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牛塚虎太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。2016年2月
牛塚 虎太郎
うしづか とらたろう
生年月日1879年4月28日
出生地日本の旗日本富山県射水郡水戸田村藤巻
没年月日1966年11月1日
死没地日本の旗日本 富山県射水郡大門町藤巻
出身校東京帝国大学
前職東京市
所属政党翼賛政治体制協議会推薦(中立)(1942)
翼賛政治会(1942-1945)
配偶者なを(服部時計店〔現・セイコーホールディングス〕の創業者、服部金太郎の次女)[1]
日本の旗衆議院議員
選挙区東京第1区
当選回数1回
在任期間1942年4月30日 -1945年12月18日
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牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年明治12年)4月28日 -1966年昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚政治家

略歴

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エピソード

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  • ドライブテニスを趣味とするなど、「新しもの好き」の側面があった[1]
  • 岩手県知事として赴任した際には、各戸に日本国旗が立てられ就任を祝福され、驚いた。岩手では、広大な県域を馬で回って情勢を掌握した[1]
  • 全国知事会などで知事を代表して大臣に答辞を述べる際に「僭越ながら」と前文句を言っていたことから、東京府知事時代には全国最古参の知事として「僭越係」というあだ名を付けられた[1]
  • 1940年の夏季オリンピックの東京開催の協力をイタリアベニート・ムッソリーニ首相に要請し、ローマが候補地から辞退するという約束を取り付けた際には、「オリンピック東京開催に対し、閣下が絶大の御厚意を示されたことは東京市民及び全日本国民の衷心感謝に堪えない」という内容の謝電をムッソリーニに宛てた[1]

栄典・受章・受賞

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著書

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  • 牛塚虎太郎『大礼要義』、博文館、1914年1月
  • 牛塚虎太郎『立儲要義』、博文館、1916年9月

関連作品

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脚注

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  1. ^abcdef辻沢賢信『続越中エル・ドラド ふるさと人物列伝Ⅱ 3 牛塚虎太郎』(『北日本新聞』2020年3月12日朝刊 17面)
  2. ^『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  3. ^公職追放の該当事項は「翼賛市協力会議長推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、706頁。NDLJP:1276156 
  4. ^射水市の名誉市民”. 射水市. 2022年8月14日閲覧。
  5. ^『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  6. ^『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  7. ^『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  8. ^『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  9. ^『官報』第1511号「叙任及辞令」1932年1月16日。
  10. ^『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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東京都の旗東京府知事・東京市長(第26代知事:1929年 - 1931年 / 第15代市長:1933年 - 1937年)東京都の旗
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