| 1935年生・大阪府出身の俳優「田中弘史」とは別人です。 |
| たなか ひろし 田中 浩 | |
|---|---|
| 本名 | 田中 浩 |
| 生年月日 | (1934-01-01)1934年1月1日 |
| 没年月日 | (1993-01-02)1993年1月2日(59歳没) |
| 出生地 | |
| 死没地 | |
| 職業 | 俳優 |
| ジャンル | 映画 テレビドラマ |
| 活動期間 | 1960年代 -1993年 |
| 著名な家族 | 父・寺島貢(俳優) 母・対馬ルイ子(女優) |
| 事務所 | ファミリープロ |
| テンプレートを表示 | |
田中 浩(たなか ひろし、1934年1月1日[1][2] -1993年1月2日[2])は、日本の俳優。本名は同じ[1]。
京都府出身[1][2]。京都商業高等学校卒業[1][2]。オフィス青柳[3]、ファミリープロに所属していた[1]。
父は昭和初期から中期にかけて活躍した俳優・寺島貢[4]、母は昭和初期の女優・対馬ルイ子。
東宝を経て三船プロダクションに入社し、殺陣師・久世竜に師事[4]。当時は同社製作の映画・テレビのほぼすべてに脇役で出演しており、斬られ役などとして重用されていた。退社後は各社のテレビドラマ・映画に出演したが、アクション作品でのやくざ役、時代劇での悪代官役など悪役が多く、1979年の『戦国自衛隊』では武田信玄を演じた。一方、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーで知られる丸大食品のCMに長らく出演していたことから、その知名度は高かった[4]。
1993年、誕生日の翌日の1月2日に新橋演舞場で行われた五木ひろしの新春特別公演・初日の最中に倒れ心筋梗塞のため、搬送先の駿河台日本大学病院で急死。59歳没。死去の前に撮影されたTBSテレビの正月大型時代劇『天下を獲った男 豊臣秀吉』に丹羽長秀役で出演しており、それが最後のテレビドラマ出演だった。
唯一の子供番組へのレギュラー出演となった『ジャッカー電撃隊』では、一般の作品よりも派手な衣裳を見て面食らい、自身が役をこなせるか不安になったという[5]。しかし、プロデューサーの吉川進から伝えられた「威厳のある父親」というイメージに徹し、さらに自身の子供が番組を見て喜んでいたことで自信を持つことができたと述べている[5]。
『ジャッカー電撃隊』主演の丹波義隆とは番組終了後も親交が続き、プライベートでも「隊長」と呼ばれていた[6]。
※「 - 」は役名