片岡 勝治(かたおか かつじ、1924年(大正13年)8月21日[1][2] –2005年(平成17年)5月5日[2])は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。
神奈川県出身[1][2][3]。1944年(昭和19年)神奈川師範学校を卒業した[1][2][3]。横浜市立中和田小学校教諭[3]、同中和田中学校教諭[1][2]を務めた[3]。横浜市教職員組合書記長に就任し[1][2][3]、1955年(昭和30年)神奈川県議会議員に選出され4期在任し、副議長も務めた[1][2][3]。また、日本社会党神奈川県本部書記長、同執行委員長などを歴任した[1][2][3]。
曽祢益の辞職に伴い1967年(昭和42年)2月に実施された第6回参議院議員通常選挙・神奈川県地方区補欠選挙に社会党公認で出馬して落選[4]。1971年(昭和46年)6月の第9回通常選挙に出馬して初当選[1][2][3][5]。1977年(昭和52年)7月の第11回通常選挙で再選され[5]、参議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、参議院公害対策及び環境保全特別委員長、同建設委員長、首都圏整備審議会委員、日本ユネスコ国内委員会委員、検察官適格審査会委員、社会党国会対策副委員長、同政策審議会副会長、同参議院議員副会長などを務めた[3]。その後、第13回通常選挙に立候補したが落選した[5]。
また、神奈川県社会文化会館理事長に就任した[1]。
2005年(平成17年)5月5日、肺炎のため神奈川県茅ヶ崎市の病院で死去、80歳[6]。死没日をもって旭日重光章追贈、従四位に叙される[7]。
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 吉田正雄 | 1982年 - 1983年 | 次代 青木薪次 |