Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

漆部神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"漆部神社" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL
(2020年8月)
漆部神社

拝殿
所在地愛知県あま市甚目寺東門前11
位置北緯35度11分43.1秒東経136度49分20.6秒 / 北緯35.195306度 東経136.822389度 /35.195306; 136.822389座標:北緯35度11分43.1秒東経136度49分20.6秒 / 北緯35.195306度 東経136.822389度 /35.195306; 136.822389
主祭神三見宿禰[1]
社格式内社論社[2]
郷社[1]
創建不詳(15世紀以前)
本殿の様式流造
別名八大明神[2]
八大神社
八大社
例祭10月18日
地図
漆部神社の位置(愛知県内)
漆部神社
漆部神社
地図
テンプレートを表示
参道

漆部神社(ぬりべじんじゃ)は、愛知県あま市甚目寺東門前にある神社甚目寺に隣接する。『延喜式神名帳』の海部郡「漆部神社」に比定する説がある[2]

歴史

[編集]

近世まで八大明神と称され、甚目寺の鎮守社であった。現在は神仏分離により境内を分けている。創建時期は不明。最も古い記録としては明応7年(1498年)の古文書で、「賀茂 住吉 春日 平野 祇園 松尾 貴船 稲荷」と8つの神名と本地が墨書されている[2]江戸期の記録では甚目寺領のうち20石が当社の祭祀料として当てられていた。江戸期から昭和期にかけての棟札が複数残されており、社殿修造が何度か行われたらしい。

江戸中期に当社を『延喜式神名帳』の海部郡「漆部神社」に比定する説が提唱された。当社が漆部神社に比定された根拠は、漆塚と称する塚が付近にあったことによる[2]。しかし当社を漆部神社に比定する確定的な証拠はなく、漆部神社を当社に比定した津田正生は後にこの説を自ら否定している[3]。漆部神社の論社として他に津島市の市神神社や中川区下之一色町の浅間社など複数存在する。『尾張国式社座地目録』で「漆部神社 座地未詳」とするなど、漆部神社の比定社は学説としては確定していなかった[2]。『特選神名牒』は式内社の海部郡「漆部神社」について以下のように考察している。

今按鹽尻にこの社は津島社ならむと疑ひ又一説に津島市神社ならんと云へど更ニ證なし同郡荷之上村八幡宮と云説ありて荷上はの丶へにての丶へはぬりへならんかと云へど信がたし又愛知郡下之一色村なる淺間社の御手洗川を奉仕の祠官は塗部川なる由云へど探索するに古よりおわけすと云へば取にたらず甚目寺観音は此社の變ぜしものならんと云説もあれど是亦證なければ取がたし今にては廃社なるべし — 『特選神名牒』尾張国海部郡

このように式内社の漆部神社は廃社になったという説もあった[2]。しかし甚目寺に付属する当社が式内社の漆部神社であるという説が江戸期以降広まったため、1957年昭和32年)に漆部神社と正式に改称された。

近年になって、愛西市川北町にかつて存在した恵比須宮に漆部明神が祀られていたという説も提唱されている[3]

祭神

[編集]

所在地

[編集]
  • 愛知県あま市甚目寺東門前11

交通機関

[編集]
ウィキメディア・コモンズには、漆部神社に関連するカテゴリがあります。

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ab漆部神社https://kotobank.jp/word/%E6%BC%86%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BEコトバンクより2024年6月23日閲覧 
  2. ^abcdefg式内社顕彰会 1987, pp. 93–105.
  3. ^ab八開村史編さん委員会 2000, pp. 750–755.

外部リンク

[編集]
スタブアイコン

この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=漆部神社&oldid=107694864」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp