| この項目では、東京府にあった町について説明しています。その他の用法については「王子町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
| おうじまち 王子町 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1932年10月1日 |
| 廃止理由 | 東京市編入 王子町、岩淵町 → 東京市王子区 |
| 現在の自治体 | 東京都北区 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 東京府 |
| 郡 | 北豊島郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 5.74km2. |
| 総人口 | 89,009人 (国勢調査、1930年10月1日) |
| 隣接自治体 | 北豊島郡岩淵町、滝野川町、 板橋町 尾久町 南足立郡江北村 |
| 王子町役場 | |
| 所在地 | 東京府北豊島郡王子町大字王子字桜島604番地 |
| 座標 | 北緯35度45分10秒東経139度44分06秒 / 北緯35.75278度 東経139.73494度 /35.75278; 139.73494座標:北緯35度45分10秒東経139度44分06秒 / 北緯35.75278度 東経139.73494度 /35.75278; 139.73494 |
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王子町(おうじまち)は、かつて東京府北豊島郡に存在した町の一つ。1908年(明治41年)の町制施行によって誕生した。現在の東京都北区中部に当たる地域。
1889年(明治22年)の市制町村制によって誕生した、前身である王子村(おうじむら)についても合わせて記述する。それ以前の武蔵国豊島郡王子村についても本項で述べる。
現在の地名では王子、王子本町、上十条、岸町、十条台、十条仲原、豊島、中十条、東十条、堀船に相当する。
王子村は荒川の岸にあることから古くは「岸村」といい、熊野権現の御子神である若一王子社(後の王子権現、現・王子神社)が勧請されたことにより王子村と改められた。伝承によれば平安時代末期、源頼朝が奥州合戦の際に若一王子社へ甲冑を納めたとされ、『義経記』によれば源義経が王子板橋に陣を張ったとある。また、鎌倉時代後期の1322年(元亨2年)にこの付近を支配していた豊島氏(豊島清元とするものもあるが時代が合わない)が勧請したともされる。いずれにせよこの付近の地名は王子、十条、飛鳥山、音無川など紀伊国熊野に由来するものが多い。
十条村はもとは王子村のうちで、王子神社が勧請された際に名づけられたともされる。江戸時代に十条村上組・下組となり、明治に入り上十条村・下十条村となった。豊島村は続日本紀に「武蔵国豊島駅」とあるのがこれとされる。その名のとおりかつては豊島郡の中心地であったと考えられている。堀之内村は「梶原堀之内村」とも呼ばれていたが、は古くは単に「堀之内村」といった。梶原景時の葬られた塚が作られて以降、この名がついたという。ただしこれは信憑性は低く、正しくは梶原政景の塚などとする説がある。いずれの地も江戸時代には岩淵領に属した。
1889年(明治22年)、王子村、豊島村、上十条村、下十条村、堀之内村および船方村の西半分が合併され王子村となった。東京府案では王子村、豊島村、船方村を本郷区に編入しようとしていたが、内務省に却下された。北豊島郡案では王子村、豊島村、下十条村、堀之内村に滝野川村の東半分を合わせ「王子村」としようとし、滝野川村戸長の了承も得ており、上十条村は「赤羽村」(岩淵町)に加えようとしていたが、こちらも却下された。
※ これらの他、東武西板線が神谷地区を経由する構想があった。
他に東京府費補助道11条、里道9条あり。
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