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廓州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
澆河郡から転送)

廓州(かくしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から宋代にかけて、現在の青海省東部に設置された。

魏晋南北朝時代

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576年建徳5年)、北周吐谷渾を西方に駆逐すると、河南の地に廓州が置かれた。

隋代

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初には、廓州は2郡5県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、廓州の属郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、廓州は澆河郡と改称され、下部に2県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分開皇元年区分大業3年
廓州澆河郡
洮河郡達化郡河津県
達化県
洮河県安戎県広威県達化県綏遠県

唐代

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619年武徳2年)、により澆河郡は廓州と改められた。742年天宝元年)、廓州は寧塞郡と改称された。758年乾元元年)、寧塞郡は廓州の称にもどされた。廓州は隴右道に属し、広威・達化・米川の3県を管轄した[2]760年上元元年)、吐蕃が廓州を攻め落とした[3]

宋代

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1099年元符2年)、北宋により廓州は寧塞城と改められた。1104年崇寧3年)、寧塞城が放棄され、同年のうちに奪回されると、再び廓州が置かれた。廓州は秦鳳路に属し、膚公城・米川城・綏平堡・同波堡・寧塞寨を管轄した[4]

脚注

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  1. ^隋書』地理志上
  2. ^旧唐書』地理志三
  3. ^新唐書』粛宗紀
  4. ^宋史』地理志三
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
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