『炎のランナー 』(ほのおのランナー、原題:Chariots of Fire )は、1981年 公開のイギリス のドラマ映画 。監督はヒュー・ハドソン 。第54回アカデミー賞 作品賞 受賞作品。当時の時代背景の中で権威主義で排他的なイギリスを描きながらもイギリス的尊厳を彫り込んだ作品になっている。
走ることによって栄光を勝ち取り真のイングランド人 になろうとするユダヤ人 のハロルド・エイブラハムス と、神のために走るスコットランド人 牧師 エリック・リデル 、実在の二人のランナーを描いている。舞台は1919年 、エイブラハムスが入学するケンブリッジ大学 と、リデルが伝道活動をするスコットランド・エディンバラ から、1924年パリオリンピック へと移ってゆく。
おおむね実話に基づいているが、リデルと妹の確執、エイブラハムスと友人モンタギューの関係、エイブラハムスとシビルの出会いなど、いくつかは映画用に脚色されている。ヴァンゲリス が作曲したサウンドトラック の中の『タイトルズ 』は、日本でも耳にする機会の多い有名な曲となった[ 2] 。特にテレビでは競走のゴールシーンで多く使用されている。
プロテスタント の中でも厳格な長老派 の考え方がよく表現されており、背景として、19世紀イギリスに始まる筋肉的キリスト教 (muscular Christianity、映画の字幕では「剛健なキリスト教」)というキリスト教思想がスポーツを推奨したことがある[ 3] 。
"Chariots of Fire"というタイトルはウィリアム・ブレイク の『ミルトン 』の序詩"And did those feet in ancient time"からとられている。詩では"chariot of fire"と単数形。ブレイクがモチーフとしたのは、旧約聖書 『列王記 』においてエリヤ が炎の戦車(Chariot) に乗って地上を見下ろすシーンである。
以下は詞の抜粋である。
Bring me my bow of burning gold! Bring me my arrows of desire! Bring me my spear! O clouds unfold! Bring me mychariot of fire !
わが燃えたぎる黄金の弓をもて 欲望の矢を、槍をもて 雲よ散れ わが炎の戦車 をもて
この詩はチャールズ・ヒューバート・パリー によって1916年に曲をつけられており、英国では愛国歌として歌われている『エルサレム 』である。映画のラストで聖歌隊によって歌われている。
ケンブリッジ大学 トリニティ・カレッジ 中庭1978年のロンドン、ハロルド・エイブラハムス追悼の礼拝が始まり、アンドリュー・リンゼイ卿がスピーチを行っていた。物語は、彼らが胸には希望を抱き、踵には翼をつけて[ 4] 、走ることに夢中だった時代へさかのぼる。
1919年、ケンブリッジ大学 に入学したハロルド・エイブラハムス。彼はユダヤの血をひいているため、周囲からは潜在的な差別と偏見を受けており、その鬱憤をぶつけるように陸上競技にのめりこむ。障害物のアンドリュー、中距離のオーブリーとヘンリーとともに「ケンブリッジ大学4人組」として華々しい活躍をしていた。
スコットランドには、牧師の家に生まれたエリック・リデルがいた。彼にとって、自らの才能によって競技会で勝利することは神の恩寵を示すものであり、つまり走ることは信仰と同義だったが、妹のジェニーは彼が陸上に熱中することを好ましく思っていない。しかし、父や兄は彼が競技を続けることを奨励し、スコットランド代表として大会出場する際には彼の伝道スピーチが併せて行われ、多くの人々が聞き入った。
1923年、ハロルドは競技会でエリックに敗北し、激しいショックを受ける。そこへサム・ムサビーニ (英語版 ) が現れ、ハロルドは彼から本格的な指導を受ける。一方エリックはジェニーに、中国 へ布教に赴く決意と、その前にオリンピックに出場するという決意を伝えた。
ハロルドはケンブリッジ大学のトリニティとキース 双方の寮長から呼び出され、非英国系かつプロコーチのムサビーニを雇っていることはアマチュアリズム に反し、大学にもふさわしくないと批判を受ける。二人に反論して退出したハロルドは、友人たちから、100m と200mのパリ五輪 代表に選出されたこと、エリックも代表であることを告げられる。
ドーヴァー からパリ への出航の日、エリックは、記者から予選の日が日曜日(=安息日 )であることについて質問を受け、初めてその事態について知る。敬虔なキリスト教徒である彼は、選手団長のバーケンヘッド卿に相談し、日程変更を掛け合ってもらうことになった。しかし、事態は好転しないまま、パリへ到着する。英国チーム最大のライバルは、近代的なトレーニングを積み、士気も高い米国チームであり、C・パドック 、フィッチ 、ショルツ といった強豪選手が名を連ねていた。
5月4日 、パリ五輪が開会した。期間中に開かれた親善パーティの席上、エリックはデイヴィッド王太子 、サザーランド公 、カドガン卿 (英語版 ) ら、英国オリンピック委員会の要人に引き合わされる。結局、対仏交渉は不調に終わっており、エリックは祖国と国王への忠誠のため出場するよう説得されるが、神への信仰はそれに勝るとして拒否する。そこへ貴族であるアンドリューが入室し、アンドリューが400mの代表枠を譲るので、エリックは出場種目を変更してはどうかと提案する。全員が賛成し、エリックは100mを棄権した。
200mに出場したハロルドは、パドックに敗北し、ムサビーニから叱咤される。100m出場を目前に、ハロルドは不安な心情をオーブリーに吐露する。直接、競技場へ行かないムサビーニは、ハロルドへの手紙にお守りを同封した。王太子の激励、アメリカの応援団、レースへの緊張が高まっていく。ハロルドは100mで優勝した。ムサビーニも、英国国歌 吹奏とともに最も高い所に掲げられたユニオンジャック をホテルから見、ハロルドの優勝を知る。英国本国の人々も、彼の優勝を知り喜ぶが、ハロルドの心は晴れない。ムサビーニはそんなハロルドに深夜まで付き合って慰労するとともに、恋人と新生活へ歩むよう勧めた。
400mに出場するエリックを、アメリカ選手は警戒する。ショルツは旧約聖書 の一節を記したメモをエリックに渡した。エリックはそれを握りしめてレースに臨む。要人や英国チームの選手達、そして妹のジェニーが見守る中、彼は優勝した。英国へ戻った彼らは、大歓声で迎えられるヒーローだった。エリックやアンドリューが迎えられ、静けさの戻った駅に、一人降り立ったハロルドは、愛するシビルと再会し、二人で肩を寄せあい歩み始めるのだった。
再び1978年、『エルサレム 』の合唱で、追悼礼拝は終わり、アンドリューとオーブリーは「彼は勝った」と、ハロルドを思い出すのだった。
※イアンの妹であるはずのジェニーが姉と誤訳されており、DVDに収録された際はそれに関する台詞が全てカット、原語音声に切り替わるが(約113分)、BDでは復活。だがそれでもノーカットにはならない(約116分) 1999年 に英国映画協会 が選出したTop 100 British films において、19位に、そして2006年 にアメリカン・フィルム・インスティテュート が選出した『感動の映画ベスト100 』で100位にそれぞれランクインしている。
本作で技術指導を務めたトム・マクナブ は、後に小説『遙かなるセントラルパーク (英語版 ) 』を発表し、ベストセラー となった。長距離マラソン大会に出場する人物たちの群像劇である。 本作のプロデューサーは、ダイアナ妃 と共に自動車事故で死亡したハロッズ オーナーの息子ドディ・アルファイド である。 実話を基にしているが、脚色された部分も多い。リデルがパリ に到着後、予選日がキリスト教 の安息日である日曜だったことから出場を拒否し、本来400mに出場する予定だった選手の「自分はすでに110mハードルで銀メダルを獲得しているので、その枠を譲る」との申し出を受けて急遽交代出場した、とのエピソードは脚色である。実際は100mの予選日は数ヶ月前から分っていて、リデルは短期間ながら400mのトレーニングに励んでいた。またパリ五輪で110mハードルでイギリス人選手がメダルを獲得した事実もない[ 6] [ 7] 。 史実では、リデルは男子200mにも出場しており、銅メダルを獲得している[ 7] 。ハロルドも出場していたが、6位に終わっている。男子4×100mリレーでは、ハロルドは銀メダルを獲得している[ 7] 。 ^ “Chariots of Fire (1981) ” (英語). Box Office Mojo . 2011年6月2日閲覧。 ^ 作家の恩田陸 は『アクロス・ザ・ユニバース―林檎をめぐる物語』(ソニー・マガジンズ)というビートルズ に関するエッセイ集の中でこの曲が「芸術の分野には、登場した瞬間から古典、という作品がある。…この映画、一九八一年の映画なのである。そんなに新しいとは露知らず、感覚としては一九六〇年代くらいの、ずっと昔からある曲だと思っていたのだ」とビートルズの曲同様、「古典」色が立ち込めていると書いている。 ^ 先生、質問です(5) 大正大学^ ギリシャ神話 のヘルメス (=ローマ神話 のメルクリウス )の伝承^ モデルは、1928年のアムステルダム五輪 金メダリストのデヴィッド・バーリー 卿 ^ 鉄人ノンフィクション編集部『映画になった奇跡の実話』、2013年 ^a b c 実際の結果については1924年パリオリンピックの陸上競技 を参照。110mハードルは優勝がアメリカ、2位が南アフリカ、3位がスウェーデンの選手である。 ^ Mr. Bean / Rowan Atkinson London 2012 Performance (YouTube Olympics公式チャンネル)1927–1940 1941–1960 1961–1980 1981–2000 2001–2020 2021–現在
1948–1980年 1981–2000年 2001–2020年 2021–現在
1932-1940年 1941-1960年 1961-1980年 1981-2000年 2001-2020年 2021-現在