019年10月
議会
先代
鈴木恭一
日本の旗 参議院逓信委員長
1961年-1962年
次代
安部清美
日本の旗 参議院逓信委員長 (1961年-1962年)
奇数回
偶数回
第1回の3年議員を含む)
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
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