君主制 (くんしゅせい、英 :monarchy )または君主政 [ 1] とは、一人の支配者 が統治する国家 形態であり[ 2] 、伝統的には君主 が唯一の主権者 である体制[ 3] 。語源 はギリシア語 の「モナルケス monarches」で、「ただ一人の支配」を意味する[ 2] [ 注釈 1] 。君主制支持は君主主義(monarchism )[ 4] と呼ばれる。
共和制 (republic )は「君主制の対」とされる[ 5] (共和制は民主制 と同義 にも用いられ得るが、実際は独裁 的な場合も少なくないという[ 5] [ 注釈 2] )。また「君主制,神政政治 など」は、支配の権威 が民衆 に由来する民主主義 と対照的とされており[ 6] [ 注釈 3] 、「君主政治 」や「貴族政治 」も民主主義と区別されるという[ 8] [ 注釈 4] 。
君主 が存在する国家を君主国 、君主が存在しない国家を共和国 という。君主国は通常、支配者の君主号 によって、王国 (王 )、大公国 (大公 )、公国 (公 )、首長国 (アミール )、帝国 [ 注釈 5] (皇帝 [ 注釈 6] )などと呼ばれる。かつて君主号には、個々の文化圏 ごとの複雑な慣習に基づく序列や優劣が存在したが、現在は国際社会 において儀礼上対等とされる。ただし、便宜上の序列を付ける場合は「在位期間の長い方が上」とすることがある(一例として、各国君主の集合写真を撮影する場合には、在位期間の長い順から中央~外側に着座していき、同じように後列の立座となる)。
ある人物が君主の地位に就任することを即位 、君主がその地位から退くことを退位 、君主がその地位を他人に譲ることを譲位 、退位した人物が再び即位することを重祚 (ちょうそ)という。また、即位させること(君主格の付与、enthronement)を「祭り上げる」、退位させること(君主格の剥奪、dethronement)を「廃位する」とも表現する。
政治分析の基礎概念として君主制を取り上げ、他の政体と区別して論じたのは、君主を持たないポリス が多数存在した古代ギリシア の思想家 である。君主制の国がほとんどを占めていた地域では、君臣の関係のような限定的な問題を越えて、君主制を国家一般と別に把握する動機が生まれなかった。近代になって、君主制が共和主義 者によって脅かされるようになると、古代ギリシア・古代ローマ の伝統を復活させて君主制を論じる政治思想が登場した。
君主制はまず、君主の座を世襲 で継承するかどうかによって、世襲君主制 と選挙君主制 とに分類される[ 17] 。世襲君主制は君主の地位がある一族によって世襲されるものであり、この場合君主の一族を王家 (王室 )と呼び、王家による世襲権力の連続体を王朝 という。これに対し、君主が死去または退位した場合、一定の候補者の中から選挙 によって君主が選ばれる君主制を選挙君主制という。世襲君主制における王位継承 は多くの場合現在の君主との血の近さによって明確な王位継承順位 が定められており、空位となった場合は継承順位第一位の人物が新しく君主に就任する。ただし、サウジアラビア のように王位継承順位を定めていない国家も存在する[ 18] 。
近現代のヨーロッパにおける王位継承は、女性の継承権の有無および優先順位によって4つのタイプに分かれる[ 19] 。女性に継承権が存在しない場合は男系長子継承制(サリカ法 )となり[ 19] 、男系長子が王位継承の第一順位となって、以下血縁の近い男性に継承権が付与されていく。これに対し、女性に継承権が存在する場合は3つのパターンが存在する。基本的には男系男子を優先するが、男系継承者が絶えた場合に限り女系や女子に継承権を認めるパターンは男系・女系長子継承制(準サリカ法)と呼ばれる[ 19] 。また、男女に継承権を認めるが、男子が存在する場合は男子を優先するパターンを男子優先長子継承制と呼ぶ[ 19] 。ここまでのタイプは古くから存在する継承法であるが、男女平等 概念の浸透により、男女にかかわらず長幼の順に従って継承権を認める絶対的長子継承制が1980年代以降普及しつつある[ 19] 。
君主は基本的には任期が定まっておらず、その死去または自主的な退位までは在位をし続けるが、マレーシア のように任期制の君主も存在する。アラブ首長国連邦 は大統領制を取っており、任期は5年であるが、大統領は連邦に加盟する7ヶ国の世襲首長によって互選される上、国内で最大勢力を持つアブダビ首長国 の首長が大統領に選出されることが慣例化している[ 20] 。またアンドラ はフランス大統領 とスペイン のウルヘル司教 が職権上アンドラ公国共同公に就任し、共同元首となっている[ 21] 。フランス大統領は任期制であり、一期5年の最大二期までと定められている。
君主制はまた、その政治権力 によっても分類される。君主が絶対的な権力を持つ政体が絶対君主制 である。絶対君主制は独裁政治 の一種であり、政治体制としては権威主義体制 に含まれる。権力継承のシステムが確立している上に王族によって支配体制が固められている[ 22] ため、権威主義体制の各政体の中ではもっとも安定性が高い[ 23] 。これに対し、君主が権力を制限されていたり付与されていない政体が制限君主制 であり、権力の制限が憲法 に基づく(立憲主義 )場合は立憲君主制 となる。立憲君主制はさらに、君主が名目的な地位にあるイギリス型と、君主に強力な権限を持たせたプロイセン 型(外見的立憲君主制 )に大別される[ 24] 。イギリス型の立憲君主制は議会制民主主義 に立脚しており、民主制の君主国において広く採用されている[ 25] 。
18世紀末までは、世界のほとんどの国家において君主制が敷かれており、共和制を採る国家はスイス やオランダ連邦共和国 、ヴェネツィア共和国 などわずかな数に過ぎなかった。その後、18世紀末にはアメリカ独立戦争 によってアメリカ合衆国 が成立し、フランス革命 によってフランス が一時共和制を取ったことで君主制をとらない国家も増え始め、なかでもこの両革命の影響を強く受けたラテンアメリカ 諸国は18世紀初頭の独立時にほとんどが共和制をとった[ 26] 。一方、ヨーロッパ大陸においては君主制はいまだに強固なものであり、ベルギー が独立を達成した際にも君主の推戴が条件とされたため、1831年にドイツ の小領邦君主であるザクセン=コーブルク=ゴータ家 からレオポルド1世 を初代国王として受け入れた[ 27] 。ヨーロッパにおける新独立国が他国から王族を迎え入れて君主制を敷く例は19世紀を通じてみられ、ギリシャ (1832年)やブルガリア (1879年)、ノルウェー (1905年)などが新しく王を受け入れている。ただしヨーロッパにおいては君主制は存続する一方で、イギリス において議院内閣制 と立憲君主制が成立したのに続き、19世紀後半には自由主義 の興隆によってヨーロッパ大陸諸国が立憲君主制を導入するなど、君主の権利は19世紀を通じて制限・縮小する傾向が続いた。この君主権の制限はヨーロッパ外にも一部波及し、日本やオスマン帝国 にもこの時期立憲君主制が導入された[ 28] 。
こうした流れが決定的に変化したのは第一次世界大戦 によってである。この大戦でドイツ 、オーストリア・ハンガリー 、ロシア の3ヶ国で君主制が崩壊し[ 29] 、またヴェルサイユ条約 によって独立したヨーロッパの国家は、セルビア王国 を実質的に継承したユーゴスラビア王国 を除きいずれも共和制をとった。さらに第二次世界大戦 によって、イタリア や東欧諸国で君主制が廃止された[ 30] 。一方、それまで同君連合 制をとっていたイギリス連邦 において、独立したインド が共和制を取ることを表明し、なおかつその後もイギリス連邦にとどまることを希望したため、1949年 に国王への忠誠条項が撤廃され、英連邦王国 とイギリス連邦とが制度的に分離した。これにより、君主制を取らずともイギリス連邦への残留が可能となった[ 31] 。第二次世界大戦以降、アジア ・アフリカ 地域でヨーロッパ諸国の植民地 が相次いで独立したものの、この新独立国群は独立時にほとんど共和制を取り、君主制を敷いたのはいくつかの英連邦王国を除くと、独立以前から保護国 や保護領などの形で君主制が残存していた国家に限られていた。中東 で1950年代から1970年代にかけて王制が相次いで廃止された[ 32] ように、君主制をとった新独立国も、政情不安からしばしば王制が転覆し、共和制へと移行するケースが見られ、イラン やエチオピア のように古い君主制国家でも王が失政を行った場合は革命が勃発して王が放逐された。
こうして君主制国家の割合は減り続け、2019年には君主制を取る国は国連加盟国の4分の1以下にまで減少した[ 33] 。この流れは21世紀に入っても続いており、2008年にはネパール において王政が廃止された[ 34] 。また、君主制を存続させている国家においても君主制廃止 論は根強く残っており、オーストラリアなどではしばしば君主制廃止論が再燃している[ 35] 。一方で、1993年のカンボジアのように一度廃止された君主制を復活させる[ 36] 、いわゆる王政復古 を行った国家も少数ながら存在する。
かつてのインド帝国 のマハーラージャ 、ドイツ帝国 の国家など、君主国内部にも君主を持つ国家が存在することがある。
現在でもアラブ首長国連邦とマレーシアは連邦 制国家であり、構成国・州には君主制のものが存在する。アラブ首長国連邦はアブダビ 、ドバイ 、シャールジャ 、アジュマーン 、ウンム・アル=カイワイン 、フジャイラ 、ラアス・アル=ハイマ の7つの首長国によって構成される連邦国家であり、各首長国はそれぞれ絶対君主制を取っている。独立した首長国が連合する形で成立した国家であるため、各首長国の権限は大きく自立性は高い[ 37] 。これに対し、マレーシアの君主制国家構成領邦はすべてではなく、マレーシア半島部の11州のうち、ジョホール州 、ケダ州 、クランタン州 、パハン州 、ペラ州 、スランゴール州 、トレンガヌ州 、ヌグリ・スンビラン州 、プルリス州 の9州のみが君主制を取っている。マレーシアの州の君主はいずれも権限は小さく、立憲的な議会主義君主制となっている[ 38] 。ヌグリ・スンビラン州は州内のウンダン (英語版 ) と呼ばれる伝統的首長の互選により、ヤン・ディプルトゥアン・ブサール (英語版 ) を君主とする。
またインドネシア のジョグジャカルタ特別州 の州知事は、独立時の経緯からジョグジャカルタのスルターン (英語版 ) が世襲する体制が取られている。フランス の海外準県 ウォリス・フツナ は保護国 である3つの王国で構成されている。
現存する君主制国家 絶対君主制に近い国
伝統的な君主が地方に存在する国
君主が存在(及び、現存)しない国
国ではない陸地
海
君主の種類による分類には以下がある。
2025年11月28日現在、国際連合加盟国 ・国際連合総会オブザーバー における君主制国家は、以下の43ヶ国であり、約5億人の人口を抱える。このうち、英連邦王国 に属する国家が15ヶ国存在する。
サモア は国家内に複数の伝統的首長がおり、国家元首であるオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー は議会により、特定の家系の首長の中から選出される体制が取られている。独立時の国家元首は終身であったため、君主制的側面を持つと認識されていた。現在でもサモアは憲法でも政治体制を明示しておらず、君主制と共和制の中間の政体とも評されている[ 39] 。
19世紀以前に君主制から共和制に移行した国[ 編集 ]
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