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王齮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避その他の「おうき」の同名の人物については「Wikipedia:索引 おう#おうき」をご覧ください。
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王 齮(おう き、? -紀元前244年)は、中国戦国時代末期のの将軍。同じ秦の将軍、王齕との同一人物説がある[1]

略歴

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秦昭王50年(紀元前257年)、趙の都の邯鄲を包囲した[2]

秦荘襄王3年(紀元前247年)、上党を攻めて、太原郡を置いた[3]

秦王政元年(紀元前246年)、秦王政が即位すると、蒙驁麃公らと共に将軍に任じられる[4]

秦王政3年(紀元前244年)、同僚の蒙驁がを攻め13城を取るも、同年に死没[5]

なお、『史記』「秦本紀」に登場し長平の戦いなどで活躍した将軍王齕は「秦始皇本紀」では一切触れられず、逆に「秦始皇本紀」で初めて現れる王齮は「秦本紀」には登場しない。遅くとも南朝宋には王齕と同一人物である可能性が論じられており、裴駰の『史記集解』は徐広の説を引いて、「齮」字について「一に齕に作る」と述べている[1]

脚注

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  1. ^ab史記集解』秦始皇本紀:始皇元年「蒙驁、王齮(徐廣一作齕)、麃公等為将軍。」
  2. ^史記』呂不韋列伝:秦昭王五十年「使王齮圍邯鄲,急,趙欲殺子楚。」
  3. ^史記』六国年表:秦莊襄王楚三年「王齮擊上黨。初置太原郡。」
  4. ^史記』始皇本紀:始皇元年「蒙驁、王齮、麃公等為将軍。」
  5. ^史記』始皇本紀:始皇三年「三年,蒙驁攻韓,取十三城。王齮死。」

参考文献

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