| くまがい まみ 熊谷 真実 | |||||
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| 本名 | 非公開 | ||||
| 生年月日 | (1960-03-10)1960年3月10日(65歳) | ||||
| 出身地 | |||||
| 身長 | 160cm | ||||
| 血液型 | AB型 | ||||
| 職業 | 女優 | ||||
| ジャンル | 舞台・テレビドラマ・映画 | ||||
| 活動期間 | 1978年 - | ||||
| 配偶者 | つかこうへい(1980年 -1982年) 中沢希水(2012年 -2021年) 実業家(2023年 - ) | ||||
| 著名な家族 | 松田美由紀(妹) 松田優作(義弟) 松田龍平(甥) 松田翔太(甥) 松田ゆう姫(姪) | ||||
| 事務所 | アワーソングスクリエイティブ(2010年 - 2024年) | ||||
| 主な作品 | |||||
| テレビドラマ 『マー姉ちゃん』 『サンキュー先生』 | |||||
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熊谷 真実(くまがい まみ、1960年〈昭和35年〉3月10日[1] - )は、東京都出身の女優。東京都杉並区高円寺出身[2]。静岡県浜松市在住[3]。石井ふく子プロデュース作品に起用されることが多く、いわゆる「石井組(ファミリー)」の1人に数えられる。
武蔵野市吉祥寺で生まれた後、子供時代を杉並区高円寺、阿佐谷で育った[4]。このため媒体によって「高円寺出身」や「吉祥寺出身」とする場合がある。
杉並区立杉並第四小学校から東京文化中学・高校卒業。日本女子体育短期大学体育科舞踊専攻に入学したが、すぐ舞台デビュー(下記)となり短大を中途退学している。
1978年、つかこうへい構成・演出、パルコ製作のロックオペラ『サロメ』のオーディションに合格し、芸能界入りする[1]。同年、千葉真一主演のテレビドラマ『十字路 第二部』の第3話「南国高知編 結婚しない男と結婚しない女」でドラマデビュー。1979年、『俺たちの交響楽』でスクリーンデビュー。
1979年度前期のNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』で主演し、翌1980年のエランドール賞新人賞を受賞[5]。
1980年、劇作家のつかこうへいと結婚したが1982年に離婚[6]。
2012年11月13日に静岡県出身の18歳年下の書道家・中沢
2015年こまつ座公演『マンザナ、わが町』におけるオトメ天津の演技に対して、第50回紀伊國屋演劇賞個人賞[8]および読売演劇賞優秀賞[5]を受賞。
2017年、 福岡県そえだ観光大使就任。2018年、埼玉県寄居町ふるさと大使就任[2]。
2020年8月19日に、浜松市役所で転入手続きを行って移住[3]。同年12月10日に浜松市やらまいか大使に委嘱された[9]。東京を離れたのを機にその後Youtubeやインスタグラムを使って動画配信を開始[4]。
2021年3月25日に中沢と離婚した[10]が、そのまま浜松で暮らしながら芸能の仕事の際に上京する生活を続けている。同年6月、静岡県観光プロモーション 観光PRメッセンジャー就任[2]。
2022年4月、自身がボーカルを務める浜松のアマチュアバンド「マミーズ」を結成[11]。その後バンド名を「マミーズビスケット」に改名した[12]。
2024年4月1日、自身のInstagramにて13年在籍した芸能事務所「アワーソングスクリエイティブ」を退社したことを発表[13]。併せて、2023年春に8歳年下の会社経営者の男性[1]との3度目の結婚をしたことを報告した[14][15]。同年8月発売の雑誌インタビュー記事で、過去に10年間洗脳状態にあったことを公表[1](後述)。
3姉妹の次女(6歳上の姉[1]、妹・松田美由紀がいる)。父親は福岡県、母親は山口県の出身[16]で、上京後に父は一代で洋服の卸業や洋品店の経営して成功し、母もその手伝いをしていた[1]。この洋品店があった高円寺北口商店街にはねじめ正一の実家もあったため、彼とは子供の頃から顔馴染みだった。子供の頃の夏休みは、よく父の実家がある福岡の山の中で過ごしており、田舎暮らしに憧れていた[4]。
小学生の頃はメガネをかけていたことで男子からいじめに遭い、中学からは姉と同じ学校に進学したが周りから“ぶりっ子”と勘違いされたこともあり、あまり馴染めなかった[1]。ある日アメリカの作家、エレナ・ポーターの小説『少女パレアナ』[注釈 1]の主人公・パレアナに憧れた[1]。「困難にもめげないパレアナのようになりたい」との思いから、髪型をベリーショートにして言葉遣いも男の子っぽいキャラにして、考え方も明るくポジティブに変えたことが功を奏し、クラスで人気の存在になった[1]。中高生のときは演劇部で活動[1]。
芸能界入りからほどなくして12歳年上のつかに恋愛感情を抱き始め、20歳で結婚したが彼から専業主婦になるよう告げられた[1]。結婚後もつかの作品に出たいと思っていたため、帰って来る彼を待ち続けるにはまだ大人になりきれておらず、徐々に辛くなったという[1]。結局その後母とマネジャーに離婚届を出してもらい、最初の夫婦生活はわずか2年間で離婚した[1]。その後の芸能生活では、渋谷区恵比寿で暮らした[4]。
40歳頃に仲が良かった母をがんで亡くし、数年間立ち直れないほど深い悲しみに襲われた[1]。そんな中、母と同年代の女性A氏[注釈 2]と出会った[1]。神がかった技術を持つ彼女に母の面影を見てしまい、「この人と一緒にいたい」と感じるようになり、A氏に心酔するようになった[1]。
40代はテレビで着る洋服はスタイリストではなく、全てA氏が決めたものを着ていた[1]。仕事が終わればすぐに家に帰って、その日の出来事をA氏に報告しなければならず、仕事の打ち上げに出席することも禁止された[1]。A氏から「あなたの根源にある問題は、男性関係だ」と言われ、当時携帯電話に登録されていた知り合いの男性たちの連絡先を削除させられた[1]。当時の所属事務所を辞め、A氏と共に個人事務所を立ち上げて仕事を続けた[1]。そのうちプライベートでは自身の姉妹や女性の友人ともほとんど会わない孤立状態となり、A氏への依存が強くなっていった[1]。
A氏との出会いから約10年が経った頃にとある大きな舞台をやり遂げたが、A氏から「しばらく部屋に籠もって今までのことを反省しなさい」と言われた。このことに違和感を感じたことが、「もう50歳なのに何も決められない人間になっていた」と気づくきっかけとなり、母方の叔母の協力を得てA氏から離れることができた[注釈 3]。
先述の通り子供の頃から田舎暮らしに憧れており、40歳頃に無農薬野菜などに興味を持ち、自然豊かな場所にセカンドハウスを持ちたいと思うようになった[4]。中沢希水との再婚後、静岡県浜松市に引っ越しているが、移住先に浜松を選んだのは彼の故郷だから[17]。再婚から8年後の2020年に転居したことについて、コロナの緊急事態宣言を機に東京にいる意味を考えるようになり「東京は仕事の場所、浜松は生活の場所と考えたら、それはそれでメリハリのある生活が送れるんじゃないかなと」の思いから引っ越しを決めた[18][注釈 4]。当日は、親交ある女優の田中麗奈が子連れで引っ越し作業を手伝ってくれた[3]。
あまり深く考えずに移住先を浜松に決めたが、住んでみて浜松の良さを知った[注釈 5]。しかしその後中沢から突然「別れたい」と告げられて、2021年に離婚[19]。「自宅近所などに友達が何人もできた」と静岡のローカル局出演時に話すなど離婚後も浜松市をとても気に入っていることから、そのまま現地で暮らしている[17]。その後浜松のカフェの社長からの誘いを受け、オープンしたばかりのセレクトショップのスペースの一部を間借りして洋服や雑貨などを扱うバイヤーのような仕事もしている(2024年8月現在)[1]。
高校時代に音楽が好きになり、当時は中央線沿いにあったライブハウス「荻窪ロフト」や高円寺の「JIROKICHI」などに入り浸ってライブ鑑賞した[4]。また歌うことも好きになったため自らバンドを組んでボーカルを担当したが、元々ハスキーな自分の声にコンプレックスがあって「歌ったのは失敗だったかな」との思いから、18歳の頃に歌うことを封印[4]。
浜松移住後、近所のライブハウスに東京から知人のミュージシャンがライブをしに来たのを鑑賞[4]。これがきっかけで同店のカラオケで時々歌うようになり、同店店長から「バンドやらない?メンバーは集めるから」と誘われて趣味としてバンド「マミーズ」を結成[4]。ひっそりとライブを開催したところネットニュースで取り上げられ、東京の所属事務所に知られて「勝手に何やってんの」と叱られたが、上記の歌の封印が解けた[注釈 6]。上記ライブに客として見に来ていた浜名湖湖畔のリゾートホテルの人からバンドでの出演依頼を受け、後日自身初のディナーショーを開催[4]。バンド活動では、主に昭和歌謡を歌っている[4]。
| 1 - 10作 | |
|---|---|
| 11 - 20作 | |
| 21 - 30作 | |
| 31 - 40作 | |
| 41 - 50作 | |
| 51 - 60作 | |
| 61 - 70作 | |
| 71 - 80作 | |
| 81 - 90作 | |
| 91 - 100作 | |
| 101 - 110作 | |
| 111 - 120作 | |
エランドール賞 新人賞 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
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| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |